千五百九十(新和語の歌) 良寛の歌
辛丑(2021)
五月二十六日(水)
吉野秀雄「良寛歌集」を図書館で借りた。昨年の八月に歌へ本格進出してから、良寛の思想、人生、歌について調べたい気持ちがずっと続いた。しかし借りた本は、良寛について余分なことばかり書く退屈な本だったり、文章が拙劣な本だったので途中で読むのを止めた。そしてそのままになってしまった。
今回借りた本は、本文の前に三十八頁に亘る「解説」に著者の考へを集めたので、ここだけ読まなければよい。これは良い書籍だ。
歌の本 歌そのものと 意味のみを 書くべきにして そのほかは 省き読者は 心地よく読む


五月二十七日(木)
春夏秋冬雑と五つの段落に分かれる。まづ「春」を読んだ。どの歌も美しいものばかりだ。しかしどの歌が良いか選べと云はれたら、選歌に困る。どの歌も美しいが、一から八七まで選ぶに躊躇する。ところがその先は、選ぶべき歌が続く。
八八  あしひきの山の桜はうつろひぬ次ぎて咲きこせ山吹の花
九二  わが宿の軒端の峰を見わたせば霞に散れる山ざくらかな
一〇七 あしひきの片山かげの夕月(づく)夜ほのかに見ゆる山梨の花
一〇八 春雨のわけてそれとは降らねどもうくる草木のおのがまにまに
一一〇 春の野(ぬ)に若菜積みつつ雉子(きじ)の声きけば昔の思ほゆらくに
一一一 はふつたの別れし暮はさのつ鳥同じ思ひの音(ね)をや鳴くらむ
一一二 あしひきの青山越えてわが来れば雉子(きぎす)鳴くなりその山もとに


五月二十八日(金)
「夏」の歌は
二〇五 夏衣裁(た)ちて着ぬれどみ山べはいまだ春かもうぐひすの鳴く
二〇九 時鳥いたくな鳴きそさらでだに草の庵はさびしきものを
二一〇 いづちへか鳴きて行くらむ時鳥さ夜ふけ方にかへるさの道
二五一 五月雨の晴れ間に出でて眺むれば青田涼しく風わたるなり
二五六 わくらばに人も訪ひ来ぬ山里は梢(こずゑ)に蝉の声ばかりして


五月二十九日(土)
「秋」は
二八五 さびしさに草のいほりを出でてみれば稲葉おしなみ秋風ぞ吹く
二八八 あはれさはいつはあれども葛の葉の裏吹き返す秋の初風
二九一 秋もややうらさびしくぞなりにける小笹に雨のそそぐを聞けば
三〇七 秋もややうらさびしくぞなりにけりいざ帰りなむ草の庵へ
三〇九 里子らの吹く笛竹もあはれきくもとより秋のしらべなりせば
三一四 訪ふ人もなき山里に庵してひとりながむる月ぞわりなき
四四〇 わが待ちし秋は来にけりたかさごの峰(を)の上(へ)にひびくひぐらしの声
四五一 虫の音も残りすくなになりにけりよなよな風のさむくしなれば
五一三 うべしこそ鹿ぞ鳴くなるあしひきの山のもみぢ葉色づきにけり
五一七 秋さらばたづねて来ませわが庵を峰の上の鹿の声ききがてら
五二三 永き夜にねざめてきけばひさかたの時雨のさそふさを鹿の声

以上とは別に
五三九 もたらしの園生(そのふ)の木の実めづらしみ三世(みよ)の仏にまづ奉る

この歌自体を選んだのではなく、これまでに「三世の仏」が何首か出て来たので、代表して取り上げた。曹洞宗は現世の釈尊だけに奉るのかと思ったが、さうではなかった。もう一首
ひさかたの月の光のきよければ照らし貫きけり唐も大和も

