二百四十七、左翼崩れが偽善に陥る理由を探る(千葉景子は法務省勉強会の費用を弁済しろ)

平成二十四年
三月十一日(日)「勉強会の顛末」
前法務大臣千葉景子の始めた死刑制度に関する法務省勉強会が、両論併記で終了した。つまり役に立たなかつた。法務省のすべきは冤罪を出さない方法を工夫することだ。例へば小沢潰しのため検察が暴走した。そういふことを防ぐ勉強会なら幾らでも開くべきだ。或いは刑罰の現状が公平かどうか調査すべきだ。特に新しい犯罪に対応することだ。
死刑の存続はこれまで既にたくさん議論されてきた。改めて勉強する内容はない。あとは国会の担当である。法務大臣が勉強会で輿論を誘導することは許されない。千葉はこれまでの法務省の経費を自己負担すべきだ。
もちろん死刑はないほうがよい。それは死刑に相当する凶悪犯罪を無くすことで対応すべきだ。更に国民が西洋の猿真似ではなく日本の国情に合つた理由として死刑廃止を望むようになるなら、そのときは死刑を廃止すべきだ。しかし現在の日本で死刑廃止を叫ぶ人は西洋の猿真似で言つてゐるだけだ。

三月十二日(月)「国民全体を考へなくてはいけない」
自民党の憲法改正推進本部が天皇を元首とする原案を発表した。実質は現状と変はらないから、個人としてはそれほど反対ではない。しかし国民全体では反対者もゐる。賛成者と反対者の意見を統合すれば、もともと日本にない元首といふ言葉を当てはめようとするからかういふことになる。だから幕末には将軍を元首とする草案もあつた。
天皇様は昔から天皇様。時の将軍なり首相を任命する。それでいいではないかといふことで国民全体が納得できる。なほ、象徴といふ変な言葉はアメリカが押し付けたものだから削除すべきだ。

前に、学校の音楽教育は西洋音楽ではなくまづ日本音楽を教へろと主張したことがある。そのときも現在の音楽教師を活用するよう主張した。日本音楽家を教師にする方法や、日本音楽と西洋音楽の教師を半分ずつ時間数を受け持つ方法もある。しかしそれでは音楽教師の人減らしが避けられない。それを防ぐために現在の西洋音楽教師の活用を主張した。
国内問題を主張するときは国民全体を考へなくてはいけない。自分たちの利益しか考へない連中がマスコミ、官僚、経済団体、社内労働組合に多いから、国民は十分に注意が必要である。

三月十四日(水)「国旗と国歌」
先日子どもの中学の卒業式があつた。国歌斉唱のときにほとんどの参列者は歌ふが声がpp(極めて弱く)で小さい。だから平衡を取るため私はff(極めて強く)で歌ふことにしてゐる。私が小学生や中学生のときに学校長など演壇に上がるときに国旗に一礼するのは、見てゐて実にすがすがしかつた。
しかし国旗や国歌に反対する人たちも次の理由で理解できる。
(1)明治維新後に制定され歴史が浅い。(英語を公用語にしろといふ主張は、長い歴史を持つ世界各地の言語分布の否定となるから絶対に反対しなくてはいけない。しかし国歌や国旗は歴史が浅い。)
(2)米国と軍事同盟を結んだ日本は国家の存在意義が薄れた。

最近、国旗や国歌の問題がやかましくなつた。長い歴史から見れば敗戦後の混乱期から続く過渡現象である。これまでの経緯があるから歌いたくない教員は場外整理なり当日急に体の具合が悪く休むなり円満に対処すべきだ。しかし式場で起立しなかつたり歌はないのは禁止すべきだ。あと、戦後の混乱期からの過渡現象とは関係のない新規教員はきちんと歌ふよう指導すべきだ。ここでも国民全体が納得するようにすべきだ。

