二千六の二(和語のうた)信濃旅行外伝
壬寅(西洋野蛮歴2023)年
五月十三日(土)
一、初めて浅間温泉の旅館に宿泊
浅間温泉へ行くと、昔は母の実家に泊まったから、普通の旅館に泊まるのは初めてだ。この旅館は総畳敷きで、これはプラスチック製畳が出たからできることだ。高級感があってよい。
欠点は共同風呂が、沸かし湯で水で薄めて、しかも循環式だ。湯舟には、幅30cm、高さ15cm程度の湧き出し口が水面より10cmほど上にある。かつては、ここから滝のやうに流れ落ちたのだらう。
入浴して気付いたのは、湯花がない。次に湧き出しがない。これが一回目だった。二回目は放湯口を見つけ、これがぬるくならない理由だ。湯舟からお湯が溢れないから、循環式だと気付いた。一回目は夕方だったので、専用湯でお湯を使ってゐるためだと思った。しかし明け方に入っても、滝からお湯が出ないし、湯船から溢れない。
温泉分析書と別表は、浅間温泉全体(第2、4号源泉、山田源泉、大下源泉、東北源泉の混合泉)のものだ。別紙1があり、これはこの旅館名が書いてある。これには
温泉資源の有効活用のため、加水しています。
温度管理のため、加温しています。
温泉資源の有効活用のため、循環ろ過装置を使用しています。(1階のみ)
衛生管理のため、塩素系薬剤を使用しています。

とある。共同湯の大きな放流口から、かつてはかけ流しだったが、経営者が変はるときに、権利を分割して売却したのかも知れない。ここの旅館は、十年前に経営が株式会社に変はった。そのとき、各部屋もスリッパを脱ぐ場所をかさ上げし、廊下を含めて畳敷きにした。
沸かし湯ではあっても、夜中のあいだ入浴できるのは合格だ。
浅間の湯旅籠一つ目泊まるのは 長らく母の出た家に泊まりた故に この宿はすべて畳を敷き詰めて これも初めてまづは驚く

反歌  浅間の湯寂れ続けたわけ問へば円高により外の国行く

二、ウェストンホテル跡
ウェストンホテルは、廃業ののちも建物が残る。かつて大きなホテルだと思ったが、今見ると中規模ホテルだ。昭和四十年頃祖母が、ウェストンホテルは部屋に風呂があって沸かし湯だと語った。当時は、部屋に風呂があるなんて贅沢過ぎる感覚だった。
世の中が贅沢になり、建物も大きくなった。沸かし湯ならよいが、加水は抵抗がある。仲居さんの話では、ウェストンホテルで催し物があるし、宴会では机などを借りることがあるさうだ。

三、母の実家
母の実家は、昭和四十年頃建て替へた。室内の壁が柔らかく、当時は高級感があった。しかし今見ると、ずいぶん狭い。水屋が別にあり、水道とかまどがあった。歯を磨いたり顔を洗ふときは、玄関から出て右側の水屋を使った。電気がないが、家の明りで慣れれば大丈夫だった。
一階が二部屋と台所、二階が二部屋。一階の奥の部屋が居間を兼ねる。台所は板敷き三畳で、テーブルがあり少人数で食事をすることもできた。厠はあるが風呂は無かった。
後に、二階に厠と台所を増設し、階段から入り口を分けて、借家にした。一階は玄関とは繋がらない廊下があった。二つの部屋はふすまで繋がるから、何のための廊下か不明だ。室内の縁側かな。昭和四十年代前半の家の特徴をよく表す家だった。
縁(へり)の路床の間と庭日の本の家の本(もと)にて心休まる


四、不動の滝
不動の滝は、前は手前から角木二本をロープで結んだ橋で小川を渡り、行くことができた。今回行かうとしたらは橋が無くなったので、階段を上がったあと反対側に降りた。ここで異変が起きた。滝に水がない。寺の裏に塩ビ製のパイプが置いてあるので、工事中かも知れない。
前回の旅行で、滝を作り浅間公園としたことを知った。それまでは、寺か神社の所有物だと思ってきた。今は不動明王があるが、昔は無かったと思ふ。

五、桜ヶ丘
桜ヶ丘は、野生動物から農作物を護るため柵が作られた。手で開けて閉めればいいのだが、これが桜ヶ丘を寂れさす原因か。中で倒木が五本ほどあり、太い幹に登り反対側に降りて、山道を登り続けた。山道が左に曲がってすぐのところに開けた場所があるはずだ。ここから浅間温泉の街がよくみえるはずだ。ところが無い。そのまま山道を登り続けたが、旅館の締め切り(十時)に間に合はなくなる。そのまま引き返すことにした。
ところが降りる途中で、左千夫の歌碑と説明板を見つけた。怪我の功名だった。

六、中町通り
松本城に行く途中、中町通りは各店の下半分に格子の模様を付けただけだ。ところがこれで、街の雰囲気が一気によくなる。昨夜泊まった宿の総畳も同じだ。
皆の協力で、街の雰囲気が一変する。ここはその模範だ。

