二百二十四、先人を悪者にしてはいけない

平成二十三年
十二月二三日(金)「浅沼稲次郎と佐々木更三」
社会党の書記長浅沼稲次郎が昭和三四年に訪中し「米帝国主義は日中両国人民の敵である」と発言した。昭和四〇年に委員長に就任した佐々木更三は「米帝国主義は人類の敵である」と挨拶したが、これは浅沼稲次郎の発言を突出させないための配慮であらう。私が「米帝国主義は人類と全生物の敵である」と言つたのも、佐々木更三を悪者にしない配慮である。
先人を悪者にしてはいけない。先人を悪者にすることは後出しじやんけんと同じで誰でもできる。
名前当時の役職内容背景
浅沼稲次郎昭和三四年社会党書記長米帝国主義は日中両国人民の敵である日米安保条約
佐々木更三昭和四十年社会党委員長米帝国主義は人類の敵であるベトナム戦争
平成二二年ソフトウエア会社に勤務。合同労組所属米帝国主義は人類と全生物の敵である地球温暖化


十二月二四日(土)「プロレタリア独裁」
プロレタリア独裁といふ言葉は今では印象が極めて悪い。しかし先人を悪者にしないために「プロレタリア独裁とは私欲を持たない人たちによる、真の民主主義」と再定義した。
民主主義とは公益のみを考へて選挙し、公益のみを考へて議論されなくてはいけない。しかし現実はさうなつてはゐない。業界団体、労組、宗教団体などが推薦候補を出す。当選後に口を出すため、実利の数分の一か数十分の一の金を出す。候補者も自分の利益のために行動する。マスコミが偏向記事を多量に流す。
これは真の民主主義ではない。マルクスの時代は労働力を売るしか生活の糧のない人たちをプロレタリアートと名づけ、その無欲の人たちによる政治を目指した。今は化石資源浪費により労働者と言へどもプロレタリアートではない。だから世のためだけを考へて投票し議会を開くことをプロレタリア政権と名付けるべきだ。これなら資本家も心掛け一つでプロレタリアートになれる。安心である。

さて今週の月曜にテレビドラマ「水戸黄門」が終はつた。日本のテレビ史に残る番組だが、過去の高視聴率に束縛され、あまりに同じ筋書きを繰り返し過ぎた。それに比べれば微細な出来事だが同じ月曜日に、北朝鮮の金正日の死が発表された。北朝鮮はプロレタリア政権とは正反対である。一族の実権しか考へてゐない。

十二月二八日(火)「反省するなら本当の原因を反省しろ」
一時、仏教各宗派やXX教などが、戦争に協力したことを反省する声明を発表することが流行つた。あれはよくない。戦争の起きる前に反対するなら尊い。戦中に停戦を提案するのも尊い。しかし戦後のしかも五十年以上経過してなぜ突然反省するのか。
反省しても当時の管長や宗務総長を批判するだけで、自分たちは傷つかない。当時の世界情勢と国内世論と政府の弾圧などを考へない実に無責任な発言である。
反省が流行つた理由は米ソの冷戦が終はり、アメリカの矛先が日本の貿易黒字に向いたためだ。アメリカが世界の非西洋地域の文化破壊に乗り出した。
反省をするなら西洋の猿真似で列強の仲間入りをしたことと、第一次世界大戦あたりから日本が軍国に堕落したことを反省すべきだ。
口先だけの反省はそれ以外にも有害である。西洋の植民地支配を正当化する。先の戦争は帝国主義国どうしの植民地奪ひ合い戦争だつた。それなのに本質を見ない。最近では岡田と前原が豪州に対して反省をした。豪州はイギリスの一部で植民地支配に加担した。二人ともアジアには高圧的に出て、西洋には反省する。

十二月二九日(水)「薩長幕府」
明治維新の後に薩長の作つた幕府は西洋の猿真似を行ひ列強の仲間入りをして、第一次世界大戦あたりから堕落して敗戦を迎へた。戦前の明治政府は明治政府ではなく薩長幕府である。さう考へれば日本は敗戦を乗り越へられる。
ドイツは敗戦をすべてをヒトラーの責任に帰して乗り越へた。イタリアはムソリーニのせいにして乗り越へた。中国は列強に侵略されたことを清朝と国民党に帰して乗り越へた。敗戦は正しい理由を見つけないと乗り越へられない。
敗戦を乗り越へることは再び戦前に戻ることではない。日本は豊臣秀吉の朝鮮出兵を除いて他国を侵略したことはない。豊臣秀吉の時代は西洋文明が過度に流入した日本史の例外の時機だつた。伝統的な平和な日本に戻るべきだ。
戦後の日本はアメリカ軍が駐屯し、アメリカ軍はベトナム戦争その他に出撃した。ベトナムとその支援国は日本の米軍基地を攻撃する権利を当然持つてゐた。しかし全面戦争を危惧して行使しなかつた。今の日本は平和国家とは云へない。ベトナム戦争に加担したからである。