三月十五日(木)「地域で決めることと国で決めることの仕分けを」
民主党の市議の民主党新自由主義派の候補のポスターに「地域のことは地域で決める」と前に書いてあつた。実に醜い言葉である。地域で決めるべきことは地域で決めるべきだし、国レベルで決めたほうがよいことは国で決めるべきだ。現在は国の手放さないものは多い。例へば労働行政は県に移管すべきだ。しかしだからと言つて何でも地域に移動すればよいものではない。

三月二十日(火)「労働委員会」
都道府県労働委員会は逆に厚生労働省に移管したほうがよい。或る都労委の案件で担当の事務局の職員の名前を云ふと、労組関係者は皆、嫌な顔をする。「あの人は個人加盟労組が嫌いだ」「あの人は意地悪だ」「落とし穴が必ずあるから気をつけろ」。実際に落とし穴はあつた。経営側の提出した準備書面は、1ヶ月の給料に6ヶ月分の交通費が含まれてゐる。6ヶ月毎に支払はれる月の金額を書いて、いかにも高いように見せかける。組合は反論したのに都労委の命令はこの6ヶ月毎の交通費加算月の金額が書かれてゐた。こんな原案を事務局が作つたら公益委員はそれに引つ張られる。
裁判所は地裁も最高裁も政府が管轄する。労働委員会もすべて厚生労働省が管掌すべきだ。代はりに労働基準監督署と職業安定所は都道府県に移管すべきだ。

三月二十一日(水)「千葉景子が偽善者の理由」
菅直人と野田の裏切りは許し難い。それなのに千葉景子はペテン師二名を非難せず、死刑問題に熱中した。国民新党の亀井静香氏の場合は死刑廃止を主張しても筋が通つてゐる。しかも消費税に反対してゐる。千葉とは大違ひである。
次回の選挙は与党内の消費税反対派と国民新党と、各地の自治体首長が主導する新党と、自民党内の反新自由主義派が連立し、新自由主義偽善勢力を撲滅するのが一番よい。日本は地域の支持者を主眼に置いた自民党と、勤労者を主眼に置いた民主党が似合つてゐる。新自由主義勢力が入る余地はない。

三月二十四日(土)「辻元清美」
昭和64年くらいまでの資本主義勢力と社会主義勢力の対立で、当時の社会主義勢力の特徴は社会主義経済と唯物論にあつた。しかし社会主義経済が困難と判ると唯物論だけが残つた。共産主義は唯物論を自称するが民族解放運動で唯物論を克服した。社会主義経済は建設であり坂道を登ることである。唯物論は宗教を信じるか信じないかは関係なく、文化破壊であり坂道を下ることである。だから怠惰な連中は楽なほうを選んだ。それが左翼崩れである。左翼崩れに千葉のほかに辻元清美がゐる。辻元は前原と近い。前原派、野田派と左翼崩れは根が共通である。感覚が唯物論だから政治は新自由主義である。
自民党は本来は地域重視である。しかし社会主義勢力との対立で資本主義になつた。一方で日本の資本主義は本来の資本主義ではなく社内の社会主義であつた。だからこれまで発展できた。
それにしても辻元清美はなぜ消費税に反対しないのか。消費税増税賛成で辻元に投票した人は一人もゐない。

三月二十五日(日)「寄生虫の乱心」
野田が「不退転の決意で、政治生命を懸けて、命を懸けて、この国会中に成立をさせる意気込みで頑張る」と述べた。もはやペテン師や嘘つきの範疇を超へた。狂人といふしかない。江戸時代の殿様だつたら大変である。幕府に知れたら改易(お取り潰し)だし、領民の苦しみも大変である。殿には死んでいただき(今風に言えば首相を辞める)幕府には病死と届けるか、座敷牢に入つていただく(民主党から除名)しかない。野田は「政治生命を懸けて、命を懸けて」とまで言つた。この言葉をペテンにしないためには、議員を辞職するか、本当に自殺するしかない。
それにしても千葉や辻元はなぜ消費税と乱心首相に反対しないのか。左翼崩れは偽善だといふことがこれで判る。

