二百三十、首相を廃止しよう

平成二十四年
一月十五日(日)「老中」
日本では首相がしよつちゅう交代する。これは当然である。江戸時代は老中が数人ゐて、そのなかの一人が老中首座を名乗る。この制度が長く続いたのは日本に合つてゐるためだ。
首相を廃止し老中を復活しよう。菅、野田といふ駄目な首相が二人続いた。そろそろ制度の変更を考へるべきだ。

一月十六日(月)「民主党の代表の任期」
老中首座なのに将軍になつたと勘違ひする愚か者がゐる。菅と野田である。民主党で代表の任期を延長するといふ話があるがとんでもない。それでは今後も菅や野田みたいなのが続出し暴走しよう。任期は一年でもよい。菅や野田を出さないために。

一月十六日(月)その二「知事や市長」
今は国会議員が駄目になり、東京、大阪、名古屋のやうに知事や市長に有能な政治家がゐる。かういふ政治家が仮に国政に進出するときは老中首座ではなく大老にすべきだ。しかし菅みたいに副総理のときを猫をかぶり首相になるや消費税で暴走する輩が大老になつたらどうするのか。次はそこを考へよう。

一月二十日(金)「政党出身者は老中止まり」
政党内で要領よく振る舞ひ出世した連中にはろくなのがゐない。かういふのが大老を気取ると大変なことになる。そもそも立法の多数派が行政を兼ねたら大変なことになる。戦後では、中曽根、菅、野田がその例である。
それにしても自民党は与党期間が五十年以上で中曽根一人なのに、民主党は二年間に菅、野田と二人も出してしまつた。
大老は(1)知事、市長出身者で、(2)政党とは無関係な者に限るべきだ。さて大老といふ用語が時代錯誤なら首相でもよい。老中首座が時代錯誤なら閣僚取りまとめ係でもよい。菅や野田は首相でも何でもない。取りまとめ係のくせに偉さうに振る舞ふからかういふ醜いことになる。

一月二十一日(土)「政党出身者が駄目な理由」
政党出身者が駄目な理由は国民と共に歩まないからだ。党内で出世することばかり考へる。マスコミに受けることばかり考へる。党支持団体の云ふなりになる。一番悪いのはアメリカと官僚の言ひなりになることだ。
政党に過去五年間所属せず、国民選挙で棄権と無効票を除いて一定の割合を取得した場合に一年間、大老(または総理大臣)にする。該当者が出ないときは国会その他で老中(または閣僚)を適当人数それぞれ指名する。閣僚は全員が非国会議員とする。閣僚の一人を首座としてもよい。老中は各省に割り当てる必要はない。大老が一年過ぎたときは老中にしてもよい。
ここまで変へないと中曽根や菅や野田みたいなのが今後も出てこよう。

一月二十九日(日)「大老が必要な理由」
老中首座ばかり続くと、縮小再生産に陥る。或いは堕落する。それを防ぐためにときどき大老が必要だ。
老中は各省に一人づつ配置する必要はない。それでは官僚の操り人形になる。各省は与党が任命した奉行にやらせる。奉行は従来の次官である。つまり次官職を官僚から取り上げる。老中と奉行は国会議員以外から選ぶべきだ。
日本は江戸時代の知恵を学ぶべきだ。西洋の猿真似をするから混乱を招く。(完)


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