102-3、作家X3(作家Xと法華信仰)
平成ニ十一年
五月七日(木)「僧Xは国家主義に非ず」
僧X信仰者が先の戦争を起こしたと主張する人がいる。例えば寺内大吉である。
寺内は競輪の評論をやったり、皆の前ではベレー帽をかぶったり、およそ浄土宗宗務総長とは思えない。著書も偏向がひどい。
作家Xについて次のように書いている。
- 作家X研究家の平尾隆弘はこう評する。---田中智学の浅薄な実践の概念を、作家Xは自身の痛みとして過剰に引き寄せた。
- 見田宗介は、---作家Xはこのような倫理的恫喝にだけは弱い人間である。 と言いあてる。
- 作家Xは(中略)国柱会本部へやってきたのだが、(中略)やがて応接に現れた幹部は作家Xを鼻であしらった。
- 国柱会において作家Xが接したのは、わずかに高知尾知耀だけだったと言われる。高知尾がどんな人間かは不明であるが、書いたものを読むと、かなり過激な思想の持ち主のようである。
作家Xが國柱會を信仰していたのは一時的であったと主張する人たちは、このような主張を鵜呑みにして言っているのであろう。
僧Xを国家主義と断ずる最大の理由は「立正安国論」という題名であろう。この書は北条時頼に提出したものであり、幕府の関心事は安国である。もし農民に与えたものなら「立正豊作論」になっていただろうし、商人に与えたなら「立正繁盛論」になっていた。
「念仏無間、禅天魔、真言亡国、律国賊」についても、他宗を論じることが目的であり、亡国や国賊は他を批判する一般名詞である。
昭和25年に高知尾知耀の書いた文章を紹介し、偏向しているのは寺内大吉のほうであることを明らかにしたい。
- 二十世紀の前半に人類の文明、文化は如何にあったであらうか。第一次世界大戦、第二次世界大戦、そして最後に原子爆弾だ。その後半は一層怖ろしい世の中が予想されて進行中とも言へよう。
- 一切の人類は人類は、その本体に於ては、宇宙唯一絶対の霊元たる久遠実成の本仏と同体であると説き教へるのである。たゞ体の本仏でありながら、本仏同様の働きをなし得ないのは六識妄念にあやまられてゐるからである。
- この感解の前には社会主義も、資本主義も、はた共産主義もない。たゞ真の資本主義、真の共産主義、真の社会主義が同時に充たされて行く。
五月八日(金)「國柱會とX宗」
このほか「作家XはX宗を信仰していた」と主張する人も多い。明治維新後に行政の都合で各本山は連合組織を作らされ、X宗何々派を名乗った。
作家XはX宗だと主張する人で特に戦後間もない人は、僧X系という意味で用いている。しかしその後に用いる人は、國柱會は国家主義だという理由で用いるのであろう。
五月九日(土)「西洋近代文明と明治政府こそ国家主義だった」
国家主義は、(1)他国を侵略する、(2)権力者の特権を維持するために国民または植民地に貧困を強いる、と定義することができる。戦前の西洋は国家主義だし、それを真似した明治政府も国家主義であった。
國柱會は明治政府に便乗して布教活動を行った。しかし田中智学は昭和七年に
- 僧X主義者の中にも、(中略)僧Xに拠ることは甚だ偏狭であるから、その大本たる釈迦に直接よることが、公明正大であるというので、釈迦本位という考えをもつ者がある。
- ところが又僧X主義者の中にもこういう一派がある。我々は僧Xの教えを奉ずるものであって、釈迦の教えを奉じる者ではないという極端な考えを持つ一派である。釈迦本位とはちょうど右傾と左傾のようなもので、(以下略)
と演説している。昭和七年は世界大恐慌の影響で日本でも貧困者があふれ、右翼や左翼がさかんに活動していた。もし國柱會が右翼だとすると左翼を嫌うはずだから、右傾と左傾のようなものでと演説するはずがない。
五月十日(日)「石原莞爾」
満州事変といえば石原莞爾、石原莞爾といえば國柱會である。しかし満州事変と國柱會は関係がない。國柱會が石原に命令した訳ではなく國柱會が会員を満州事変に送り込んだ訳でもない。陸軍将校としての石原が板垣征四郎らと組んで起こしたのであった。この前後には張作霖爆殺事件、五・一五事件、二・二六事件も起きている。
これらの原因は世界大恐慌であったし、更には明治以降の国内経済不均衡が原因であった。
五月十一日(月)「信仰の強い時期と弱い時期」