歌に和語のみを使ふのは、語調が好いからであって、唐に敵対するためではない。

五月三十日(日)
「冬」は
五四七 冬がれのすすき尾花をしるべにて尋めて来にけり柴の庵に
五七二 はらはらと降るは木の葉のしぐれにて雨をけさ聞く山里の庵
五七七 谷の声峰の嵐をいとはずばかさねて辿れ杉のかげ道
五九六 いまよりは往き来の人も絶えぬべし日に日に雪の降るばかりして


「冬」は少なく、次の「雑」が極めて多いので本日はその一部を先読みすると
六五六 山かげの荒磯(ありそ)の浪の立ちかへり見れども飽かぬ一つ松かも
六六五 つれづれにながめくらしぬ古寺の軒ばをつたふ雨をききつつ
四首の詞書  人の国にはありもやすらむ、知らず、この国には疱瘡(いも)の神とて七としに一たび国めぐりすといふ(中略)親のもとへよみてつかはしける
七〇〇 煙だに天つみ空に消えはてて面影のみぞ形見ならまし
一首、略
さてその法名はといへば信誓と答(いら)へばかくなむ
七〇二 御仏の信(まこと)誓(ちか)ひのごとあらばかりのうき世を何願ふらむ
一首、略
七三八 彼れ是れとなにあげつらふ世の中は一つの玉の影と知らずて

六道を越えることは、南伝北伝を問はず仏道の神髄であるとともに、疱瘡など伝染病の多い時代に生活の知恵でもあった。

五月三十一日(月)
「雑」は昨日の続きなのに、良寛が世の中の虚しさを嘆くものばかりが目立つ。名僧がこれほど嘆いては、衆生を導くことはできない。
七六二 昔より常世の国はありと聞けど道を知らねば行くよしもなし

僧侶がこんなことを言ってはいけない。
八九一に非仏、八九六に弥陀、八九七に阿字と、和語以外が歌に入り始める。歌の番号は、吉野秀雄さんが春夏秋冬雑に分けた上で、更に類歌に並べたから、年月の経過とともに和語以外が入った訳ではない。
九〇〇で三千大千世界に「みちおほち」と振り仮名が付く。ここは調べる必要がある。
九一二 草の庵(いほ)に寝てもさめても申すこと南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏

これまでも歌に弥陀や弥陀仏が現れたが、ここまではっきり書くのは初めてだ。曹洞宗と南無阿弥陀仏の関係も調べたい。良寛の歌は字余りがほとんど無く、ある場合は「あいうお」を含むものばかりだ。ところが、含まない字余りが「秋」から目立つやうになる。ここもいづれ調べたい。
このあと「雑」は最後まで美しい歌は見つからなかった。

六月二日(火)
良寛は、旋頭歌と長歌も作った。私も九ヶ月作ってきたが、字数が短歌にならないときに旋頭歌として作ることがある。短歌を作ったが、追加して言ひたいことがあるときは長歌に発展させることがある。最初から長歌として作ることのほうがはるかに多い。
良寛が作ることを知ったのは今回の特集を始めるときだから、良寛に合はせた訳ではない。
一一五〇 やまかげのまきの板屋に雨も降り来(こ)ねこの岡に朝菜摘む子が立ちとせまるべく
一一五一    子を失へる親に代りてよめる
     春されば木木のこずゑに花は咲けどももみぢばの過ぎにし子らは帰らざりけり

文芸で見れば美しいが、作者が僧侶であることが読めない。
一一五四 秋の野(ぬ)の千ぐさおしなみゆくは誰(た)が子ぞ白露に赤裳の裾の濡れまくもをし

長歌では
一一八四 鉢の子は 愛(は)しきものかも 幾年(いくとし)か わが持てりしを 今日道に 置きてし来れば 立つらくの たづきも知らず 居るらくの すべをも知らに かりこもの 思ひみだれて ゆふづつの かゆきかくゆき とめゆけば ここにありとて わがもとに 人はもて来ぬ うれしくも 持て来るものか その鉢を
春の野に菫つみつつ鉢の子を忘れてぞ来(こ)しあはれ鉢の子

長歌の特長は、情報量が多いことだ。私もこれまで活用してきた。良寛については、これから数ヶ月を掛けて調査を進めたい。(終)

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