千九百八十一(うた) 1.東郷豊治「良寛全集」下巻、2.良寛について最新情報
壬寅(西洋野蛮歴2023)年
三月三十日(木)第一部、東郷豊治「良寛全集」下巻
上巻が良かったので、次に下巻を借りた。下巻の優れるところは、巻頭の解説であらう。文台編『草堂集』が出版に至らなかった経緯や、『草庵集』と云ふ別の歌集があることを、興味深く読んだ。
なぜ『草堂集』は刊本にならなかったのか。(中略)示寂後、これが文台の手で計画されているのを知って、少数の僧侶たちが妨害したからである。その理由は、文台のような僧籍のない一儒家によって(以下略)。

そして驚くべきことは
尼僧貞心も反対者の一人であった。

我々は、貞心を善人だと考へ、それは正しいのだが、別の角度から見ると違ふのかとも思ふ。
良寛の飄逸な生活ぶり、その優美な歌格、それに郷土人士の間の篤い徳望は、たまたま北游して彼と面晤した江戸の学者・歌人たちをも驚かせたようだが、.亀田鵬斎や大村光枝のごときは、特に彼の創作に注目したとは思われない。

東郷さんの云ふことなので、正しいのだらう。
本文に入り、和歌は親しみを持つものが多い。理由を考へるると「手毬つき」と表題のある章から始まる。章と云っても八首だけだが。次は「子供と遊ぶ」「鉢の子」と続く。小生も鉢の子の語に慣れた。
ところが途中から異変を起こす。東郷さんの付けた番号で130辺りから、退屈だと感じるやうになる。これが短歌の欠点だ。短いから、何かもう一つないと単調になる。良寛の場合は、筆と日常の清貧な生活だ。本日は300まで読み終へた。

四月一日(土)
一昨日の続きで301から読み始めた。一日空けると新鮮になる。ところが400で一旦中断し、暫くしてから続きを読み始めたところ、また退屈になった。一昨日と全く同じ現象だ。
本来一首を書いたものを何回も読むはずなのに、歌集は一回で先へ行く。その弊害が出た。512の
世の中にまじらぬとにはあらねどもひとり遊びぞわれハまされる

について、自画像の賛とある。この解説は貴重だ。この歌で、良寛の性格を決めることが多い。しかしこれは賛だ。
本日は600で終了せず、1000まで読んだ。981の
あは雪の中にたちたる三千大千世界(みちあふち)またその中に沫雪ぞ降る

小生も理解できず、前に「あは雪」と「沫雪」の違ひかと考へたこともあった。しかし飯田さんが大千世界をさとりと訳注したことから、三千大千世界もさとりと訳し、あは雪の中で坐禅をして、そこに沫雪が降る。これが一番正しいのだらう。

四月三日(月)
本日は、短歌のすべて1277までと、旋頭歌等1313まで読み終へた。1132の
ひさかたの月の光のきよければ照らし貫きけり唐も大和も

この歌は一昨年の五月にも吉野秀雄「良寛歌集」で取り上げた。そのときは、短歌に和語のみを用ゐるのは、「唐」の語があることで明らかなやうに反中国の意味ではないと書いた。その後、良寛の渡航説を読み今思ふことは、やはり渡航説は正しい。
1159から後の
あはれさはいつはあれども葛の葉のうら吹き返す秋の初風
秋山は色づきぬらしこの頃の朝けの風の寒くなりせば
秋もやゝうら寂しくぞなりにけり小笹にあめのそゝぐを聞けば
里子らの吹く笛竹もあはれ聞くもとより秋の調なりせば

と美しい歌が多い。良寛は秋が合ふのかな。冬では1204の
ひさかたの雪野に立てる白鷺はおのが姿に身をかくしつゝ

白鷺の白さと、雪の白さを詠ふ。

三月三十一日(金)第二部、良寛について最新情報
良寛について、最新情報をまとめると
一、禅は、自力ではなく仏力だ。

ラヂオ体操をすれば健康になるのは、自力だ。禅が自力なら、ラヂオ体操と同じになる。固定思想(宗教)は、本来他力だ。他力では阿弥陀仏と勘違ひするから、仏力とした。阿弥陀仏だって仏だから、仏力になってしまふが。
二、起承転結のうちの結を、結論(良寛の本心)と考へてはいけない。

小生の例で説明すると
葛西と安倍の低級理論に乗ってはいけない。(中略)乗っていいのは、葛西亡き後の東海道新幹線だ。

東海道新幹線の話は結で、葛西と安倍の話に乗ってはいけない、を強調させるものだ。決して「東海道新幹線の話だ」と考へてはいけない。起承転結とは云ふものの、四つが揃はない場合も多い。その場合の結を、結論(本心)と考へがちだ。
三、宗内を批判すると、宗内と不仲になる。

良寛が曹洞宗のお寺ではなく、真言宗の境内や、浄土真宗の信徒宅に滞在したことについて、曹洞宗を抜けたのではなく批判したためだらう。だから
世の中は術(すべ)なきものといまぞ知る背けばつらし背かねば憂し

は、良寛の性格を詠ったのではなく、曹洞宗を批判し続けたことを詠ったのだらう。
四、悟りを得ようとしなかったことがよかった。

悟りを得ようとすると、それに執着してしまふ。その一方で、法華賛最後の
一念 もし能く契はば、
直下に 仏地に至らん。

とする自信に溢れた文章もある。前に、渡航の影響だらうと分析した。
五、定型にすることが美しい

良寛の歌は、定型にすることが美しいとする考へで作られる。そしてそれは小生も同じだ。良寛はもう一つ、筆で書くことの美しさがある。小生は代はりに、非定型の中へ埋めることで美しさを出した。
西洋の野蛮文明止めないと すべて滅びて死の星に まだ人類は自業だが 多く生き物巻き添へとなる

(反歌) 人類が全員地球の癌となりあとは滅亡間近に迫る
東郷豊治「良寛全集」下巻を読んだメモ書きに、この歌を書いた。良寛の時代まではよかった。そして、今こそ良寛の生き方から学ぶべきだ。

四月六日(木)
二つの内容が混在すると判りにくいので、一部と二部に再編した。
全集と最新情報混在の日付順から一部と二部へ
(終)

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