千八百九十五(和語のうた) 谷川敏朗「良寛全歌集」
壬寅(西洋野蛮歴2022)年
十二月十日(土)
古今集、新古今集の研究書を検索した。なぜか谷川敏朗さんの「良寛全歌集」が引っ掛かったので、他の三冊といっしょに借りた。良寛以降に、明治期、江戸時代以前の選歌歌集、万葉集、古今集などを読んだので、良寛への感覚が以前とは異なるだらう。それを期待してのことだった。早速一首目の
山おろしよ いたくな吹きそ 白妙の 衣片敷き 旅寝せし夜は

そして、二首目の
思ひきや 道の芝草 打ち敷きて 今宵も同じ 仮寝せむとや

この二つで、定型にすることが美しいとする思想だと、感じた。
四首目の
笹の葉に ふるや霰(あられ)の ふる里の 宿にも今宵(こよひ) 月を見るらむ

以前は見逃したが、二句目までがふる里の序詞だ。解説にもある。
九の
眺室(ながむれ)ば 名も面白し 和歌の浦 心なぎさの 春に遊ばむ

解説には
なぎさ 心が「和(な)ぐ」と「渚(なぎさ)」の掛詞。

とある。小生は別の意見を持つ「心なぎさ」は造語ではないのか。小生は掛詞が嫌ひなので、さう思ふのかも知れない(追記、その後は小生も掛詞だと思ふやうになった。最初感じた理由は、なぎと間違へた)。この辺りは、枕詞、序詞、掛詞が多い。歌に美しさを感じるのは、小生も万葉集などを読んだ効力か。四十五首目の長歌は、中の句々への言葉の工夫から、定型にすることの美しさを感じる。
ところがこのあと八十六辺りまで来て、定型の美しさのみを感じるやうになる。これは先ほどの長歌を誉めたときの逆だ。一〇七の
こよろぎの 磯の便りに わが久に 欲(ほ)りし玉だれの をすの小(こ)瓶(がめ)を あひ得てしかも

これは仏足石歌だ。解説にはそのことはなく、短歌の作り間違ひと見たか。更に解説には
◇こよろぎの 「磯」の枕詞。◇玉だれの 「をす」の枕詞。◇をす 簾。◇玉だれのをすの 「小瓶」の序詞か。

小生は序詞とは思へないが、谷川さんが正しいかも知れない。これ以外に枕詞が二つある。
一五二の
難波津の よしや世の中 梅の花 昔を今に うつしてぞ見る

解説は
◇難波津の 「よし」の枕詞。◇よし 「葦(よし)」と「縦(よ)し」の掛詞。◇よしや ままよ、たとえ。◇梅 「憂(う)」との掛詞。◇難波津の よしや世の中 「梅」にかかる序詞。

これらは、解説を見ないと見逃してしまふ。
良寛を七(なな)月(つき)後(のち)に読み気付く枕詞と序(はしがき)詞


十二月十二日(月)
このあと、枕詞はあるが序詞は無くなる。小生は、良寛の歌を何回も読んだため、相聞や恋歌で感情を露骨に出した歌が好きではなくなったのか、と考へながら読み進んだ。
このあと掛詞がたまに出てくる。その後ずっと進むと、序詞が出てくる。長歌や旋頭歌もある。谷川さんの「良寛全歌集」は、住居不定時代、五合庵時代、五合庵時代と推定されるもの、乙子神社草庵時代、乙子神社時代と推定されるもの、木村家時代、木村家時代と推定される歌、と章立てしてある。
乙子神社時代の冒頭に
五合庵時代では初めは新古今調の歌を作っていたが、間もなく古今調の歌となり、乙子神社の社務所へ入ってからは万葉調の歌といってよい。

この解説と合致する。さて、422番目の
名よ竹の 葉したなる身は 等閑(なほざり)に いざ暮らさまし 一日(ひとひ)一日を

の口語訳に
僧であるのか俗人であるのか、中途半端な自分にとって、何事もほどほどに、さあこれからの毎日を暮らしていくことにしよう。

意見の異なる部分を赤色にした。良寛は僧だ。絶対に俗人ではない。中途半端なのは、高僧を目指す意欲に欠けることで、それを詠った。本来の仏道から見れば、高僧を目指さないことは悪いことではない。と云って宗内で努力する人も尊い。要は本人に合ったやり方だ。

十二月十三日(火)
乙子神社時代は、長歌が多い。章の冒頭の解説に
五合庵時代では初めは新古今調の歌を作っていたが、間もなく古今調の歌となり、乙子神社の社務所に入ってからは万葉調の歌といってよい。

木村家時代に入り、章の冒頭の解説に
乙子神社社務所時代の万葉調から出て、日本の古典を包含した良寛調を形作っている。

良寛は詞書が少ない。あっても不快感を与へない。歌の解釈を強制しないからだ。
良寛の歌に、枕詞的用法が幾つも存在する。谷川さんが解説に書いた表現だが、一句の序詞(詠み人が任意に作ったが一句のみ)なのか、それとも違ふのか、今後調べたい。
木村家時代は長歌が多い。1065の
越の国 角田の浦の 乙女らが 朝凪(あさなぎ)に 相呼びて汲み ゆふ凪に こりて焼くちう 塩之入(しおのり)の 坂はかしこし 上見れば (以下略)

