二千(和語のうた)1.平衡を取る人生、2.歌論
壬寅(西洋野蛮歴2023)年
四月二十九日(土)
小生のホームページは、昔の感覚で云ふと左も右も主張する。根底にあるのは平衡感覚だ。最近の特徴として、反米を鮮明にすることがある。アメリカには八ヶ月仕事で滞在したが、よい思ひ出だった。一度も嫌なことに出会はなかった。それなのになぜ反米を時に言はなくてはならないかと云へば、日本のマスコミが拝米だからだ。
反西洋を主張することもある、西洋野蛮人または西洋野蛮文明と云ふ表現で。欧州にも一ヶ月ほど出張したが、これもよい思ひ出で、一度も嫌なことには出会はなかった。それなのに西洋野蛮文明と表現する理由は、日本のマスコミが偏向するからだ。
平なる衡(はかり)の心 必ずや要(かなめ)となりて いつまでも世を守る術(すべ) この星と生き物守る人の努めに

(反歌) 平らなる衡(はかり)を持つは長い目で世を見渡せば自づからなる

四月三十日(日)
左も右も主張するときに、社会の為と云ふ大きな目的がないと、大変なことになる。薩長連合はその例だ。土佐藩、福井藩などの幕府諸藩連合にすべきだった。権力に眼がくらんだ守旧の薩摩と社会破壊勢力の長州が、坂本龍馬を暗殺した。
ヒトラーの国家社会主義ドイツ労働者党も同じだ。そのヒトラーと同盟を組み戦争を始めたときの閣僚を尊敬すると発言した男がゐた。社会の為なのか、私利私欲の為なのか。それを間違へると、大変なことになる。
世の中の為と平らな衡(はかり)とは 同じ事にて言葉のみ異なるもので 世の中が永く続くを願ふ心に

(反歌) 長い目と世の中の為世が続く目指すは同じ平らな衡(はかり)

-----------ここから「良寛の出家、漢詩、その他の人たちを含む和歌論」(百六十四)-------------------
四月三十日(日)その二
うたに進出して五百四十になった。これも平衡の一つだ。近年は言葉を美しく使はない人が多くなった。特に欧米語の乱用だ。二つ目に、歌で字余りが多い。五七五七七と古来続いたのだから、これに反するものは歌ではない。三つ目に、近年は心の微妙な動きを表現することが多くなった。二十四時間三百六十五日発情期女与謝野晶子の激情表現よりはましだが、それでも微妙な動きは俳諧と川柳の中間だ。四つ目は和語のみの歌を、ときどきは作るべきだ。五つ目に、長歌、旋頭歌、仏足石歌が消滅した。六つ目に、枕詞、序詞がほぼ消滅した。
これらの平衡として、歌に進出した。今回は、字余りを取り上げたい。字余りは、醜い。例外として、「あいうお」を含むものは良いと云ふ。しかし字数一杯のあとに「あいうお」を含んでも、醜いことに変はりは無いのではないか。そのやうな疑問から、本居宣長「玉勝間」を読むと
其句のなからに、あいうおの内のもじある時にかぎれることなり、

とある。「なから」とは、半ば、中途の意味なので、句の最初や最後は駄目なことが判る。現代人は、かう云ふ感覚が無いから、本来は字余りをしないほうがよい。しかし「あいうお」の字余りを認めると、表現力が格段に向上する。
句の途中の「あいうお」について宣長は
あいうおノ四音ハ、語の中ニ在トキハ省ク例多シ

なるほど、小生が五音の六音目、七音の八音目は駄目ではないかと疑問を持ったのも当然だった。(終)

「良寛の出家、漢詩、その他の人たちを含む和歌論」(百六十三)へ 兼「良寛の出家、漢詩。その他の人たちを含む和歌論」(百六十四の二)へ
前の和歌論は(百五十三)

(兼、歴史の流れの復活を、その四百五十の二)へ (兼、歴史の流れの復活を、その四百五十一の二)へ

メニューへ戻る うた(五百三十九)へ うた(五百四十一)へ