今から三十年前にO電気工業で労働争議が起きた。八年後に半数が職場復帰し半数は自主退職と和解金で解決したが、解雇に抗議して自身が解雇されたTさんだけが取り残された。Tさんは本門仏立宗の信者である。それから三十年間毎日O電気工業の工場前で抗議行動を行ってきた。日曜には門前で読経をする。
そのTさんに一回会ったことがある。今でも本門仏立宗の信者だが僧侶を毎年自宅に呼ぶくらいでそれほど熱心にしているわけではないとご本人はおっしゃっていた。しかし三十年間門前で抗議しつつ信仰を続けたのだから立派である。僧Xは小松原法難で額を切られ冬は痛むためかぶり物をしたことに因み、御影像にかぶり物を着せる際に僧侶を呼ぶそうである。この話は私も知らなかった。渋谷乗泉寺の内紛の話もあった。
信仰は一所懸命の時期とそうではないときがある。作家Xはとし子が亡くなった直後までは熱心だったがその後かなり低下した。死の直前に再び一所懸命になった。だから作家Xの作品のなかで國柱會の影響を受けたものは少ない。作家Xが東京在住時に作ったものも、後の推敲で影響が少なくなったのではないだろうか。
五月十ニ日(火)「Sの問題点1(師匠と恩人に背き、新興仏教を創作)」
作家Xとほぼ同年代にSという男がいる。國柱會の門を叩いたが田中智学に面会を二回拒否され顕本法華宗に入った。本多日生に目をかけられ、篤信者からの財政援助で生活するとともに布教活動を行った。
しかし後に、篤信者から歌舞伎座に招待されたときに歌舞伎座は贅沢すぎて庶民とかけ離れていると機関紙に書いたため篤信者が怒り編集は会議で決定するよう要求、Sは最終決定権は自分にあると拒否、新興団体を結成し「南無釈迦牟尼仏ダーヤ」を唱えた。
Sは本多日生に敵対し、多額の財政援助をしてくれた篤信者を裏切った。一番許せないのは「南無釈迦牟尼仏ダーヤ」である。サンスクリット語ではダーヤを付けないと釈迦が主語なのか目的語なのか不明だというのがSの言い分である。しかし僧Xが南無妙法蓮華経ダーヤと唱えたか。念仏宗が南無阿弥陀仏ダーヤと唱えたか。Sは歴史を無視した。
五月十三日(水)「Sの問題点2(唯物論)」
Sはその後高野実らと労働運動や小作争議に参加し、戦後は社会党員、日中友好協会の東京都連合会会長を務め、晩年は日本共産党に入党した。Sは労農運動が広がらない理由を「無産運動家のいわゆる無産者ばりの非人格的行動の連続が大衆的嫌悪を醸成」「無産者運動が日本の伝統その他の客観的実情を無視したマルキシズムの公式強要」にあるとした。まったく同意見である。強いて異なる点を言えば無産運動を広げるために伝統その他を守るのではなく、伝統その他を守るために宗教や労農運動が存在しなければならない。伝統その他とは民衆が子々孫々まで平穏に生活することである。
Sは南無釈迦牟尼仏ダーヤを唱えた。もし伝統その他を守るのであれば「南無三宝」あるいは「南無仏」「南無宝」「南無僧」を唱えるべきであった。前者は日本で広く唱えられ「南無三」と略すこともある。後者は上座部仏教では今でもパーリ語で唱えられている。
伝統その他を軽視することが唯物論ではないのか。作家Xの心象スケッチは当時広がりつつあった唯物論を逆転させようとしたことを手紙に書いている。
五月十四日(水)「國柱會とX宗」
國柱會はX宗に近い団体ではない。X宗とは敵対していた。国柱会百年史によると
- (明治二十六年)百部経の行事をしている大阪寺町のX宗寺院の境内で屋外演説をはじめると、寺院側の暴力で会の捧持する玄題旗が破られるという事件が起きた。
作家Xは、その國柱會に入ったのであり、決してX宗ではなかった。次に國柱會の教義を見てみよう。
(2021年六月十六日(水)追記
僧X系四団体に言及するときはこのページも紹介することにした。新たに加入し、人生を大きく曲げることがあってはならない。XX会員の幼児餓死事件と、X宗悪坊主のボンネット上女性殺人未遂事件のやうな事件を、二度と起こしてはならない)
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大乗仏教(僧X系)その二
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