二千五百六十六(うた)曹洞宗との関係は、良寛和尚経由で
甲辰(西洋発狂人歴2024)年
十一月二十七日(水)
三日前の経典学習会で、終了後にお茶を飲みながら歓談した時に世話人の方から、曹洞宗の坐禅会に参加するのか訊かれて、浦和へ引っ越してからは参加してゐないと答へた。先月も訊かれたのでその理由を考へると、小生は良寛和尚にしばしば言及する為であらう。
良寛和尚は曹洞宗で出家し修行をしたが、円通寺を出てからは宗派組織と無縁になった。その良寛和尚をよく取り上げる小生は、やはり曹洞宗の宗派組織とは無縁である。
我が文で良寛和尚を書くときは 宗派を超えた和尚にて 曹洞宗を述べるに非ず
反歌
円通寺参禅の機を探したは良寛和尚修行の寺故
反歌
曹洞宗関はるときは南伝か良寛和尚を経由してのみ
世話人の方が、曹洞宗は洞山の頃とは異なる話をされた。小生が、達磨大師の系統は僧が作物を作ることを云ふと、それは唐へ入った後のことださうだ。成程インドのやうに暑い国は、食料が豊富だ。唐は異なる。一方で、インド北部は気候が寒冷では、と思った。南伝と北伝の差は、ここにあるのかも知れない。
一般の歓談で、パオ瞑想の支院が日本に無い話が出た。これは明治維新で僧が妻帯したことが原因だ。東南アジア各国では、南伝の仏法に対して、本家として敬ふ。日本の一部悪徳坊主は、妻帯を蒸し返されるのが嫌なため、南伝仏法の悪口を云ふ。
南伝仏法は、日本の妻帯を批判しないし、そもそも関心が無い。だから悪徳坊主どもは、南伝仏法の悪口を云ふ必要は無いのだが。
悪徳坊主はごく一部だが、日本全体に南伝への尊敬が無いため、支院ができないのだらう。
秋津洲悪徳坊主は一部でも 国民自体仏法を葬式のみと看做す上 普通の僧も世襲故関心薄く宗内に留まる
反歌
南伝の悪口を云はぬ事さへも守れぬ悪僧もはや外道に
小生が、上座部と呼ばず南伝と呼ぶのは、或る悪僧が、上座部と名乗るとは権威的だと書いた本を読んことがある。根本分裂で、上座部と大衆部に分かれたが、その名と同じだから、誇大ではある。南伝上座部や南方上座部と名乗ればよいが、今はその語が無いので、南伝と呼んで日本の仏法界が受け入れやすいやうにした。(終)
「良寛和尚と漢詩和歌、初期仏法を尋ねる」(百二十三)
「良寛和尚と漢詩和歌、初期仏法を尋ねる」(百二十五)
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