二千百八十七(うた)司馬遼太郎周辺の人たちに失望
壬寅(西洋野蛮歴2023)年
十二月十五日(金)
NHK取材班「『空海の風景』を旅する」は、とんでもない駄本だった。しかし無視すれば済む話なので、三日間ほど無視してきた。それとは別に司馬遼太郎に言及するページ作成のため、遼太郎を調べたところ「位階は従三位」とくだらないことを書いた人がゐた。もちろん本人の死後だ。文芸の評価は、作品ですべきだ。平安時代ではあるまいし、遼太郎の周辺にはくだらない人間がゐたものだ。そのため遡って「『空海の風景』を旅する」を批判することにした。
まづ、プロローグにNHKエンタープライズのチーフプロデューサなる男が
今から五年ほど前のことだが、(中略)NHK地方局の若手が取材構成する番組の手伝いを、日本全国をまわりながらやっていたことがある。(中略)二日ほど余暇ができたので、松山からバスに乗り、高知経由で室戸岬まで足を伸ばした。

こんな駄文が二十頁も続く。地方局若手の手伝ひと云へば聞こえがよいが、要は東京から口を出しに行くのだらう。第一章に入り、NHKエンタープライズ担当部長なる男が
取材日記を繰ってみると、六日から(中略)スタッフ全員が、初めて一堂に顔をあわせ、(中略)十日になると、風雨はいっそう強まり、(中略)親睦をかねた飲み会もとりやめ

とこれも駄文が八頁も続く。このあと斜め読み、頁読み、転読(頁をパラパラさせるだけ)になり、この本を終了した。奥付(この本は奥行きが無いから、実態は「表紙の続き」)を見ると、二〇〇二年八月発行。「空海の風景」は二〇〇二年一月放送だから、テレビを観た人の中に間違へて買ふ人や、図書館を狙ったものだらう。本は「さいたま市立桜図書館」とある。当時の司書を遡って職務怠慢で懲戒処分(給料は既に払ったので形だけになるが)してもよいくらいだ。
図書館にときどき置きてある駄本税金の無駄紙資源無駄 インクも無駄に

中央公論社は三十年前経営危機に陥り、一九九九年読売新聞全額出資の中央公論新社が事業を譲り受け、元の会社は半年後に解散した。その二年後だから、関係があるかも知れない。

-------------ここから「歴史の流れの復活を、その四百六十二」-------------------------
十二月十六日(土)
戦争を書く場合は、中途半端だと反日と云ふ名の社会破壊になるから要注意だ。この本の第一章に
戦時中、住民を轢き殺してもかまわないから「国家」を守れ、という上官の言葉に慄((りつ)然とした経験を持つ司馬遼太郎が(以下略)

まづ、どう云ふ状況で上官がさう云ったかを省き言葉だけ出すと大変なことになる。次に、負け戦は悲惨だ。勝ち戦なら、国民の保護を第一に考へる。負け戦にしたのは誰のせいか。岸信介や東条英機、マスコミではないのか。
三番目に、戦をしなければならない状況にしたのは誰か。世界のほとんどを植民地にした西洋列強だ。四番目に、植民地を持たざる国が戦争をせざるを得なくしたのは誰か。植民地を持つ国々が世界大恐慌のときに、域内輸入制限をしたからだ。
五番目に、民主主義国とさうではない国との違ひは何か。経済に余裕が無いと、民主主義を維持できない。そして植民地を持たざる国が民主主義を維持できなかったのは、四番目の理由だ。
戦争を書くときは、ここまで見なくてはいけない。中途半端に見ると、単なる戦勝国賞讃になる。
反日は社会破壊になる故に許すべからずしてはいけない
反日に欧米崇拝これもあり社会破壊で猿真似狙ふ
(終)

(歴史の流れの復活を、その四百六十一)へ (歴史の流れの復活を、その四百六十三)へ

兼、「マスコミ、その他独占企業の横暴を許すな138」へ 「マスコミ、その他独占企業の横暴を許すな140」へ

メニューへ戻る うた(七百二十六)へ うた(七百二十八)へ