三月三十日(金)「消費税騒ぎの欺瞞」
菅直人に始まつた消費税騒ぎはまつたくの欺瞞である。まづ大手マスコミが一斉に財政危機を煽つた。国民はまづこの不自然に気がつかなくてはいけない。
参議院選挙で大敗し、さすがに菅直人も首相を辞任した。民主党代表戦では大手マスコミがまた小沢叩きを繰り返した。そして野田に決まつた。野田が選挙公約にない消費税を引き継いだ。
民主党は党内の丁寧な議論などと言つてゐるが、丁寧な議論とは結論を最初に決めないで時間を掛けて議論することだ。最初に結論が決まつてゐれば丁寧ではないし、そもそも議論ではない。そして最後は前原に一任とは呆れる。あの混乱振りから前原に一任したとは言へない。会議の不手際を理由に、国会ではどんどん造反したほうがよい。
山崎元氏といふ楽天証券経済研究所客員研究員が次のように書いてゐる。
財務省は、近年、世論対策が周到になったように感じる。今回の消費税率引き上げに関しても、「『社会保障と税の一体改革』に関してご説明したい」と言って、手分けして広く各所(エコノミスト、メディアなど)を回っているようだ。
世論に影響力などあるとは思えない筆者のところにまで「ご説明」に来たのには、少々驚いた(以下略)
国会議員ならかういふ財務省の工作は知つてゐるはずだ。なぜ元社民党の千葉と辻元は(1)菅直人と野田の公約違反、(2)大手マスコミの輿論工作、(3)民主党内の結論の予め決まつた「丁寧な議論」の欺瞞、(4)財務省の輿論対策を批判しないのか。

三月三十日(金)その二「閣議決定は無意味だ」
戦前は首相とその他の閣僚は対等だつた。だから閣議決定は意味があつた。一人でも反対すれば内閣総辞職になるからだ。今は首相に罷免権がある。つまり閣議決定はまつたく意味を持たない。嘘つき男が醜態を演じた。それを偏向大手マスコミが仰々しく報道した。それだけのことだ。

三月三十一日(土)「主婦いじめ厚生労働大臣」
小学館の「Newsポストセブン」に先日可決された児童手当の所得制限について次の記事が載つた。これは週刊ポスト4月6日号の紹介である。
・実は、所得制限の基準となる年収額は、世帯の合計ではなく、「生計の中心者(世帯で最も多く稼いだ者)」の収入である。そのため、夫の年収1000万円、妻は専業主婦で子供2人という家庭では手当は3分の2カットされるのに対し、同じ世帯収入1000万円でも、夫婦それぞれに500万円の収入がある共働き世帯なら満額もらえることになる。
・厚生労働省に質すと、こう答えた。
「不公平との指摘があることは承知しているが、あくまで3党合意で決まった内容であり、かつ(是正措置を)法案に反映させる実務的な時間もなかった」(同省・子ども手当管理室)
・こんな時だけ政治主導を装って、自分たちは責任逃れするつもりなのだ。3党合意は半年以上も前であり、時間は十分あった。現に民主党政権はその間、制度名を「子どものための手当」に“しろ・しない”で、自民・公明両党とくだらない議論を延々と続けてきたではないか。
・いや、あるいは本当に政治主導だった可能性もある。小宮山洋子・厚労相は、これまで「専業主婦イジメ」を進めてきた名うての“主婦キラー”だからである。
・今年1月6日の大臣会見の場では、「一人一人が男性も女性もそれぞれ精一杯能力を発揮して生きていく男女共同参画の社会を作っていくため、足かせ・ハードルになっている制度があってはいけない」と、パートなど妻の年収が103万円未満であれば、夫の納める所得税が安くなる配偶者控除の廃止を唱えた。まるで、毎日家事に追われる専業主婦は、社会進出に後れを取った悪しき存在であるような言い草である。
・小宮山氏の政治信念は、どうも個人的な好き嫌いに基づくものが多いようだ。彼女がどんな価値観を持とうと自由だが、それが明らかな不公平を助長しているとすれば、見過ごすことはできない。

