百三十九、日本における社会主義への道・平成版(二)不完全な民主主義
十一月一日(月)「戦後の民主主義」
右社と左社の違いの根源は、戦後の民主主義の評価にある。右社は戦後の民主主義万歳、左社は戦後の民主主義は不完全なものだと見做す。
今年九月の民主党代表選でのマスコミの偏向ぶりを見れば、今の民主主義が欺瞞であることが判る。マスコミだけではない。経済団体や労働組合や宗教団体が推薦を行う選挙は民主主義ではない。
十一月三日(水)「西洋民主主義の欠陥」
左社はまず国会で過半数を取り政権を確立した後にプロレタリア独裁に移行するとした。しかしプロレタリア独裁というのは語感が悪い。西洋の思想を直輸入し、単語を直訳するからこういうことになる。プロレタリア政権といえばよかった。国民政権といえば更によかった。
西洋の民主主義は本物の民主主義ではない。まず有権者は公益のみを考えて投票すべきだが、実際は自分の利益で投票している。立候補者も同じだ。公益を考えて立候補すべきだが名誉欲や金銭欲や権力欲で立候補している。西洋の視点から見てもこれだけ問題がある。
日本では更に問題がある。零か一かのデジタル思考は合わない。だから選挙で自民党と社会党のどちらに投票するかと言われても困る。社会党は特定の人たちの集まりみたいだから自民党に入れておこうということになる。
左社はここを突いて現今の民主主義に反対すれば、国民政権を樹立することができた。せっかく左右に別れそれぞれ躍進しているのだからそのまま別々に行動して連立すればいいのに、左社は綱領を決めた翌年に右社と合併した。それだけではない。自由党と民主党までが社会党統一に危機感を抱いて統一してしまった。
十一月五日(金)「アジアにおける日本の罪」
清水慎三氏が資本主義政党をも取り込んで民族独立を優先させたことは正しい。これは社会主義の前段階として行うのではなく、仮に独立の段階で留まったとしてもそれはいいことである。また資本主義政党と一まとめに言っても、それは社会主義者から見て非社会主義政党というだけであり、資本主義政党にも社会主義と変わらない人から財閥や地主の代弁者まで幅が広い。しかも財閥は解体し地主は農地改革で土地を手放していた。社会主義かどうかというデジタル発想が社会党長期転落の原因となった。
民族独立は、アメリカ占領軍からの独立だけではない。明治維新以降日本を軍国主義に導いた欧米思想からの独立である。選挙や国会を日本に合ったものにする。そうすれば独立を次々と果たすアジアの国々もそれに習い、うまく行けばインドシナ戦争は避けられた。少なくとも西洋思想を孤立させ、現今の地球温暖化は防げた。
明治維新以降の日本の侵略体質は決して過小評価できないが、それは多くの人々により論じられている。日本のアジアにおける最大の罪は、現在では欧米猿真似をアジアに持ち込んだことではないのか。
十一月六日(土)「左右統一」
左社が右社と再統一した理由に、左社の党内でマルクスレーニン主義の比重が高くなったことが挙げられる。それは左社の声明に「インテリゲンチャ」というロシア語が入ったことでもわかる。しかしマルクスの学説は欧州にしか当てはまらない。レーニンのやり方はロシアにしか当てはまらない。ここに再統一が実現した。
労働大学発行の書籍「日本社会党」によると統一した社会党の党綱領は社会主義インターのフランクフルト宣言を模写したものだという。社会主義インターとは欧州の社会民主政党の団体である。だから反共である。
「社会主義インター」自由なくして社会主義はありえない。社会主義は民主主義を通じてのみ達成しうる。民主主義は社会主義を通じてのみ十分に実現せられる。
「党綱領前文」社会主義は民主主義によって達成され、民主主義は社会主義において完成する。ゆたかな生活、自由、人間の尊厳も、社会主義のもとにおいてのみはじめて確立される。
確かに社会主義インターにそっくりである。社会党はマルクスレーニン主義政党を目指すのか欧州社民政党を目指すのかで党内抗争を続けてついに解党したと言われている。しかし本当は西洋型の民主主義はアジアには合わないという感覚が根底にあったから左派は伸びた。これは西洋の理論を追っただけでは出てこない。だから左右両派とも気が付かず特に左派はマルクスに走るか右派に走るかで、どちらも西洋化してその後は解党の坂を駆け下りていった。
ここで西洋式民主主義がアジアに合わないからといって独裁がいい訳はない。といって専門家にまかせるとエリート主義になる。ここに労働者による民主主義が重要になる。
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