二千五百七十(うた)報道を読んで(トロリーバス廃止、小石川の火災、秋篠宮悠仁様)
甲辰(西洋発狂人歴2024)年
十一月三十日(土)
日本最後のトロリーバスは黒部を走る。本日で廃止になる。NHKの首都圏ニュースでは、東京、川崎、横浜のトロリーバスが走る映像を流した。ここまではよい企画である。しかし三都市の廃止理由を「自動車の普及や交通渋滞などのため」としたのは間違ってゐる。
もしこれらが理由なら、後継のバスも廃止になったはずだ。実際は、その後もバスが走り続けた。正式な理由は、当時の交通局の資料に書いてある。今は資料が手元に無いので推定すると、まづ大形のバスが登場した。ディーゼルエンヂンで、トロリーバスと同じ輸送量がある。
次に、架線の維持費用と電気代が、軽油より高くなった。サンフランシスコなど外国にトロリーバスがあるのは、電気代が日本より安いためだ。
今回黒部のトロリーバス廃止は、電気バスの価格が下がったためだ。蓄電池と急速充電技術の向上が背景にある。
百一のトロリーバスに何回も乗るの記憶が蘇る 馬道辺り他の路線合流するの架線あり 後に合流無くなりて百一までものちに廃止へ
反歌
百一は不忍池横を発ち小さな橋の手前が今井
101系統は上野公園から今井。今井街道は二車線で、千葉県との都県境の今井橋は小さな橋だった。手前に釣り具店や釣り船店(不確実)があった。トロリーバスがUターンする、のんびりした場所だった。後に都道五十号(新大橋通り)が今井橋の手前で合流し、のんびりは消えた。
十二月一日(日)
文京区小石川にある自民党参議院議員猪口さんのマンションが火事になり、夫と娘さんが亡くなった。十月十六日には、現場から250m南側を歩いたので、驚くばかりだ。文京区役所をなつかしく立ち寄った記憶が、一瞬のうちに吹き飛んだ。
小生にとり、出身地は根津。隣町は谷中、池之端、上野公園、弥生、千駄木。隣町に次ぐ地元は、都電20番と16番が上野広小路で交差してから大塚仲町で再び交差するまでの、沿線。同じく、トロリーバス101番の入谷町までも地元だ。だから小石川は地元だ。
地元と云へば、秋篠宮悠仁様が東大農学部へ進学するかどうかの報道が、いつまでも続く。農学部は弥生だから隣町だ。東大の本校舎は本富士町(現、本郷に統合)だから、20番と16番は走らず地元ではない。
十六番春日町経て大塚へ 広小路にて二十番交差し上富士経た後に 大塚仲町再び出会ふ
反歌
本郷も本富士町は江戸の外かねやすよりは北東にあり
弥生は、根津弥生七ヶ町連合会だ。元は根津七ヶ町連合会だった。根津西須賀町が町名変更で弥生一丁目になった。根津なのに弥生を名乗るのは抵抗があり、東大農学部前自治会と称した。根津清水町の一部は弥生二丁目に組み込まれ、残った清水町は須賀町と合併して宮元町会と称した。根津権現地元の意味である。これで五つに減ったが、東大農学部前自治会と向ヶ丘弥生町会が連合会に加盟して、根津弥生七ヶ町連合会になった。何十年か経過し、弥生への抵抗が無くなったころに、東大農学部前自治会は弥生一丁目町会と名称変更した。
最初は、弥生のうち清水町に隣接する部分は根津に組み込む計画だった。ところが死人、ではなかった詩人のサトウハチローが「根津は嫌だ、弥生時代の原始人のままがいい」とは云はなかったが、反対運動を始めて弥生になった。
根津は面積が減ったが、連合会は面積が増えて、三方一両得になった。(終)
追記十二月二日(月)
小生が中学生の時に、或る教諭がサトウハチロー宅を訪問した話をした。本人が素っ裸で出て来たさうだ。弥生時代の原始人の話は、五十年前に伏線があった。
上野公園が根津の隣町かは、不確実だった。昔、帝都高速度交通営団(現、東京メトロ)のホテル兼結婚式場が根津2丁目1番にあった。今はマンションになった。その向かひの盆栽倶楽部は台東区上野公園だと思ふが、或いは池之端かも知れない。調べたところ上野公園だった。
これで上野公園は根津の隣町だ、と安心したところ、新たな障害が見つかった。マンションと盆栽倶楽部の間は、道路の他に都電の専用軌道跡があり、今はここも盆栽倶楽部の敷地に併合された。ところが専用軌道跡の部分は、池之端だ。盆栽倶楽部は台東区上野公園に大部分があるのだから、この部分も上野公園に編入すればよいのだが、さうすると上野動物園裏門(業務用の門)の前や鴎外荘跡(水月ホテルにあったが移転)の辺りが池之端の飛び地になってしまふ。
従って、上野公園は根津の隣町ではないが、隔てる幅5mは盆栽倶楽部の一部なので、実質は隣町との結論に至った。
池之端 不忍池の西側と北東側に広がりて 双方繋ぐ回廊は軌道の跡で幅五メートル
反歌
池之端専用軌道は走り行く動物園と不忍池
不忍池は、「しのばずのいけ」と読む。
(路面電車、客車、その周辺、四十三)へ
(路面電車、客車、その周辺、四十五)へ
-------------------ここまで(路面電車、客車、その周辺、四十四)-----------------------
-------------------ここから(モリカケ・・・カルト裏、三百十四の三番外編)-------------------
(追記12.03)盆栽倶楽部は、小学生の時に池之端七軒町(昭和四十二年に池之端二丁目に改名)停留所踏切の脇にあったのを覚えてゐる。今は、建物を新築して上野グリーンクラブ、所有は株式会社東京盆栽倶楽部、同社の全株式を所有するのが日本盆栽協同組合だと判った。
自民党某元派閥の、東京凡才倶楽部ではない。平河町ブラッククラブでもない。お友だち依怙贔屓カルト裏金協同組合でもない。
追記十二月四日(水)
農学部は隣町なのに、東大は地元でさへない理由をもう一つ見つけた。農学部は農大と呼んだ。祖母と父や、近所の人や、小学校中学校の同級生も、皆さう呼んだ。都電19番の通り(地元では無いから、通りの名前さへ知らない)のバスにたまたま乗ったときに、老婆が農大はどこで降りたらいいか訊いて、運転士が「え、東大では無くて」と聞き返したから、本郷や向ヶ丘に住む人も同じなのだらう。
良心の無い政治屋は、二十二世紀なら脳細胞全面交換手術を受けることができるやうになるかも知れない、脳大にて。これは冗談だが、その脳大ではない。東京農大でもない。
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