千八百九十九(新和語のうた、普通の歌)地元の話題(コロナ禍で変はったか鉄道、見沼代用水脇のマンション、二度目のデンキチ川信帰宅ビバホーム)
壬寅(西洋野蛮歴2022)年
十二月十七日(土)
母の一人暮らしが無理になり、一家で実家に戻り五年が経過した。通勤の時に車窓から見て、五年間無かったことが、最近になって保線で二つあった。一つ目は、蕨駅の京浜東北線ホームの南側にある、保線用の線路に保線車両が停泊した。数日停泊の後に、無くなった。これは今まで無かったことだ。
二つ目は、川口駅と赤羽駅の間にある荒川鉄橋北側の保線用線路に、蕨から無くなった数日後に保線車両が止まった。これは一週間くらい停泊のあと無くなった。
荒川鉄橋北側の保線用線路は、昭和四十年代からあった。小生は二十五年間横浜に住んだためその間のことは分からないが、これまでで初めてのことだ。長らくあの線路は、荒川鉄橋を掛けるときに利用したものだとばかり思ってきた。
蕨の保線用線路は、もともと無かった。蕨にはホームの北側に線路を繋ぐ亘り線があり、これも錆具合から一度も使はれたことを見たことがなかった。横浜に住む間に撤去され、代はりに南側に保線用線路ができた。
変はったことがもう一つあり、浦和電車区でまづ検修庫の東側に一両止るやうになった。暫くして(編成を分割した編成がときどき現れるやうになった。先週の金曜から、検修庫東側の車両が無くなった。いつもは車輪研削庫とともにある車両移動機が、昨日から本日まで台車検査庫の前に止まってゐた。前にも一回あった。
これら一連の変化は、コロナ禍で経費節減のためではないかと思ふ。

十二月十八日(日)
南浦和駅のみどりの窓口が廃止されて二ヶ月弱が経過した。代はりに「話せる指定席券売機」が一台設置された。小生はジパング倶楽部で切符を購入するため、二回利用した。
話せる指定席券売機は、三回に一回くらいの比率で使用者がゐる。かつてみどりの窓口のときは、並ぶ人がゐたから(尤も朝は開店前だったが)、ずいぶん空くやうになった。これは当然で、みどりの窓口は処理が止まることはない。話せる指定席券売機は、ボタンを押してから担当者が出るまでに二人とか三人待ちになる。誰かが使用中に並んでも、その人が終了後にボタンを押して三人待ちだと時間が掛かり過ぎる。だから誰もゐないときにしか使用されない。
鉄の道人の病で幾つかの変はりがありて見逃さず見る

前に、鉄(てつ)のやうに、二音でしかもラ行で始まらないものは新和語とした。昨年十二月以降使はなかったが、今回復活させた。

十二月二十一日(水)
「見沼代用水と地元の話題」の地元とは、見沼代用水西縁の灌漑範囲(今は宅地がほとんどだが)だ。昨年から地元で勤務したのは、南浦和周辺が一箇所、西川口周辺が一箇所、川口周辺が二箇所、西浦和周辺が一箇所と、それほど多くはない。本日は珍しく南浦和箇所の勤務だった。我が家から歩いて十数分だ。
このマンションはセキュリティ操作が難しいので、以前勤務された方がわざわざ来てくださった。会社公認なので、その方に五百円の引き継ぎ手当が出るのかも知れない。熱意に感謝して、ぜひ支給してほしい。交通費は支給される。その方は来月たくさん勤務される。
このマンションは見沼代用水西縁の分水近くで、昭和五十年辺りまでは一面の田圃だった。かつて京浜東北線が蕨から南浦和に向かふとき左側を見ると、まづ日本車両の跡地がありそれを過ぎると、一面の田圃だった。その車内から見えた田圃である。その後、長いことバスは無かったがバス路線も開通した。駅まで歩くこともできる。
繁華街とは無縁のかう云ふマンションのほうが勤務しても気持ちがいい。駅に近いマンションだと、挨拶しても無視する人がゐる。ゴミの出し方が悪い人もゐる。
利根川の水が流れた用水は 田が無く今は公園に 水路はあるが流れなく 水深僅か魚見えず 泥には棲むとかすかに望む

(反歌) 田植えには水かさが増し夏の夜は牛蛙鳴く今は昔に

十二月二十四日(土)
先月初め、タイマーを買ひにデンキチと云ふ家電量販店に行った。デンキチを知らない人も多いことでせう。山田うどんと同じで、埼玉県には多い。ところがタイマーは売ってゐなかった。
次に、スーパービバホームに行った。商品はあるが百円足りない。一旦帰宅し、信金のカードを持って川口信金で降ろして、再度ビバホームに行った。
本日は洗濯機で少し異音がする。妻が働き始めたときに、負担が軽くなるやうにと乾燥機付きの全自動洗濯機を買った。十三年前だ。尤も乾燥機は、時間が掛かるのでこれまでに十回くらいしか使はなかった。乾燥機は最大容量が少ないので、半分出さないといけない。妻がそれを知らずに二回ほど使った後、洗濯物入れ替へ制にしてからもあまり利用しなかった。
買い替へようとデンキチに行った。カードより現金はポイント還元率が高いので、川口信金に向かったが、カードを持ってゐないことに気付き、しかし結果として川口信金の前を通ってデンキチに戻った。わずかなポイントのために家へ戻ることはない。
デンキチはずいぶん待たされるので一旦帰宅し、母がデイサービスから戻るのを待った。その後、ビバホームへ行った。ここは照明器具が多いので電気製品が多いと勘違ひしてゐたが、全自洗は二種類しかなかった。そのうちの一つを買ふことにして係を呼んでもらって尋ねたところ、在庫が無く取り寄せは年明けまで掛かるさうだ。
全自洗が壊れるかどうかの瀬戸際なので、明日に別の店へ行くことにした。これでデンキチ川信帰宅ビバホームは二回目だ。しかし一回目はタイマーを買へて、今回は何も買へなかった。川口信金の前も通過に留まった。
ところでペリカン石鹸の工場があったのは、デンキチだらうかそれとも向かひのマルエツだらうか。地図を照合するとマルエツだ。それだけではなく、当時の住宅地図だと国道側のデニーズ、その北西側の松屋、パチンコ屋もさうだが、工場建設当時の写真で見るとこれらは空き地で、現在の区画と一致する。或いは借地だったのかも知れない。ペリカン石鹸は火事があり、埼玉県北部へ移転した。
蕨駅前通りの北側に大きな道路ができた。市役所通りで、おそらく二十年くらい前に出来たのだらう。
市街化へ変化大きく そのことに気を取られるが よく見ると小さな変化止まることなし

(反歌) 戸田蕨国道の脇田が続き青から黄ではベル鳴り響く(終)

(兼、見沼代用水と地元の話題、四十一)へ (兼、見沼代用水と地元の話題、四十三)へ

メニューへ戻る うた(四百三十八)へ うた(四百四十)へ