多くの主婦は働きたくても職がない。あつてもパートや派遣で最低賃金ぎりぎりである。日本の女性の非正規雇用率は平成15年に50%を超えた。男性も約20%である。これらが社会を崩壊させ少子化の大きな原因でもある。民主党前原派の小宮山は厚生労働大臣なのに失業と非正規雇用で何ら実効ある対策を取らない。

四月一日(日)「民主主義に寄生するニセ成功者」
前原派と野田派のよくない理由は、社会の自称成功者が益々得をする政策を掲げることだ。新自由主義である。旧社会党でも国会議員になると歳費は高額だし公設秘書は三人ゐるし、すつかり自分は成功者だと勘違ひする。これが左翼崩れが新自由主義になる一つの理由である。
さて社会の成功者とは周囲から賞賛される人達のことだ。野田派と前原派は世の中の役に立つてゐない。民主主義の寄生虫である。再販制度と新聞社数の少ない独占形態に乗つてゐる大手マスコミと同じである。大手マスコミが自分たちと同じ寄生虫を作つたと言へる。自己増殖である。

四月二日(月)「西洋猿真似による役職の未平衡状態による寄生虫」
私は週刊ポストとは異なり、専業主婦の優遇を廃止するといふ小宮山洋子の考へに反対ではない。我が家では妻はずつと専業主婦だつたから週刊ポストの主張のほうが得だが、社会全体を考へれば共働きしなくて済む家庭にはもつと負担をお願ひし、一方で少子化対策として児童手当ては充実すべきだ。(我が家が専業主婦なら本当は中の上、或いは上の下ではないかと思ふ人もいよう。秘訣は自動車とぜいたく品を買はないと中の下の収入でも可能である。あと妻も仕事を探してゐるが就職先が見つからず日雇い派遣をしてゐる。専業主婦をせざるを得なかつたといふのが本音である。)
それとは別の話題として、自称成功者は西洋猿真似による職種の未平衡状態と定義することができる。例へばアナウンサといふ職業がある。日本の文化に照らせば、副調整室の片隅で話すか、スタジオにゐるなら黒子をかぶり話すべきである。西洋の猿真似で話すからアナウンサといふ寄生虫が現れる。もちろん昔は高橋圭三や宮田輝のように国民的な人気アナウンサもゐた。しかしその後はアナウンサになれば有名になれると勘違ひした連中が殺到するようになつた。
国会議員も同じである。かつては地域のまとめ役、市町村議会、都道府県議会を経て国会議員になり社会主義を目指すか資本主義を目指すかの違ひはあつたが、国民の為を考へた。ところが昭和四十年ころから国会議員になりたいといふ民主主義の寄生虫どもが現れた。

四月三日(火)「小宮山洋子の主張」
元NHKアナウンサの小宮山は退職後すぐに国会議員となり現在に至る。世間から見れば勝ち組である。一昨日の定義からすれば負け組である。小宮山の主張をインターネツトで調べると次のようになる。
・参院本会議で国旗国歌法に反対した。
・在日外国人への参政権付与の推進者。
・「次の内閣」では「ネクスト文部科学大臣」「ネクスト子ども・男女共同参画・人権・消費者担当大臣」「ネクスト法務大臣」「ネクスト環境大臣」になつたが、政権交代後の鳩山内閣では入閣は実現しなかった。小宮山は「女性が社民の福島さんと民主の千葉さんと2人の参議院議員だけで、ちょっと寂しい感じです」と述べた。
・選択的夫婦別姓制度の導入に積極的な立場である。

私は男女雇用均等には大賛成である。セクハラには大反対である。だから労組の「セクハラ防止委員」を歴任し、セクハラ問題を週刊誌に取り上げられた労組との事務所統合センター設置には反対し二年前の組合分裂の一翼を担つた。その私から見てもフエミニズムといふのは間違つてゐる。自称勝ち組女性のための権利だからである。