これは掛詞型の序詞だが、読むと心地がよい。それは序詞部分が実景だ。
1236の
世の中に まじらぬとには あらねども ひとり遊びぞ 我は勝れる

について
遺墨は、行燈の下で読書する良寛画像の賛。

とある。これなら分かるし、木村家時代と推定される歌の章に分類したことでも分かる。それに対し、良寛解説本のなかには、良寛は若いときから人と接するのが苦手だった、と見当違ひのことを読んだことがある。
良寛は年取る毎に歌を変へよろづ葉を経ておのづ葉調べ


十二月十七日(土)
書籍の最後にある解説「良寛の歌の世界」では、良寛と新古今などの歌を並べて影響があることを示す。しかしそれは読んだ影響が残ったのであって、内容には影響しない。表現に影響しても、良寛の考へ方まで変へる訳ではないからだ。
そのやうななかで
良寛は『万葉集』の中から、二、三、七、十、十一、十二巻の歌を多く書き写している。特に七、十、十一、十二巻はすべて作者不明の歌といってよい。

そして
中でも十巻は四季の歌で、平明清澄な歌が多く(以下略)

とある。また
良寛は『万葉集』から学んで、これ以後長歌や旋頭歌を数多く詠んでゆく。

再度この本を最初から読み直した。谷川さんが「住居不定時代」に分類した4の歌
笹の葉に ふるや霰(あられ)の ふる里の 宿にも今宵(こよひ) 月を見るらむ

二句までが序詞だから、万葉の影響を受ける前から序詞を使ってゐた。また、霰が降れば月は見えないから、この序詞は修飾のためだけのやうだ。13の
皇(すめらぎ)の 千代万代(よろづよ)の 御代(みよ)なれば 華の都に 言の葉もなし

「言の葉もなし」は口語訳に「あまりのすばらしさに言う言葉もない。」とある。口語訳が無かったら、逆の意味に取ってしまふところだった。解説は皇について「現世の天皇より皇祖の意味が強い」とある。現世の天皇と解釈してしまふと、明治期の高官たちのやうに国民を押し付ける手段とされる虞がある。それより、幕末の勤皇思想が一般にも広まったことを、この歌は示す。
ここまで読んで感じたことは、良寛の歌が芸術ではなく実質の文だ。それでは何が芸術かと云ふと、書と本人の生活だ。もう一つ感じたことは、良寛の歌が調べではなく内容だ。
良寛を始めに読みて思ひたが筆と生き方今また同じ


十二月二十三日(金)
小生の歌でかつては長歌と反歌の組み合はせが普通だったことを調べたり(最新の歌論(その四))、古今集資料三冊を読んだため、六日間空いてしまった。それが気分転換になったのか、本日読んだ部分は佳作が多いと感じた。良寛はこれまで何回も読んだので、連続して読むと感覚が鈍るのだらう。752の
秋もやや うら寂しくぞ なりにける いざ帰りなむ 草の庵に

この歌が極めて佳い歌に感じられた。755の
里べには 笛や鼓(つづみ)の音すなり み山は 松の声ばかりして

この歌も同じだ。873の長歌で
あしびきの 国上の山の 冬ごもり (中略) 飛騨の工(たくみ)が うつ縄の ただ一すぢの 岩清水 (以下略)

「飛騨の工が うつ縄の」は「ただ一筋に」の序詞。似た表現が万葉集と拾遺集にそれぞれ序詞としてあり、有名な歌を序詞にすることは良い方法と小生は考へてきたので、それが実証された思ひだ。
良寛を六日の後に味はえば佳き歌多く驚き新た


十二月二十六日(月)
五合庵時代と乙子社務所時代は、表現に共通点があるものの数から、新古今調、古今調、万葉調と谷川さんは呼ぶのだらうと思った。それに対し、木村家時代は確かに良寛調だ。
1225の
富(とみ)人の 作り捨てたる 夕顔の なるにまかせて みを(ば)たのまず

について
なる 「実る」と「移り変わる」意の掛詞

とある。同じく
み 「夕顔の実」と「身」の掛詞。「夕顔」「なる」「み」は縁語。

これは複雑だ。複雑ついでにもう一つ複雑にすると、「夕顔の」までが「なる」の序詞ではないだらうか。だがさうすると、掛詞二つが解消してしまふ。口語訳では
これから先のわが身を当てにしないことだ。

とあるが、なるにまかせて、大寺の住職や学僧は求めなかったと云ふ事ではないだらうか。「富(とみ)人の 作り捨てたる」は、父親で名主のこととすると、序詞まで解消してしまふ。

十二月二十七日(火)
書籍の末尾の解説で、良寛は枕詞が多く、序詞、掛詞、縁語は少ないとした上で
枕詞はさておいて、良寛の技巧はそれほど優れているとは言えないだろう。内面的に平明優美で情感の豊かである点は『古今和歌集』に近いかもしれない。しかし、掛詞や序詞から受ける連想美といった『古今和歌集』の特徴を良寛は枕詞で補っていて、(中略)良寛は、空疎になりがちな修辞をあまり好まなかったらしい。

これは同感だが、序詞が万葉の時代からあるので、修辞ではなかったのかも知れない。解説は次の言葉で終了する。
良寛は、詩歌を通して社会や人間のあり方をそれとなく示したのである。これこそが良寛の歌を高く評価すべき点であると思われる。

これは同感だ。実は小生も、歌を作ることで社会がよくなると思ひ作ってきた。(終)

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