千七百四十六(歌) 地元の話題(浦和駅西口通り、外環浦和、通勤時の車窓風景、黒煙と揺れ)
壬寅(西洋野蛮歴2022)年
六月八日(水)
妻と私がたまたま休日だったので、浦和駅前の或る会社に行った。帰りにガストで昼食を食べた。思へば私も上の子が中学生のときまでは、昼食はレストランで食べた。その後、学費が掛かるやうになり、妻も働くやうになり、しかも私は昼食の予算を六百円程度まで下げた。
既に子は二人とも就職したのに習慣は変はらず、かう云ふときしかレストランに入る機会がない。私はボリュームランチ(税込み699円)+ドリンクバー(税込み241円)を食べた。ロボットが持ってくるので感心した。欠点はこちらが近づいても、通路の中央で止まったままだが、まあこれは愛嬌だ。
ここまでは前置きで、これからが本題だ。前に新国道(後に検察庁前)のバス停が廃止になったと書いた。しかし本日乗ってみて、「県庁前」が元の「新国道」で、「埼玉会館」が元の「県庁前」だと気付いた。県庁の正門の手前が「埼玉会館」だから、県庁前で矛盾はない。今の県庁前は県庁横で、しかも国道のすぐそばだから、これも新国道で矛盾はない。
旧道の中山道が国道で 現国道は開通の後に呼ばれた新国道と

(反歌) 旧道の中山道は格下げに一部県道あとはこま切れ

六月九日(木)
昨日は、バスの浦和駅西口案内書で回数券を買った。路線図があったので、一冊頂いた。見てまづ印象に残ったのは、大里から南浦和までのバスが土曜に一本だけになった。つまり実質廃止された。
かつて幹線路線だったのに、その激変ぶりには驚く。路線が認可されるには手間と時間が掛かるから、こんな形で残したのだらうが、利用者には分かり難い。平日に間違へて当てにする人がゐたらどうするのか。
国土交通省は、一日二本以上ない路線は自動廃止扱ひにすべきだ。なを平日のみ、土曜休日のみの路線は構はない。大里から南浦和までは、土曜のみでしかも一日一本だから問題にした。
次に印象に残ったのは、浦和西口から旧中山道を南下し途中で東に向きを変へ、一旦南浦和西口に一停留所分寄ったあと戻って東北本線を陸橋で超え、南東方面から産業道路を北上して南浦和東口に行く路線が無くなった。判りやすい例を挙げると、山手線の新宿から渋谷、品川を経由して新橋までと同じ形だ。
姉妹路線の、南浦和西口から線路の南東方面を経由して、産業道路を北上し浦和西口までは現存する。これも山手線に例へると、渋谷から品川、新橋を経由して東京駅までだ。
前者が消滅して、後者が残った理由は、旧中山道南部は全路線が消滅した。山手線に例へると、新宿から渋谷を経て品川までを廃止したやうなものだ。

六月十二日(日)
外環道を千葉県まで往復の帰りに、下の子が浦和南部は便利だと云ふ。京浜東北線、武蔵野線、外環浦和インターチェンジがあるからだ。
私は車を運転しないから、云はれるまで気づかなかった。外環道路ができたため、十七号の信号が一つ増えたし、小さな道に至っては信号が無く分断された。不便だと思ってきたが、外環に入るのも出るのも、一般道を走る時間が短いのは便利だ。
武蔵野線も、ほとんど乗らないから気づかなかった。南浦和で乗り換へる手間が掛からない。
外環と武蔵野線が接近し千葉埼玉はほぼ平行に


六月十六日(木)
南浦和駅の蕨寄りに、浦和電車区がある。今は名称が変はったが、民間企業の組織なので国鉄時代の名を使ひ続けてゐる。検修庫の東側に、屋外の電車留置線がある。私の知る限りでは、昭和四十八年以降ここに電車が入ることはなかった(1993から2018は横浜に住んだので不明だが)。ところが一ヶ月ほど前から、電車が入線するやうになった。
これまでに二回ほど入れ替はった。今までは、出て行ったあと数日して入線した。電車留置線の手前は、昔は無かったが運転室の調整庫が一両目と十両目に今はある。これを超えないと入線できないから敷居は高くなったが、おそらく検修庫に入る車両を待機させるのだと思ふ。
もう一つ、南浦和駅を発車してすぐに、浦和電車区との両亘り線がある。一番線からの亘り線が二番線からの亘り線と交差した少し先で、保線用の線路が左に分かれた。亘り線とは繋がらず、使ふときに補助器具を追加する形式だ。この線も私の知る限り四十年間使はれなかったが、半年前に撤去され砂利が敷かれた。工事をするところを車窓から見ると、信号扱ひ所の裏側に保線車両床下点検用のピットがあることを四十年目で初めて知った。
車窓から見える様子が半年で二つ変化し退屈をせず

(後編へ)

六月十七日(金)
かつてベランダに置いた自転車は、暫く使はないあと乗ると、手が黒くなった。国道十七号は二車線なのに、トラックの黒煙が風に乗り100m弱離れた我が家まで届いた。今は黒くならなくなった。
先週の日曜に外環と京葉道路を使ったが、黒煙を吐くトラックが無くなった。かつては粗悪品の軽油(灯油その他を混ぜたか)を使ふ悪質なトラックがゐて、数十台に一台は黒煙を吐いた。
先日勤務したマンションは、前を一般道と二階層の首都高が走る。外階段の手すりは、一週間で黒くなる。黒煙を吐くトラックは無くても、通過台数が多いと駄目なやうだ。全部で十二車線だ。
かつて早朝に家が揺れることがあった。過積載のトラックが東京を目指して、早朝に通過するのだらう。今は取り締まりが厳しくなって、過積載は無くなった。あとバキュームカーが走ると家が揺れた。バキュームカー内部で、波動が起きるのだらう。今はバキュームカーが無くなった。あと田圃を埋め立てて月日が経ったので、脱水して土が固まったか。
昭和の世今から見れば不十分いい加減なる世の中だった
(終)

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