二千五百六十九(うた)日本人は気付かない、ゼレンスキー英雄説の「危ない実態」…専門家が警告
甲辰(西洋発狂人歴2024)年
十一月二十九日(金)
現代ビジネスのホームページに、前回紹介したほかにも
知ってはいけない、世界の《残酷な常識》日本人は気付かない、ゼレンスキー英雄説の「危ない実態」…専門家が警告
が載った。前文は
ロシアがウクライナに侵攻する前、ウクライナの政治体制は腐敗していて、国際社会から非難されていた。
(中略)だが、大国ロシアの侵攻を受けて、国民はまとまり、ゼレンスキー自身も大きく変わっていった。
(中略)
※本記事は、『優しい日本人が気づかない 残酷な世界の本音—移民・難民で苦しむ欧州から、宇露戦争、ハマス奇襲まで』より一部を抜粋編集したものです。
本文に入り
福井義高(以下福井):ウクライナ戦争に関するメディアの報道はあまりに単純な図式に基づいています。プーチン・ロシア=悪、ゼレンスキー・ウクライナ=善とか、(以下略)
しかし、ウクライナは(中略)帝政時代はロシアの一部とみなされていたし、近代以降、第一次大戦の混乱期を除いてソ連崩壊までロシアと別の国になったことはありません。
(中略)独立し別の国となった後も、ウクライナは貧しいうえ、政権が腐敗していたため(中略)、このままでは国として持たないとさえ言われていました。
日本では、ウクライナ戦争を放置すると、次に狙はれるのは日本だと云ふ奇妙な主張さへあった。日本は、帝政ロシアの領土ではなかったのに。
福井:(前略)日本ではアドルフ・ヒトラーの国民社会主義、いわゆるナチズムばかりが絶対悪として批判され、ベニート・ムッソリーニのイタリア・ファシズム、日本の軍国主義と、一括りに「ファシズム」とみなす主張が根強くありますが、すべて別物といってよい。
これも重要だ。米英仏蘭が正しくて、日独伊は間違ってゐたと、今でもまことしやかに主張する人がゐる。もう一つ、福井さんがナチスを国民社会主義と訳したことは興味深い。普通は国家社会主義と訳し、これも日本では、民族主義と社会主義をいっしょにすると大変なことになると、まことしやかに云ふ人がゐた。
第二次大戦勃発の責任はヒトラーだけに帰することはできません。(中略)第一次大戦後に誕生した多民族国家ポーランドは、(中略)東欧の覇者として大国路線を追求します。これが欧州に第二次大戦をもたらす悲劇となるのですが、ヒトラーに戦争責任のすべてを押し付けた今日の正統歴史観ではこの事実が見えません。
ポーランドは戦間期に、ラトビアとルーマニアを除き国境を接するドイツ、ソ連、チェコスロバキア、リトアニアと領土紛争を抱える好戦的な国家でした。特にリトアニアに対しては首都ヴィリニュスを占領しています。
そして、1920年から30年代にかけてソ連が第一の敵国とみなしていたのは、実はポーランドでした。
ロシア革命直後、国力が疲弊したなかで行われた対ポーランド戦争に敗北し、ウクライナとベラルーシの西部がポーランド領となったことから、ソ連指導部は反ポーランド一色だった。ポーランド領内に住む多数のウクライナ人とベラルーシ人のポーランドへの反感も大きかった。
(中略)敗戦後にドイツとポーランドの暫定国境となったオーデル川・ナイセ川より東に数世紀にわたって住んでいたドイツ人はほぼすべて、意に反して追放されました。
これも日本では、あまり知られてゐない。昭和四十年代の中学高校の教材(世界史、地理)では、オーデルナイセの東は、ゲルマンとスラブの色が縞状だった。追放されても将来は戻ると思はれたのだらう。
いいかげん 正しい側は米英仏 ファシズム側が日独伊 かう云ふ主張に決別しよう
恐慌のときに保護主義を取り戦争を招いた反省から、戦後はGATT(関税及び貿易に関する一般協定)が制定され、第八回のGATT多角的貿易交渉でWTOに発展した。
植民地米英仏蘭持つ故に恐慌のとき保護主義で 持たない側は大混乱に
反歌
大恐慌米英仏の責任と帝国主義を共に批判へ
帝国主義とは米英仏のことで、ベトナム戦争が終了した1975年まで続いた。アメリカが参戦した1965年からは曖昧になったが、フランスが戦争をした時は明らかな帝国主義だった。(終)
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