千九百三十六(うた) 二度目の、沼津と三島旅行
壬寅(西洋野蛮歴2023)年
一月三十一日(火)
二月一日は仕事が空いたので、本日朝までに仕事が来なければ、二度目の沼津三島旅行をしよう。さう決めたところ、仕事とは無関係だが用事ができた。ところが電話とメールで手配が出来て、明日は手が空いた。
そのため夕方自転車で切符を買ひに行った。ジパング倶楽部の切符は、朝十時にならないと話せる指定券券売機が使へないためだ。
夕暮れに心弾ませ自転車で 明日の切符を買ひに行く 月に一度でこれで四度目

(反歌) 沼津では牧水最初の家跡に三島は大社大宮町に

二月一日(水)
朝は、皿洗ひと、洗濯物干しと、母に薬を飲ませることが小生の担当だ。共働きなので、家事を分担する。いつもと同じ時刻だが、これだと東京駅からの「こだま号」に少し遅れる。だからゆっくり家を出て、上野行きの東北線に乗った。この電車に乗る機会はまったくない。上野駅の下側ホームの階段位置がわかり、前方は東京駅に直通する電車と混雑が変はらないのに、後方が空く理由もわかった。
新幹線と在来線で、沼津に到着の後、牧水最初の家跡へ行った。かつて門柱が残ったが、今はマンションがあるだけと云ふホームページのとほりだった。完全に同一なので満足した。
部屋数も六つ、七つあったが、敷地が広く、六、七百坪もあったろうか、家の三方に庭があった。(中略)往還から門へ入るには小川をまたぐ土橋が渡され、そこに立つと広い田圃をへだてて狩野川の藪土手、そしてその上に富士山と愛鷹山がまともに仰ぎ見られた。

小さな用水があり橋が架かり、少し離れた位置に加納川が流れる。その先に富士山がある。牧水の文章のとほりだった。
酒屋を探したが無かった。東京電力パワーグリッドで、なぜ東京電力なのかと思ったが、富士川の手前で50Hzの区域だ。仲見世を歩いても無かった。しづてつストアの一階を廻ったが無かった。地下のスーパーへ行くと、伏見や灘など普通の酒はある。あと、地酒だと四合瓶で二千円前後はある。地酒でカップまたは高くなく四合は無かった。沼津の駅ビル一階も廻ったが無かった。在来線で三島へ着いた。車は沼津ナンバーから伊豆国ナンバーに変はった。稀に富士山ナンバーもある。
来るまで、沼津と三島は、浦和と大宮の関係に似ると思った。三島と大宮は新幹線が停まり、三島市大宮町と大宮市には大きな神社がある。沼津と三島の間には駿東郡清水町、浦和と大宮の間には与野がある。しかし沼津は駿河、三島は伊豆。ここが、浦和と大宮はどちらも武蔵との違ひだ。
三島大社まで歩いた。境内を廻ったあと、参道を少し歩くと「みからむ」と書かれた青銅葺きの壁の家が解体中だ。古いのに洋風の名とは珍しい。よく見ると、右から「むらかみ」だった。参道を引き返し、土産物店を覗いたが、地酒が観光客向けだ。そのまま歩いて業務スーパーで酒の棚を見ると、地酒はない。越後長岡の四合瓶が八百円強なのでこれを買った。近くの市役所別館の道路に面したベンチ(バス停待合)で一合飲んだが、味が無い。瓶には、どんな料理にも合ふと書いてあるが、味が無いのだから合はないことはない。14%だが、実感は10%だ。白滝公園のベンチで一合飲んだ。向かひの浅間神社を見たあと、駅の売店でおにぎり(沼津港鰺ひもの、220円込)、ひとくちサンドヰッチ(298円込)を買ひ、新幹線待合室でこれらと一合を飲んだ。車内で、残りの一合を飲んだ。
目を覚ますと新横浜を過ぎた辺りだった。帰宅後に昼寝をして、起きたあと入浴し夕食を作り母に食べさせ小生も食べ、妻が帰宅し就寝した。
沼津では酒屋が無くて 三島でも酒屋が無くて土産店業務スーパーよいものが無く長岡の酒を買ふ 四合瓶で味が無く 全部飲み干し牧水気分

(反歌) ひと月に一度の旅は牧水の気分味はひ健康保つ
(注意、酒が14度より低さうなので全部飲んだだけで、皆さんは真似をしないでください)
飲み過ぎは健康悪く周りにも迷惑かける社会の癌だ 牧水如何に
(終)

追記三月十日(金)
三月の日帰り旅行では、旅行中に二合と昼食だけだったので、帰宅後に喉が渇いた。二月の旅行でも四合と昼食だけなのに、帰宅後に喉は乾かなかった。と云ふことは、酒は10度以下だったのではないか。9度だと4*9/14=2.57(合)。飲んだ感覚と合ふ。

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