二千二百五(和語のみの歌)三島旅行記(湧き水と農業用水路の街を行く)
新春前癸卯(西洋未開人歴2024)年
一月八日(月)
本日は、仕事が入らなかったので、三島へ行った。一回目二回目に続き、三回目になった。今回は「湧き水と水路の街を行く」と副題が付いた。なぜ今まで、こんなに魅力的な街に気付かなかったのだらうと、一回目と二回目を読み直して分かった。どちらも沼津へ行った帰りに寄った。特に一回目は、駅前で寿司弁当を買っただけだ。今回は、本格的三島である。
予定では楽寿園へ行く予定だったが、調べると明治二十二年に造園されたもので、さう云ふところには興味が無い。それを取りやめて湧き水巡りにしたのがよかった。まづは白滝公園へ行った。前回も行ったが、あれは帰りに寄っただけだ。今回はじっくり観た。白滝観音堂の扉が開き、中から清掃用具を取り出してお婆さんが街路の清掃を始めた。めぐみの子と云ふ手押し井戸の像から水が出てゐないので、お婆さんに尋ねると、水道なので常時は出さないとにこやかに説明してくださった。かう云ふさりげない会話が交流として貴重だ。下手なテレビレポーターみたいにしつこく訊いてはいけない。
そのあと源兵衛川に沿ひ、中郷温水池まで歩いた。途中の三島梅花藻の里、雷井戸へ寄った。中郷温水池は、富士山の伏流水は低温のため、農業用水として陽の光で温める池で、戦後に県が作り土地改良区が管理する。市民の憩ひの場でもある。

  
清流復活1                     清流復活2                     ホタル復活

  
雷井戸の説明                   これが雷井戸かと思った。水量は多くないが横から出る   雷井戸                      

  
右が源兵衛川、左が農業用水を前方の橋で分水     梅花藻の里                      中郷温水池

--------------------ここから「和歌論」(百五十六の三)-----------------------
帰りは別の遊歩道を行き文学碑も見ようとして、スマホの地図により大場川に出た。東海道を左折し、三島大社へ寄り、文学碑は見ることが出来た。井上靖の文章は感心した。
三島町へ行くと
道の両側に店舗が立ちならび、
町の中央に映画の常設館があって、
その前には幡旗が何本かはためいていた。
私たち山村の少年たちは、
ひとかたまりになり、
身を擦り合せるようにくっつき合って、
賑やかな通りを歩いた。

太宰治は、大したことなかった(なんて云ふと太宰ファンに怒られるが)。空穂は字余りだし、どうも波長が合はない。遼太郎は、まったく素人の文章だ。司馬遼太郎周辺の人たちに失望で印象が極めて悪くなった。牧水は、歌以外に普通の文章も上手い。
宿はずれを清らかな川が流れ、其処の橋から富士がよく見えた。沼津の自分の家からだとその前山の愛鷹山が富士の半ばを隠してゐるが、三島に来ると愛鷹はずっと左に寄って、富士のみがおほらかに仰がるるのであった。克明に晴れた朝空に、まったく眩いよどに、その山の雪が輝いてゐた。

牧水が沼津に転居するのは、この翌年だ。芭蕉の俳諧は
霧しぐれ富士を見ぬ日ぞ面白き

と、全然面白くない。「霧しぐれ」は佳いが「面白き」で面白く無くなった。
霧しぐれ面白違ひしぐれでは日ほどではなし芭蕉違ひか 場所違ひかも

十返舎一九は無視。子規の俳諧も無視。ここで作家の人たちへ助け舟を出すと、文章全体が名文と云ふことはない。強いて云へば、名文が残りを牽引する。文学碑は、三島に関係するものを彫ったのであって、名文を選んだ訳ではない。
このあと菰池公園に寄って、三島駅改札を入った。
湧き水の都三島は 湯の都伊豆に在りても劣らずに 源兵衛川は水が減り汚れた水を 人々の力に依りて今清く 雷井戸や藻の里や 温かくする池もある 蛍も戻り旅にお薦め

反歌  三島には社のほかに水が在り人々により清きを守る(終)

追記一月十三日(土)
子規の石碑について、原文を調べた。石碑は
三島の町に入れば
小川に菜を洗ふ女のさまもやゝなまめきて見ゆ

面白やどの橋からも秋の不二

これでは無視するのが当然だ。ところがこの後に
(中略)笑ふてかなたの障子を開けば大空に突つ立ちあがりし萬仭(ばんじん)の不盡(ふじ)、夕日に紅葉なす雲になぶられて見る見る萬象(ばんしょう)と共に暮れかゝるけしき到(いた)る所風雅の種なり

が続く。「広報みしま」にも掲載され「(中略)」の部分は原文どほり。これなら、全体として悪くはない。しかし、前文と俳諧はやはり悪い。
つまらなやどの橋からも秋の不二所変へても形変はらず

つまらない理由は、「秋の不二」を「春の不二」「夏の不二」「冬の不二」に変へても変化しない。つまり季語が無いに等しい。「広報みしま」の引用は新聞「日本」に掲載された「旅の旅の旅」。この題名は醜く許し難い。「四季の子規の死期」は形を真似した冗談である。

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