二千百七十四(和語優勢のうた)最新の歌論(赤彦全集第四卷から)
壬寅(西洋野蛮歴2023)年
十一月二十六日(日)
赤彦全集第四卷で、赤彦がみづほのや(窪田空穂)を訪問した話がある。前回引用しなかったものに
九年前長野で初めて相逢つて、それから四年間寝食を共にした。その間一度も歌の調子が揃つたことがない。
実は、小生も空穂と歌の調子が合はない。子規一門の人たちの歌で、小生が佳いと感じるのは5%程度だが、だからと云って残りの95%と調子が揃はないことはない。それに対し、空穂とは調子が合はない。この点は、赤彦と意見が一致した。
小谷古䕃の六杉園集を赤彦が批評した。
書かうと思つたのは、六杉園の感覚に鋭敏なところがあつて事象の捉へ方に割合に新しいものがあると思つたからである。(中略)勿論徳川時代の歌人中にあつて新しいと言ふのであつて、鋭敏さも新しさも大したものではない。
その理由として
感覚を統一して単一な力となし得るだけの魄力が不足してゐるのである。(中略)真淵の如き萬葉集崇拝者でさへも、その作歌に真に万葉の気魄を備へたものは幾らも見当らぬ。
子規一門の歌感が、よく現れてゐる。しかし気魄で美しさが出せるだらうか。歌に入り
雪間より畑の青菜も見えそめてけぶる朝日につぐみなくなり
畑の青菜も鶫(つぐみ)も写生から出てゐるから美しい。それに小理窟を付けてゐないのがいいのである。(中略)力が弱いから「畑の青菜も見えそめて」(中略)一所に力を集めて直敍することをしないので、中心点以外を顧盼し(中略)「も」は生まれてゐるのである。
小生は、この歌を美しいと思ふ。それは「雪間より畑の青菜」「けぶる朝日に」である。萬葉が直敍なのは、言霊信仰だと思ふ。それを明治時代に持ち込んでも、子規一門がさうであったやうに少人数に留まる。
赤彦は、晶子の官能歌を批判するくらいだから、官能にほとんど言及しない。そのやうななかで珍しく言及したのが、大正三年「信濃教育」十月号の
日本人は元来体欲の盛な人種であつた。(中略)これは記紀や萬葉集等によつて(中略)分る事である。それが甚しく制欲的に傾いたのは、支那と同様に儒教と仏教との影響であらうと思ふ。
儒教と仏教の影響ではあるが、文明の進歩、人類の進歩と言い換へることもできる。
この日本人が体欲や官能を抑制されて千年来仏教や儒教の鍛錬を受けたといふことは、一方から言ふと日本の文明が、乃至東洋の文明が徹頭徹尾積極主義なる西洋の文明に後れたといふ事にもなるであらうが、一面から考へれば日露戦争に、乃木大将や東郷大将の如き鍛錬された渋み(渋みより寧ろ寂びと言つた方がいいかも知れぬ)の勝つた軍人を出して、西洋人を驚かせてやつた(中略)到底千年来仏教や儒教の鍛錬を経た日本人で無ければ窺ひ知ることは出来ぬであらう。
ところが歌の世界は千年間、鍛錬された渋みのある歌が生まれなかったと云ふ。
釈尊と孔子の教へ千年を進むに対し 西洋の文明に依り此れを止め壊し真似して 国をも壊す
反歌
よろづはに歌を戻すに千年の進むを止めず壊すを止める(終)
「和歌論」(百五十一)へ
「和歌論」(百五十三)へ
メニューへ戻る
うた(七百十三)へ
うた(七百十五)へ