千八百(和語のうた) 歌の幅
壬寅(西洋野蛮歴2022)年
八月九日(火)
最近、歌の幅を二回取り上げた(三たび玉城徹さんの本を読む茂吉を読む)。小説は長編だから変動が少ない。歌は短編だから変動が大きい。つまり歌は幅が大きい。
歌にあまり馴染みのない人は、有名な歌しか知らない。結社に属する人や選歌をする人は、それほど上手ではない歌もたくさん見るから、耐性が付いて幅が大きくなるに違ひない。
その一方で、どんぐりの背比べ選歌をするから、細かい心の動きだとかにこだはるやうになる。だから、幅が狭くなる。
私の場合は、散文に組み込むからこれだけで美しさが一つ出るとして、作ったものは字数がどうしても合はせられなかったものを除いてすべて採用する。だから幅が大きい。
歌の幅大きいことは佳きものが生まれる道で皆で試さう

とは云へ幅が大きいと、読む人に嫌悪感を与へる不良品が出てくる。それを防ぐには、調べを重視することだ。
歌の幅大きく悪いものも出る調べで防ぎ佳きもののみに


八月十日(水)
私の歌で幅が一番大きい位置にあるのは、言葉を据ゑた歌だ。
大和にて蜂の武蔵は信濃へは寄らず亡くなる日に逆らひて
大和型武蔵の次は空へ発つ基の信濃は十日で沈む
 (以上モリカケ柳河桜藪黒トリ二百二十)
高い波 橋の横まで 岸の人 すれ違ひにて 流され辞める
 (モリカケ桜疑獄二百五の九)
次に幅が大きい位置は、悪質な政治屋を批判する歌だ。それだけだと美しさがない。散文の中に入れれば、意味が通じて美しさとなる。茂吉の歌は、全体で日記となるのと似てゐる。

八月十一日(木)
小さな船は揺れが大きい。歌も字数が少ないから幅が大きい。この特徴を生かして、いろいろな歌を作れる。
長歌、短歌、旋頭歌、仏足石歌と種類が多いのは、その一つだ。短歌ばかり作ると型にはまるが、長歌なども作れば型から抜けることもできる。
和語の歌を作るのもよいことだ。和語の歌を作ることで、普通の歌も型から抜けることができる。たまに枕詞を使ふのもよいことだ。
歌作りやまとことばで試してみよう 歌作り四つ試さうよろづはの世へ
(終)

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