千八百九十六(うた) 1.手段を目的としてはいけない、2.目的を目的としてはいけない
壬寅(西洋野蛮歴2022)年
十二月十日(土)
目的が無くなっても既得権があると、手段が目的になってしまふ。その典型は、自民党と野党だ。かつてすべての野党は社会主義を目的とした。半与党と云はれた民社党でさへ民主社会主義だし、公明党は人間性社会主義だった。この時代が一番良かった。
ベトナム戦争が終はり暫く経過すると、社会主義の失敗ばかりが目立つやうになった。今思へば、化石燃料を浪費する事で資本主義側は勝ったのだが、当時は分からずその後野党は社会主義を目指さなくなった。
ここで野党と連合は目的が無くなった。自民党長期政権のときは、連合の山岸さんのやうに労働側が政権を取る目的を掲げたが、村山と菅野田が壊した。これ以降は、本当に目的が無くなり、既得権だけになった。
自民党も、増大する社会党に脅威を持って自由党と日本民主党が合併したのに、社会党が無くなった後も与党の椅子に胡坐をかき、その典型がお友だちとカルト優遇の安倍だった。
目的が無くなるときに既得権残る組織は堕落あるのみ


十二月十一日(日)
だからと云って、目的を目的にしてはいけない。そのことを感じたのは、南伝の仏道だと阿羅漢を、大乗の仏道だと成仏や浄土を目指す人たちを見たときだった。これらに執着しては、阿羅漢や成仏や浄土は無理だ。それなら何がよいかと云へば、良寛が一つの模範だ。
目的を目的にしてはいけないもう一つの例は、金額を目標にする企業だ。金額は、過程の積み重ねで出てくるものであり、最初に決めれば無理や違法を行なふことになる。別の云ひ方をするなら、目的の金額を決めるのはよいが、未達になりさうなときは方法を変へるべきで、その変更は上層部が共有すべきだ。
目的を目的とする組織では無理や違法で長続きせず


十二月十二日(月)
手段を目的とせず、目的を目的としないなら、どうすればよいか。最初に用意した答へは、目的なんて本当は無い、だった。人生の目的だって無い。無いが生きてゐるではないか。強いて云へば、親や祖父やこれらの時代の人たちから受け継いだものを子孫に伝へることだ。全生物にも当てはまる。
ここで注意すべきは守旧になってはいけない。親や祖父時代の人たちが、短期で取り入れたもの(例へば西洋野蛮文明の猿真似で軍国主義)もあるからだ。また、長期で堕落した物もある。
二番目に用意した答へは、執着や、途中経過を無視することを、目的としてはいけないと云ふものだ。
一番目と二番目の答へは、どちらが正しいだらうか。実はどちらも正しい。短期なら二番目だし、長期なら一番目だ。ここで二番目に違反するのが資本主義、一番目に違反するのは自由主義だ。自由主義に反対すると不自由主義になるのではと心配する人は、地球保護主義になればよい。
資本主義自由主義とも欠陥だ地球保護主義これらを超える
(終)

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