七、美味しいそば屋とシンガポールからの観光家族
昼食は、下の子が調べて美味しいそば屋に行くことにした。ところが道が判らない。車が入れないやうな路地だ。下の子が車を降りて探しに行った。暫くして戻って来て、車を走らせて、店の前で店主の老人が待ってゐてくれた。その先の塀の先に止めて、と無事店に入ることができた。元は寿司屋か海鮮料理だったのではと思はれる設備だ。座敷とカウンターがあり、我々はカウンターで食べた。
暫くして、アジア系外国人の若者と両親が入って来た。ところが言葉が通じない。小生が英語で通訳をするか、と思ってゐると、下の子が通訳をしてくれた。下の子は戻ってきたあと、中国人なのに中国語が通じなかったので英語にしたさうだ。下の子は第二外国語が中国語(単に卓球の関係で、親中派とかではない)だ。小生が、台湾か香港かシンガポールかな、と話すうち注文が決まって再度行った。今回は小生も耳をそばだてたので、シンガポールから来たことがわかった。
食べ終へて出るときに、店の老夫婦が喜んでゐた。

八、圏央道
往路は首都高の中央環状線経由だったが、復路は八王子から圏央道経由になった。復路は平日なので、首都高は混むのかも知れない。中央自動車道はそれほど混まなかったが、圏央道の交通量が多いのには驚いた。渋滞はしなかったが、速度は少し遅くなった。
大型トラックを更に大きく背を高くした貨物が目立った。調べてみると、東名高速にもつながる。圏央道が出来たことさへ知らなかった。それでも計画を知るだけましだ。中部横断道は、計画さへ知らなかった。圏央道が出来たことを知らない理由は、外環が中央道に繋がらないのに、なぜ圏央道を先に作るのか。

-----------ここから「良寛の出家、漢詩。その他の人たちを含む和歌論」(百六十四の二)-------------------
江戸の外(そと)環(わ)の車(くるま)道 それよりもはるか大きく遠回る あづまを圏(かこ)ふ央(なか)ば道 先に作られ大型走る

反歌  江戸の内高き速さの道にても環は二つにて外にも二つ
外環と圏央道は固有名詞だから、和語の歌に入れても本来は構はない。しかし二つとも語感が固い。だから柔らかくするため「そとわ」「かこふなかば」として、しかも一般名詞にした。

「良寛の出家、漢詩、その他の人たちを含む和歌論」(百六十四)へ 兼「良寛の出家、漢詩。その他の人たちを含む和歌論」(百六十四の三)へ
-----------ここまで「良寛の出家、漢詩。その他の人たちを含む和歌論」(百六十四の二)-------------------

(追記)ウエストンホテルの資料を発見した。
客室数 45室
最大宿泊人数 250人
築年/改築年 1981年 / 2000年
駐車場 70台(無料)
2006年閉店

一九八一年に建て替へたのだらうか。

五月十四日(日)
九、横田と自動車学校前
旅館で、夕食のときに仲居さんと話した内容に間違ひがあったので、次のメールを送った。
(旅館名)気付
担当仲居様

7日に宿泊しました。夕食の用意をされた仲居さんと話をした際に、 新町と横田を間違えました。そのため、浅間線は横田、新浅間線は自動車学校前で 運賃が変わると云ったため、仲居さんが自動車学校の位置が変わったのかと話され ましたが、自動車学校の位置は変わっていませんでした。
新浅間線は、最初は自動車学校前で運賃が変わり、後に横田でも変わるようになった と思います。今は券を取るので、更に細かく分かれていますが。
路面電車があったときは、浅間温泉駅で、松本までのほか、松本経由新宿などの切符も 売っていました。
昭和49年までは本郷村だったため、祖母が横田までは松本市だと話したのを今でも 覚えています。昔は、横田の辺りは一面農地でした。
横田は本郷村なので、横田の隣まで松本市の意味だったと、先程地図を見て初めて 知りました。

宿を出たあと、宿から電話があり、傘を忘れたことに気付いた。取りに戻ったついでに、浅間温泉駅の跡地まで行った。少し広場になった辺りが、駅跡を物語る。

十、松本第一高校生徒によるAsaMap
宿に、旅行案内が幾つもある。無関係のものは紙が無駄になるので、必要な三つだけを頂き、どれも十分に活用した。どう読むのか不明だが「松信州本」(松本市・松本観光コンベンション協会)、「信州松本周辺案内」(松本観光コンベンション協会)、AsaMap(松本第一高校 学術探求コース 総合学術系統)である。
「松信州本」によると、市内に十六ヶ所の温泉がある。このうち崖の湯温泉は、高ボッチの途中にあった。宿が二軒もある、と云ふのは冗談で二軒しかない。よく探すと三軒ある。かう云ふところでのんびりしたい、と云ふ人にはよいだらう。
横田温泉は、宿が一軒もある、と云ふのも冗談で一軒しかない。よく探すと二軒ある。ここは元の新浅間温泉で、今は改称したらしい。
AsaMapには、源泉の位置と名称があり、これは興味深い。最終頁に歌碑・句碑特集があり、六つを紹介するが、桜ヶ丘の左千夫の歌碑がない。浅間温泉では、左千夫が一番有名だが、行ってみて判った。柵や倒木があり、普通の人が行く場所ではない。大音寺山ハイキングコース、御殿山ハイキングコースが出来て、桜ヶ丘は過去のものになった。しかし左千夫の歌碑は貴重なので、旧浅間温泉駅の広場辺りに移転するとよい。(終)

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