それでは小宮山の主張を見てみよう。まづ国際で仕事をする人は国旗、国歌には反対しない。小宮山は視野が狭い。次に日本の現状で国旗、国歌に反対することは日本のアメリカ併合を益々進める。それはアメリカによる世界文化破壊に加担することであり、世界平和に逆行する。しかし過去の経緯があるから冷戦時代の感覚で帝国主義に反対し国旗、国歌に反対するならそれは理解できる。しかし小宮山は単に日本に反対してゐる。野田の「ネバー、ネバー、ネバー、ネバー、ギブアツプ」と同じで、欧米は帝国主義でも正しいとする思想である。
在日外国人への参政権については、まづ在日外国人への雇用差別は絶対に反対である。また日本に税金を払つてゐるのだから在日外国人の意見も議員は尊重すべきである。しかし選挙権は権利ではなく義務である。それを権利と勘違ひするから業界団体や労組による投票誘導が発生する。これらの行為を禁止し、すべての国民が私欲ではなく国の行く末に連帯して責任を持つ立場で投票するようになつたときには、在日外国人にどう責任を共有してもらふかを考へるべきだ。
選択的夫婦別姓制度は自称勝ち組女性のものだから反対である。日本も昔は源頼朝の妻が北条政子のように夫婦別姓だつたのかも知れないし、武士の領地世襲が夫婦同姓を促進したとも考へられる。西洋の猿真似ではなく日本の歴史に沿つたものなら賛成である。就職後の結婚で姓を変へたくない場合の特例は法律で認めるべきだ。

四月四日(水)「最近の女性議員は存在価値がない」
かつては市川房江氏や土井たか子氏のように男性議員に負けずに活躍する人がゐた。しかし近年は女性議員が矮小化し、単にマスコミでちやほやされるだけの連中が増へた。もちろん男性議員も矮小化した。しかしそれ以上に矮小化した。
土井たか子氏は参議院選挙で社会党の議席を倍増させ、消費税廃止法案を社会、公明、民社、連合の会の四会派で提出し参議院で可決させた。それに比べて千葉は両論併記の死刑勉強会、小宮山は主婦いじめ。このようになつた原因に仙谷が議長を務める男女共同参画会議が女性議員を30%にするといふ目標を掲げたことにある。或いはその前から朝日新聞などがさかんに女性比率が世界で何位だとかさかんに書いたことによる。議事要旨を見てみよう。
仙谷内閣官房長官(議長)から、以下のようなあいさつがあった。
・デフレの最大の原因である労働力人口の減少を是正できる要素として、女性の活躍がある。非常に有能で、質の高い女性の労働力を、日本は活用できないのが最大の問題。
「非常に有能で、質の高い女性」よりも一般の女性の雇用機会を作るべきではないのか。男女賃金格差の最大原因は女性は非正規雇用が多いことだ。それをせず「非常に有能で、質の高い女性」にだけ目を向けるその感覚には呆れる。
新自由主義の特徴は自称勝ち組だけが得をする政策を掲げることであり、フエミニズムの特徴は自称勝ち組女性がマスコミで目立つことだけを掲げることである。

四月五日(木)「非正規雇用は希望者以外は禁止しろ」
小宮山の一番よくないのは、厚労相のくせに非正規雇用を規制しないことだ。派遣法の改正は骨抜きに終はつた。有期雇用の規制はこれからだが小宮山では不十分に終りそうだ。国会の与野党比率は関係ない。厚労相として非正規雇用が男女賃金格差の原因だし少子化の原因だと叫べばよい。
そんなことさへできないのはやる気がないからだ。

四月六日(金)「51対49では駄目だ」
野田が51対49でも消費税を増税すると前に叫んだ。51対49では駄目である。本来は100対0でなくてはいけない。それが無理なら90対10でなくてはいけない。私の主張する「左右対立はもはや存在しない」といふのも国民全体が納得できるための道筋である。
民主主義は手段であつて目的ではない。ましてや過半数が民主主義ではない。左翼崩れの連中は本来は無い左右対立を引き摺る上に、アメリカは民主主義の最先端だと思ひ込み新自由主義に走る。そもそも国民のことを考へず自分の議席と出世のことしか考へない。(完)


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