千七百十八(歌) 1.XX教は、近代文明を批判せよ、2.イスラム教は各派連帯せよ
壬寅(西洋野蛮歴2022)年
四月七日(木)
ニセ幕府安倍の作った年号は使用を拒否し
三年前「己亥、基督歴2019+3α年、ヒジュラ歴1440/41年、紀元2679年、仏歴2562/63年」
二年前「庚子(仏歴2563/64年、基督歴2020+3+α年、ヒジュラ歴1441/42年)」
一年前「辛丑(2021)」
今年「壬寅(西洋野蛮歴2022)年」
を用ゐてきた。
三年前は、東アジア漢字圏の干支を初め、XX教、イスラム教、神道、仏道にかなり敬意を表した。それが今年は西洋野蛮歴と呼ぶ。その落差について説明をすると、昨年は「辛丑(2021)」と西暦を持ち上げ過ぎた。だから今年は「壬寅(西洋野蛮歴2022)年」として平衡を取った。これが第一の理由である。
第二の理由は、キリスト歴自体は、産業革命の前までは野蛮歴ではない。過去に宗教裁判や宗教戦争があったとしても、それはXX教内部の問題であって、西暦には関係ない。しかし産業革命の後に、非欧州のほとんどを植民地にして、しかも地球は滅亡寸前だ。その間ずっと西暦が使はれたから、その責任を取らせた。これが真相である。

四月八日(金)
XX教では、地球の大自然と全生物は、神が創造した。それなのに西洋野蛮人(及びそれに追従する連中)は、大自然を破壊し、多くの生物を滅亡に追いやってきた。XX教は、カトリック、ギリシャ正教、プロテスタントを問はず、近代西洋野蛮文明と対決すべきだ。
近代の野蛮人ども 神様が創造をした大自然動植物を 破壊する気か

(反歌) 近代の野蛮人ども根底にXX教があるは事実だ

四月九日(土)
イスラム教は、原理主義になってはいけない。途中の長い歴史があるのは安定させるためだ。大昔に対立する宗派でも、その後に共存する知恵でもある。信仰者が生活を犠牲にしなくて済む知恵でもある。
原理主義途中無視では帰れない平衡の智慧共存の智慧 貴重な資産
(終)

追記四月十日(日)
仏道についても述べると、南伝の仏道では「ブッダ、ササナン、スィラン、テッタウー」(ブッダは永遠)を唱へる。ブッダの教へを永遠とするには、まづ地球温暖化を防止しなくてはいけない。
地上地下空(そら)に生きとし生けるもの地球を守り永遠になれ

日本の仏道界で心配なのは、アジアの仏道界は南伝に対し敬意を持つのに、日本にだけ南伝の悪口を云ふ人がゐる。僧侶が妻帯しないのは、日本以外では大乗も同じだ。妻帯をごまかすため、南伝の悪口を云ふのは筋違ひだ。

(歴史の流れの復活を、その四百ニ十三)歌(二百五十七)へ  (歴史の流れの復活を、その四百ニ十五)へ

メニューへ戻る 歌(二百五十七)へ 歌(二百五十七)へ