二百十六、二つの人生

平成二十三年
十一月十九日(日)「昭和六十年まで」
昨日は労働組合の定期大会があつた。「閉会の辞」は私の担当なので次のようなことを話した。

昭和六十年あたりまでは日本では二通りの人生を選択できた。出世したい人は会社で頑張つて取締役や専務取締役になればよいし、それがあまり好きではない人は組合の青年部や職場委員になつた。組合のない職場は地区労に相談に行けばよかつた。
ところが総評が解体した結果、エリート組と落ちこぼれ組の二つになつてしまつた。落ちこぼれ組には非正規雇用や失業者も含まれる。新自由主義も行き着くところに行き着いた感じだ。総評には問題もあつたがまづ労働運動を総評の時点まで戻すべきだ。


十一月二三日(水)「途中で乗換へが可能」
二通りの一方を選んだといつても固定される訳ではない。出世を目指したが途中で組合活動に行くことも可能だし、組合活動家が出世路線に乗り換へることも可能だつた。
労働組合が変になつたのは昭和五五年あたりにストライキをやらなくなつてからだ。そのころから隠しベアといふ悪質なやり方が出てきた。例へば私の所属した富士通労組は電機労連委員長藁科の出身組合だし、電機労連の前委員長の竪山は連合初代会長である。次期連合会長も電機の藁科といふ掛け声が高かつたが全電通の山岸が次を狙い、藁科は社会党国会議員に出されそれでゐて本人は喜んでゐた。つまり富士通は連合の模範組合である。
それなのに職場委員への説明は「発表は何%だが実際は何%だ。富士通さんはウルトラCがあるから、と他の組合からうらやましがられてゐる」といふ不真面目なものだつた。 私が「他の組合も同じ事をしてゐるのではないですか」と質問したらしどろもどろになり「か、関西はやらないだらうな」と答へた。関西の松下、シヤープ、三洋は発表自体が高かつた。といふことは関東の東芝、日立、三菱その他は富士通と同じで隠しベアがあつたのだらう。
こんなことをやれば中小や未組織労働者は発表より更に低くされてしまふ。この時点で二つの人生は選択できなくなつた。エリートと落ちこぼれになつた。

十一月二六日(土)「外国の真似をすると外国より劣化する」
外国の真似をすると外国より劣化する。その理由は都合のよい部分だけを真似するから、権力のある側に有利になるためである。そして一旦崩れた平衡が回復するのに時間がかかるから、その間は弱い側が不利になる。
菅直人の消費税騒ぎがいい例だ。財務省の高級官僚にとり自分たちの負担の増へる増税は嫌だ。だから外国の真似をして消費税を上げて中より下の負担を増やさうとして大手マスコミと連動した。
日本の労働組合は企業別組合だから欧州の組合より著しく劣化してゐる。総評の左翼路線がそれを補つてゐたが総評は解散した。だから日本は労働組合がほとんどないに等しい。そのためエリートと落ちこぼれの二つしかなくなつた。

十一月二八日(月)「経営者と労働者の双方が苦難の制度」
資本主義だから経営が悪くなれば解雇はやむを得ない。しかし労働者は堪らないから職種別に労組を組織し均衡点に達する。これが世界の常識だ。
ところが日本では新聞といふ再販制度の上にあぐらをかいた連中が終身雇用の目線で記事を書く。だけど現実の社会を取材すれば新聞業界とは大違いだから、終身雇用は崩壊したとかの記事を書く。こういふ記事を見れば悪徳経営者がますますその気になつて退職嫌がらせや不当解雇を繰り返す。だから労組は、解決金を多量に獲るといふ強硬派から、不当解雇をする企業は後から入社する人の人生をめちやくちやにするから倒産させるべきだといふ穏健派まで多岐に亘る。どちらにしても経営と労働の双方に厳しい。(ここで悪徳企業は倒産させるべきだと言ったがそれが目的ではない。倒産も辞さない覚悟で労働運動をして経営方針を改めさせるべきだ。さうしないと新卒を採用しては数年で辞めさせるような企業がはびこる)
だから欧州のように職種別労組にすべきだ。まづ新聞の再販制度を廃止させ一般企業と同一条件にすべきだ。そうすれば一般の視線で記事を書くだらう。すべての労組が職種別になれば経営者は解雇し易いし、労働者も困らない(本当は失業率の問題があるがこれは資本主義の本質的欠陥でありここでは取り上げない)。労使双方が幸せになる制度にすべきだ。(完)


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