千七百七十五(うた) 地元の話題(西口が栄えない理由、浦和電車区に編成を分解した電車)
壬寅(西洋野蛮歴2022)年
七月六日(水)
南浦和駅の西口は、東口に比べると栄えてゐない。明治時代は駅を町の外れに作ったから、今でも片側だけが栄えることはある。しかし南浦和駅が出来たのは昭和三十六年だ。
その翌年に住宅公団の南浦和団地が入居を開始した。農地の中にポツンと数棟が立ち並ぶ。その後、建設が進み周囲も宅地化され、駅東口は商店が並ぶやうになった。
一方の西口は、駅前に台地が立ち塞がった。駅の左斜め前に今でもある神社の高さが、そのときの高さだ。その後、現駅前通りの一本左の小道が切り通しで開通し、神社の脇辺りは道の両側に高台の崖が迫った。神社の側は数十年を掛けて崖を風雨が侵食し、今の斜面に落ち着いた。神社の反対側は、まづ駅前道路が掘削された。高台は取り残されたが、風雨で浸食されるとともに工事で撤去された。
そんな歴史があるため、西口を出てすぐ東京方向に左折した両側に低層ビルや商店ができた。そして駅東側と連絡する陸橋を過ぎた先に、南浦和西口商店街ができたが、歩いて10分ほど掛かった。後に南浦和駅西口広場の途中を左折した道路に商店街(今は彩の街と称する)ができて、ここも栄えた。
しかし今では、南浦和西口商店街が消滅寸前、彩の街は食堂飲み屋進学塾の通りになってしまった。一方、駅前通りは左側に商店が進出しては閉店するを繰り返し、右側は丸広があるものの、自営の店は消滅し貸し店舗業になってしまった。
西口がこんなに寂れるのは、(1)商店街が三ヶ所に分散、(2)駅前通りは台地を撤去したとは云へ少し上下するので坂道が嫌な人は迂回するかバスに乗る、(3)近年の大型店と西口では生協大型店の進出。
駅前に坂の上下は低くてもその影響は今でも続く


七月七日(木)
(前編へ)南浦和駅の東京寄りに、浦和電車区がある(JRになって名称が変はったが、私企業内のことなので使用せず)。浦和電車区の検修庫のうち西側は短いので、十両のまま入らないことに最近気づいた。車窓からぼんやり眺めるだけなので、今まで気づかなかった。そして西側の検修庫は、国鉄末期から使はれてゐない(と思ふ)。つまり電車は一両ごとに分離させず編成単位に検査修繕をする。
本日になって、検修庫東側屋外の留置線に八両編成が止まってゐた。帰りに西側検修庫に、切り離した二両があるか見ようとしたら、車輪研削庫(だと思ふ)で作業中の編成が、本日はずっと奥まで入り込んだため見えなかった。明日は見えるか。
十両で常に固定をする電車二両足りない編成がある


七月八日(金)
帰宅時に車窓から見たところ、本日は車輪研削庫の車両が奥(検修庫手前の線路)まで入り込まず、先頭車が西側の検修庫の前にあった。二両目は検修庫内で、台車を外したか。
西側の検修庫を使ふのは約四十年ぶりではないだらうか。台車検査は工場でやるやうになったが、二両目に不具合が発生して工場まで回送できないのかも知れない。
過去に新潟県内の大雪で、上越新幹線開通前の特急「とき」の耐雪ブレーキを使ひ過ぎて、車輪の研削が必要になった。浦和電車区に、数両の181系が五日間程度来たことがあった。
私は実物を見たことが無いが、配置換への急行用交直流電車が浦和電車区に停泊する写真を見たことがある。赤羽大宮間の東北本線と京浜東北線が分離する前の時代だらう。
五十年前は急行電車停泊 四十年前は特急電車研削
四十年編成離す検査無し今年の珍事今後続くか


七月九日(土)
昨日は昼食後に、自転車で浦和電車区の線路手前まで行ってみた。手前に五線(湘南新宿上下、東北上下、京浜東北北行)あるのでデジカメで撮っても分かり難い。


車窓から見ると先頭車両だけ切り離されたが、これだと分からない。

本日は、帰宅時に車窓から撮影した。

  
先頭車両だけ切り離された様子が分かる  金曜は両方シャッターが開き、土曜は右側が閉じる。中は車体をクレーンで上昇させた二両目か

故障した車両の修理だと思ふが、台車検査を復活させるのかも知れない。昨日自転車で見ると、検修庫の100mほど手前で線路工事をしてゐた。

七月十二日(火)
今朝は、検修庫東側の留置線から、八両で残った電車が消えた。あとには入線してゐない。八両に二両を追加して、一編成に組成したのかも知れない。
夕方に、西口駅前通り左側のローソンに初めて行った。ネットプリントで印刷したので二十円ではあるが。店内に数名の客がゐて、時間が半端なのでこの人数で十分かな。駐輪するところが無いのが難点だ。坂の上のセブンは、自転車で買ひに来る人が多い。坂の上なのに不思議だ。あと自動車を止めて買ひ物をする人が、歩く度に一台はある。

七月十三日(水)
本日は、検修庫東側の留置線に一編成が入線した。西側検修庫の前の一両は無くなった。中は見えないが、おそらく空だらう。(終)

追記七月二十日(水)
昨日昼過ぎに帰宅の時、西側検修庫の中に一両、入口内側ら先頭車が一両見えた。本日朝に、検修庫左側には十両編成が泊まってゐた。昼前に帰宅の時、研削庫に車両がゐたため、西側検修庫は見えなかった。(後編へ)

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