二千一(うた)地元の話題(モリカゲ、でんきち、医療費の通知、建て売り二軒、高速道、二ヶ所で宅地化、イオン北戸田)
壬寅(西洋野蛮歴2023)年
四月二十八日(金)
南浦和駅武蔵野線ホームにモリカゲの看板がある。その広告が、何と改札を入った正面にも表れた。モリカケ柳河桜藪黒トリー敗カルト債放を風化させるな。
駅の中 武蔵野線のホームには歯科の広告二年間 新たにできたもう一つ改札の中すぐ目の前に

(反歌) 開通後武蔵野線は五十年貨物激減旅客は増加
(2024.3.9追記)武蔵野線ホームへ行ってみたところ、壁の色を統一し看板は無くなり、改札正面のみになった。

四月三十日(日)
一昨日、デンキチ蕨店が300m北側に移動した。埼玉新聞のホームページによると
新店舗の売場面積は、旧店舗のおおよそ4倍となる。
2000年4月のオープン当初から23年間にわたって蕨店として営業していた旧店舗は、今年秋に「デンキチ総合リフォーム館」として生まれ変わる予定。現在、県内を中心に18店舗を展開するデンキチは全て家電量販店であり、リフォーム館単独の店舗は初となる。

小生は一九九三年に横浜へ引っ越した。だから懐かしさはないのだが、昨年末に二回買ひ物に行ったことがあった。一回目は全自動洗濯機の調子が悪くなり、買ひ替へようとした。年末で待たされるので中止した。すると洗濯機の調子が戻った。二回目は、タイマーを買ひに行った。取り扱ってはおらず、別のホームセンターで購入した。
ペリカンの石鹸会社工場が 蕨にありて国道に香り漂ひなつかしく 後に火事あり深谷に移転

(反歌) ペリカンの跡地の写真道一つ越えた隣に写るデンキチ
写真とともに、読んだ人の書き込みで
マルエツ蕨北町店の建物は、ペリカン石鹸が所有しているようです。

別の人が
私は、浦和に住んでるんですが、ペリカン石鹸の煙突は、17号を自転車で走ってる時に、いつも見ていたので、こちらの記事を読んで、すごく懐かしい気持ちになりました。

更に別の人が
俺は昔「ペリカン石鹸」に勤務してました。
1997年正月早々漏電によって火災が発生して、工場は焼失してしまいました。
仕事始めが大惨事になってしまいました。
その後新工場は深谷に出来たみたいです。

小生は、二番目の書き込みと同じ気持ちだ。

五月五日(金)
さいたま市役所(問ひ合はせ先は各区保険年金課)から葉書が来た。昨年九月から今年一月までの、医療費の額と窓口で払った額の一覧表だ。一回だけ医療費が10700円のものがある。他は高くても五千円前後だ。これだけ高いのは、鼻の奥がひりひりするので通院したところ、光ファイバーで鼻の中を見たからだ。ひどい水増し検査である。これ以降、この耳鼻科は取引禁止に指定した。
医療費に水増し検査水増しの治療があったら 国民の健保制度は破壊をされる

(反歌) 新型のコロナ検査でテントなど設けた分を浮かせる為か

五月十一日(木)
最近、建て売り二軒同時販売が目立つ。現在二ヶ所で売り出し中、もう二ヶ所は造成中だ。これは、元々一軒だったものを、二つに分割した。今は三階建てがほとんどだ。
一軒を二つに分ける副作用庭がますます消滅をする
建て売りは劣化が早い資源が無駄に 建築の条件付きも事情は同じ

(追記5.14)造成中二ヶ所のうち一ヶ所は、三つに分割できる。四つは無理か。

五月十五日(月)
先週「信濃の旅」の往路で、戸田インターから首都高に入った。最初事情が分からず、外環に入ったと思った。なるほど新大宮バイパスの頭上に首都高があることは分かる。しかし我が家のすぐ近くから入れることは気付かなかった。
「信濃の旅」の帰路は、関越道から外環に入ったが、大泉JCTが都内だとは知らなかった。地図で調べると、わずかだが都内を走る。外環が、他の自動車道とは別料金と云ふことも、今回初めて知った。
小生が自動車に乗ると、浦島太郎が帰って来た状態だ。何しろ小生が運転した時代(1984年まで)は、首都高の環状線は竹橋の横だけだった。外環は無く、一般道の浦和所沢線を使った。
自動車の助手席に乗り 首都高へ 関越道から外環へ 往きと帰りに新しき事ばかりにて浦島多朗

(反歌) 首都高や外環道は便利だが地球温暖心配続く

五月十六日(火)
帰宅の時に、蕨駅で人身事故があった。赤羽から先は、京浜東北線が不通なので、まづ赤羽駅の改札で、南浦和までの定期券で北戸田へ行けるか訊いたあと、北戸田で下車した。菊名から浦和へ引っ越したあと、半年ごとに定期券を南浦和と北戸田で交互にしたことがあった。北戸田のほうが少し遠いのと、外環道下の国道で信号待ちがあるため、最後は南浦和のみになった。だから北戸田から帰宅するのは、懐かしい道である。大きな駐車場が立ち入り禁止になった。十二軒だかの戸建てになるさうだ。
行き帰り 三つ面する駐車場通路もありて巨大にて 斜めに歩き近道をした

(反歌) 北戸田は経路たくさんあるために駐車場内ときどき歩く
昼食のあと、安売りスーパーへ行く途中、飯田噴霧器の跡地が二分割され、売りに出された。飯田噴霧器の家は右にあるから、三分割になる。不動産会社のパンフレットでは、建築条件付きで古家あり(更地渡し)たが、既に更地になった。片方は国道と水辺公園に面し、もう一つは、やや旗ざお地だ。
我がいへ(家)が引っ越したとき 看板がある噴霧器の店壊し売りに出された いそ(五十)年の記憶は長く巻き戻される

(反歌) 農業がこの地から消えいそ年後噴霧器店は静かに消える

五月十七日(水)
昼食後に、自転車でイオンショッピングモール北戸田へ行った。無料シャトルバスが、去年十一月から土日祝のみになった。南浦和からの路線バスも、かなり減便になった。

(見沼代用水と地元の話題、四十八)へ (見沼代用水と地元の話題、五十)へ

メニューへ戻る うた(五百四十)へ うた(五百四十二)へ