千九百二(和語のうた) 古今集研究資料三冊を読む
壬寅(西洋野蛮歴2022)年
十二月十九日(月)
古今集の研究資料を三冊借りた。このうち有精堂「日本文学研究資料叢書 古今和歌集」をまづ紹介したい。菊地靖彦『古今集「俳諧歌」論」では
古今の歌人たちにとっては、いいたいことを直截に表現しても歌にはならなかった。(中略)かれらは理知によって"みやび"を形成しようとした。

万葉集は言霊集だ。それに対して古今集は文芸集だ。その古今集を否定したら、歌はつまらないものになってしまふ。子規一門の歌で佳作が5%程度の理由はここにある。
次に小島憲之「古今以前」では
古今集は(中略)われわれの現代的感覚からみれば、いくら贔屓目にみても、心をうつ部分はそう多くはない。(中略)まず古今集の技巧の問題がある。文学は「あや」であり、技巧である。(中略)単に万葉の大きな特色である素朴性のみでは文学は成立しない。

これは同感だ。次に
万葉などにも(中略)まま見受けられるが、平安初期の詩は特に中国詩の影響を受ける。やがて九世紀の終わり頃となって平仮名の使用と共に、(中略)歌がしだいに勢力を占めることになる。(中略)平安人の、漢風に訓練された頭には、万葉風の直線的な表現はもはや必ずしも得意ではなく(以下略)

月影を霜と見たり、白露を玉と見たりするのは、漢詩の影響で見立てだが
この歌風を嫌って、直線的な表現を好んだかの子規居士が、古今集をくだらぬ歌とけなし、反古今派の急先鋒として登場したたわけである。

見立てが悪いのではなく、心からさう思ったのならよいことだ。無理やり歌を作らうとして見立てるのが悪いのではないだらうか。
尾上柴舟「古今集の修辞」では
全然修飾のないものがあり、また反対に、修飾に有つたものもある。前者は三百十二首を数え、後者は七百九十首を算する。(中略)更に後者に就いて区別して見ると、懸詞は最も多くて二百四十一、比喩はそれに次いで百四十九、枕詞は百四十三、擬人は百三十一、序詞は九十七、縁語は八十八、反覆は六十二、比喩は五十四、対照は三十三、合して九百九十八を数へる。

森重敏「古今集的表現における知巧性」では、
万葉集において五七/五七/七から五七五/七七ないし五-七-五-七-七として一応完成

古今集では「よそにのみあはれとぞみしむめのはなあかぬいろかはをりてなりけり」などの類型の確率があるとして
第三句の五をいわば楔のように上五七句と下七七句との間に打ち込むことによって五七←五→七七という徹底した強靭な形式を得たというべきである。

小生自身は五七調や七五調をまったく気に掛けない。だから云はれても、感想はまったく持たない。しかし
このことは、古今集における長歌が内容的にも形式的にも弛緩した七五調となってほとんどまったく凋落したことと表裏することである。

小生はさうは思はなかったが、今後検証したい。
鈴木日出男「古代和歌における心物対応構造」では、人麿の「み熊野の浦の浜木綿百重なす心は思へど直に逢はぬかも」「夏野ゆく牡鹿の角の束の間も妹が心を忘れて思へや」について
これらから序詞を除外したらどうであろう。(中略)序詞とは音または意味の連絡によって本文部分を導くものではあるが、それはあくまでも序の契機であり、(中略)歌中のすべてのことばが、本来の意味を捨ててたがいに新たなる(中略)創造に(以下略)

次に
六歌仙のころ、なぜ序詞を捨てて掛詞、縁語が発達したのであろうか。(中略)山紫水明の京人は、多様な自然と密につながっていた万葉人と異なって、それを媒介せるという方法にはもはや追従できなかったのであろう。というのも万葉集においては、心象表現部分に対応される物象叙述の大部分が自然の天象景物であり(以下略)

これはあり得る。現代に序詞を使ふには、万葉時代と大きく異なる。
よろづ葉と後の文にて 今の世に美しと思ふ歌作り そのやり方を草枕調べる旅に 出て二十日経つ

(反歌) 今の世に枕詞と序(はしがき)の詞を戻すことを調べる
(反歌) 秋津島大和言葉で歌を詠む今の世にても一つの在り方

十二月二十二日(木)
次に藤平春男編「古今集新古今集必携」を読んだ。その中の「古今集新古今集表現事典」に
古今集になって七五調が多くなったことはよく知られている。また、『万葉』にはまだ歌謡的な要素を多く残しているが、古今集になると自然発生的な歌謡から脱して和歌の形式を自覚的に確立した。

このあと母音を並べてaaa/bbなどと分析するが、説明が不足だ。参照として「日本文学と英文学」だの「ポリフォニイの詩学」を並べるが、西洋理論を使ふなら分かるやうに説明すべきだ。こんなものはわざわざ参照する必要はない。結論だけ紹介すると
和歌の本質がうたうものであり耳に訴える音楽的なものであったことは、俊成や西行の頃まで一貫して変わることはなかった。(中略)ところが定家の頃になると、(中略)歌は「書かれたもの」となり目で「読むもの」となり、漢字や仮名の使い分けにも注意するようになる。そして韻律の効果も視覚的イメージを喚起するものとなり、旋律的に進行する韻律ばかりでなく、同時的に響く和声的要素も見逃せなくなる。

次に、序詞について
後続語句との関連でいえば、(一)形容や比喩になっている、(二)掛詞を仲立ちとする、(三)同音・類語を反復する、などの関係で作用するが、序詞の部分が意味上あるいはイメージ上密接な関係をもつものもあり、そのようなものを「有心の序」という。

そして
万葉時代に多用された序詞は、六歌仙時代には古い技法として捨てられ、撰者時代になって再び復活した(以下略)

さて
万葉時代には、観念を具象化すべく自然などの体験的事物を詠みこむものが多いが、古今集ではそれを意識的に使用し、「四〇四むすぶ手のしづくににごる山の井の’あかでも」のごとく、比喩や形容詞を「の」で結びつける序詞が多くなった。


十二月二十五日(日)
「図説日本の古典4古今集・新古今集」は、最初に読んだが、一番嫌ひな本だった。カラーの写真が二十二頁続いたのち、本文に入り久保田淳が
正月の歌御会始めの模様を傍聴した作歌高見順は、(中略)「何の何」と、作歌の姓と名のあいだに「の」を入れて読みあげるのを聞いて、「ぼくだったら、つい高見の見物といいたくなるだろうとジョークをとばしたが、すぐ真顔になって(以下略)

書籍の先頭に、こんなつまらない話を入れてはいけない。高見順は無罪だ。多くの会話の中に、このやうな話があってもよい。判りやすい例を挙げると、水道水に基準以下のカドミウムが入っても、何ら問題はない。しかしそれを濃縮したものを飲用してはいけない。高見順は水道水、久保田淳は濃縮装置だ。
この本を最後まで読み、西行は興味深く読んだものの、それ以外はこの書籍へ最初に受けた評価を覆すことができなかった。(終)

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