二千二百四(和語優勢のうた)老いに気付く人は、老いてゐない
新春前癸卯(西洋未開人歴2024)年
一月七日(日)
昨年末の研修会で他の階へ移動する際に、小生以外は全員がエスカレータかエレベータを使った。小生だけエスカレータと平行する階段で、しかも一段おきに上がった。小生は、気力と体力が参加者で一番若い。
そればかりではない。今の季節は、朝の仕事が寒い。特に上の階は寒い。そこでエレベータを使はず、階段を上がるやうにした。最初は一階づつ作業をしながら上がったが、これだと体が温かくならない。一気に最上階へ上がり、降りながら作業をするやうにした。一日に三回くらい、最上階まで上がる。
その小生がときどき、かういふところが衰へたと書くが、事実を書くだけだ。老いに気付く人は老いてはゐない。老いに気付かない人は老いてゐるし、森老害や自動車暴走など周りが迷惑だ。
心とはもともと動き整はず 智慧で補ひ外へ出す 智慧は衰へ年毎に 補ひ足らず周りの人へ
反歌
老い障る補ひ足らず気も付かず障り受けるかまた与へるか
受ける障りならまだよい。森老害は自民党と国民全体が迷惑だし、自動車暴走は歩行者が危険だ。
---------------ここから「和歌論」(百五十六の二)-------------------
一月九日(火)
川端康成が自殺したことについて、晩年は文章を書けなくなったためだとする記事を読んだことがある。そのときは特に感想を持たなかった。しかし今回この特集に当てはめると、智慧による抑止力が不十分になって、精神を安定させる必要のあった康成が自殺したと云へる。
左千夫については、集合時刻を間違へたときに移動時間を考慮してなかったなど、変はり者だった印象を読者に与へる文章を幾つか読み、老化で智慧が衰へた為ではないかと、そのとき推理した。左千夫が亡くなったのは四十九歳だが、実年齢と体の年齢は異なる。左千夫は、洪水や子供の死など心労が重なって、体の年齢は六十歳だったのではないか。当時の六十歳は、栄養状態が今と異なるから年寄りだった。
整へる智慧の力は 歳により衰へ続け 周りから見ると奇行と思はれるあり
反歌
老いによる衰へ方は人により周りによりて二十(はた)年の差が
心を安定させる必要度、高齢による智慧の減衰、性格の個人差、周囲との関係、によるせめぎ合ひだ。龍之介は三十五歳で破綻してしまったが、これもやはり高齢による智慧の減衰と云へる。二十五年差だから普通の人よりかなり大きいが。(終)
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