一月四日(水)「社会党とアジア主義」
三年前まで石原莞爾には悪い印象しか持つてゐなかつた。だから作家Xを特集したときも、満州事変と國柱會を分けた(作家X3(作家Xと法華信仰))。
しかし一昨年に石原莞爾を調べてみると事実は異なつてゐた。石原の作つた東亜連盟には浅沼稲次郎、稲田隆一、淡谷悠蔵などが所属した。稲田隆一は稲村順三の兄である。社会党左派の稲村順三と右派の森戸辰男の論争は社会党史に残る。隆一も順三が病死ののちは社会党から立候補して国会議員になつた。
淡谷悠蔵は歌手淡谷のり子の叔父で、悠蔵が逮捕されたときはのり子が拘置所に面会に訪れてゐる。戦後に江田三郎が書記長を辞任した後に立候補したポストの左派対立候補にもなつた。
浅沼稲次郎は中間派、稲田隆一と淡谷悠蔵は左派だが、共通項はアジアである。日本は古来アジア各地から文化を吸収してきた。近年西洋文明が世界を席巻しても、アジアを時代遅れと見下してはいけない。西洋文明は地球を破壊するだけではない。アジアで西洋かぶれになることは各国の弱者が切り捨てられる。

一月五日(木)「アジアの一員」
脱亜入欧とは、明治維新以前の先人たちを悪人にすることだ。この様にいふと、外国から文化を取り入れるのが先人たちだと軽薄な反論をする人が出よう。
しかしこれは完全に間違つてゐる。朝鮮半島や中国、更にはこれらの国を介して天竺などから受け入れたものは日本文化の多くを占める。さうなつた過程では長い年月を掛けて日本に適応させた。といふか恐らく適応しないものを我田引水とばかり取り入れたり、それに反発したり、色々な経緯を経て最適化された。
西洋猿真似の連中は、この厖大な期間の努力を繰り返した国民を悪人化する。

一月七日(土)「2500年間の名僧たちを悪人にしてはいけない」
釈尊が瞑想で成仏を目指すのに対して、大乗仏教は釈迦仏や阿弥陀仏やその他の仏に祈るといふ瞑想で成仏を目指す。だから双方とも同じだと以前書いたことがある。これは釈尊以来2500年間の名僧たちを悪人にしないためである。

一月八日(日)「イスラム教徒を悪人にしてはいけない」
世界の宗教は長い歴史を経て、地域で住み分けた。他地域の少数信徒も長い歴史で受け入れられてきた。だから宗教間で争ひの起きる筈はない。ところがソ連崩壊ののちに、XX教崩れの西洋唯物論者どもが自分たちのやり方を世界に押し付けようとしてイスラム諸国と摩擦を起こすようになつた。悪いのはイスラム教ではない。西洋のXX教崩れの連中である。
地域の住み分け以外にも、XX教、イスラム教、仏教、ヒンズー教儒教道教神道の共存は可能である。創造主が宇宙を作つたあとも創造主に祈るのがXX教とイスラム教である。創造ののちは神仏に祈るのが仏教とヒンズー教儒教道教神道である。宇宙創造は今ではビツグバンと呼ばれる。光速で観れば宇宙創造から人類誕生までは一週間になるし別の時間にもなる。

一月九日(月)「アメリカ合州国解体論」
アメリカは土地が厖大である。だからアメリカを訪れたほとんどの人は騙されてしまふ。判りやすい例を挙げれば、国立公園の中に無断で移住した集落があるとする。土地は広く家は大きいし、登山鉄道の駅も近い。だから訪れた人は皆が羨ましがる。しかし違法だと知れば反応は異なる。
人類は長い歴史を経て、それぞれの土地に合つた生活を編み出した。ところがアメリカといふ異常な集落が生まれたために、歴史のある国々までがアメリカの意向に従ふやうになつた。これは人類の歴史の否定である。
そればかりではない。アメリカは人口一人当りの二酸化炭素排出が異常に高く、先進国は出生率が低いのに人口増加率が移民を含めて異常に高い。
アメリカの生き方は、過去に地球上のすべての土地でそこに合つた生き方をして来たすべての人類を愚人にする。地球温暖化で人類滅亡が迫つた今こそ、世界はアメリカに対して十三州に住むやう主張すべきだ。

一月十二日(木)「西洋型民主主義はまやかしである」
最近、民主主義を旗印に、アメリカがアジアの政権を転覆する例が目立つ。勿論独裁は許し難い。しかしアジアに西洋文明を押し付ける口実に使ふことは許されない。
まづアメリカが政府を転覆しても、選挙では反米政府が出きることを示す必要がある。だからアメリカや欧州に住んでゐた人間を大統領にしたアフガニスタンは極めてまやかしである。
西洋型民主主義はまやかしである。本当の民主主義は無益の立場の人たちで決めなくてはいけない。我田引水を狙ふ人達の多数決は民主主義ではない。だから西洋型民主主義は民主主義ではない。
西洋型民主主義を有り難がることは、その国の過去に生きた人々を切り捨てることだ。日本を例にとれば、江戸時代は老中のなかから筆頭老中を選んだ。選ばなかつたこともあらう。だから日本の首相が短期で変はるのは当然である。首相や大臣を廃止して老中制にすべきだ。(完)


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