二千四百八十(うた)初期仏法を探す
甲辰(西洋発狂人歴2024)年
九月十三日(金)
初期仏法は、原始仏法などとも呼ばれる。初期仏法が部派仏法を経て、現在に至る。大乗は部派の一部として存在した。初期仏法はどんなものだったらうか。分裂するのは、教義が複雑化するからだ。
達磨大師が伝へた仏法は、不立文字だ。当時の中国は大乗経典がほとんどだが、これらを用ゐないのは、初期仏法と云へる。達磨大師の系統は、
釈迦-摩訶迦葉-阿難陀-(中略)-菩提達磨

と続くことを主張するから、そこからも達磨大師の系統は初期仏法だ。ここで北宋時代の景徳伝燈録に二十八代目とあるが、系統図は、それによって作られたのか。禅宗はその後、中国化すると同時に、理屈化した。それはいつの時代なのか。
これらを解決することが望まれる。しかし不立文字と、釈迦から菩提達磨へ至る系統を公表する以上、初期仏法と呼ぶことができる。
唯一の欠点は、釈迦が枝を拈ねり、摩訶迦葉が微笑んだとする話だ。これは明らかに出鱈目で、摩訶迦葉を始め当時の僧団が法を引き継いだとすべきだ。こんな作り話はいつの時代に作られたのか。これも解明すべきだ。
文立てずこれは見事な少林寺 しかしその後もろこしに会ふ文多く作られる 大乗経の取り入れはいつからなのか解くべき課題

反歌  枝ひねる話は嘘の頂きに系統の図は山の裾野に

九月十四日(土)
昨日書いた内容は、ミャンマー経典学習会が始まる前に、頭の中にあった。ここ二年程、ミャンマー仏法から縁遠くなり、良寛和尚については調べる機会が多かったためだ。しかし本日、学習会に参加し、考へを修正した。
南伝仏法は、釈尊の流れを伝へることに間違ひは無いし、さう主張してきた。一方で、部派仏法の時代を経た為に、教義複雑化の流れは引き継いだ。その結果として膨大なパーリ文献を有する南伝仏法と、不立文字を掲げるものの後世の偽作とされるものを持つ達磨大師の系統。両方のよいところを合はせれば、初期仏法に至るのではないか。
だるまさん見倣ふべきは文字立てず 禅宗の名と古文書と大乗経典使はずが良い

反歌  南伝は文が整ひ学問の価値は大きく今も読まれる
反歌  南伝も三蔵のうち論蔵は部派ののちにて複雑化のち
長歌の「禅宗の名」を説明すると、達磨大師は不立文字と修行することを伝へたのであり、禅宗なんて名乗ってはいけない。それでは坐禅偏重になる。

九月十五日(日)
「良寛和尚と漢詩和歌」のリンクに、ミャンマー仏法を追加して 「良寛和尚と漢詩和歌、初期仏法を尋ねる」とした。これは四年前にあった「固定思想」が消滅したためだ。
達磨大師の不立文字と、南伝仏法の今でも僧と信徒がゐるため膨大な古文書が活きてゐることの二つを合はせて考へれば、膨大な相乗効果が生れる。
早速、相乗効果が一つ現れた。良寛和尚が目指したことは、前半は道元和尚への傾倒だったが、後半は教義の単純化だった。道元和尚の一生は、教義の複雑化である。つまり良寛和尚は後半に、道元和尚とは逆の道を進んだ。(終)

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