千七百三(和語の歌) 太田水穂
壬寅(西洋野蛮歴2022)年
三月十二日(土)
これまで子規や左千夫らを調べたが、私が佳いと思ふ歌は5%だ。これが会津八一なら100%に近い。そこで高率になる別の歌人を調べることにした。まづは太田水穂だ。
みそさざいまれに来てなく裏町のさぶらひやしき雪ふりにけり

「まれに来てなく」「裏町」「さぶらひやし」「雪」が重層して寂しい風景になるところが美しい。
われ行けばわれに随(つ)き来る瀬の音の寂しき山をひとり超えゆく

「われに随き来る瀬の音」「ひとり超えゆく」が美しい。
木枯の風に吹かれて白き鶏(とり)枳殻(からたち)垣をくぐりて行けり

「枳殻垣」「くぐりて行けり」が美しい。
きり削(そ)ぎの一枚岩を落しくる滝のひびきはみな煙なり

「きり削ぎの」「一枚岩」「滝のひびきはみな煙なり」が美しい。
戸を明けてすだれの外は鶏頭に秋のあさ日のほそくさす庭

「ほそくさす庭」が美しい。
稲茎の古根をひたす春の水泥にこもりて鳴く蛙あり

「泥にこもりて」が美しい。
冬青き山を軒端に絵襖(ゑぶすま)の落葉の金は古りにつるかな

「冬青き山を軒端に」「落葉の金は」が美しい。
屋廂(やびさし)にとまり雀のくるころは書きくたびれて吾もゐるころ

「屋廂」「とまり雀」「書きくたびれて」が美しい。
ここまでで、明治三十年から大正十五年。水穂の唯一の欠点は、作品が少ないことだ。
子規たちの次は水穂の歌を読む歌が少ないこれのみ弱み


三月十三日(日)
昭和は、昨日同様佳い歌と出会ふだらう。心を弾ませて読みを再開したところ、予想外のことが起きた。佳い歌がない。何とか見つけたのが昭和五年の
まかがよふ光りのなかに紫陽花(あぢさゐ)の玉のむらさきひややかに澄む

「かがよふ」が「耀(かが)よふ(または赫よふ)」だと分からないと、その前の「ま」も強調だと分からない。「ひややか」は現代だと冷めた気持ちが強いが、昭和初めは違ったか。「澄む」が最後に付いて持ち直した。
日のもとの益良雄の子はたたかひに赴くときしすでに神なり

日華(日本と国民党政府)事変は、日本を亡ぼすことになった。蒋介石がなぜ反日になったのか分析することなく、戦闘を拡大した。私なら
日のもとの益良雄たち聖戦に赴くならばすでに神なり

「益良雄の子」は冗長だ。聖戦でないなら神ではない。検閲を通らないなら聖戦に赴くときはで妥協する。この一首で水穂が軍部に協力的だったと批判してはいけない。すべては時代が変はったことが原因だ。
簷(のき)の端(は)に天そそり立つ松ありて鷹が峯より雲くだりくる

「くだりくる」は推敲すべきだ。
屋びさしに音たててふる榎(え)の落葉こころけふより時雨をこふる

榎(え)は万葉読みだが「榎(え)の落葉」より「榎(えのき)の葉」がよくないか。「音たててふる」で落ち葉は既知だ。万葉の表現は、現代人が美しく感じるときに用ゐるべきで、「榎(え)の落葉」は逆に美しくない。
たたかひはいづくにありし山川やかく静けくて雲をあそばす

「雲をあそばす」の工夫が美しい。光景だけなら「かく静けくて」も美しい。
坂下にむれ遊びゐる童べらの声のなかなるわが孫のこゑ

「むれ遊びゐる」の工夫が美しいし、「声のなかなる」の情景が美しい。
次の大人の休日倶楽部東日本パスで、塩尻短歌館を訪問しようと切符を手配したあとだったので、昭和に入り佳い歌が無くなったときは驚いたが、最後に復活してよかった。
水穂の歌は、私ならかうすると云ふ考へが出てくる。子規や左千夫の歌は、95%についてどこが佳いのか分からないし、かう直すと云ふ考へが出てこない。尤も、5%の歌は美しい。

三月十四日(月)
別の資料から見つけたのが、おそらく大正末期の
麦をふく広野の風のおのづから我がよろこびとなる旅路かな

「我がよろこびとなる旅路かな」が美しい。私の善き他の選び方は、美しい表現があることを優先することが分かった。人により、全体の均衡、歌はれた背景など、異なることだらう。
昭和二年頃の
あさつく日岩のはだへにさし入りて瑠璃を切りゆく谿(たに)河の水

「あさつく日岩のはだへにさし入りて」「瑠璃を切りゆく」が美しく、「谿河の水」で完結する。
外房は「うちぼう」ではしなく「がいぼう」と読むことを前に指摘したが(1)、水穂の歌にも
外房(がいぼう)の海をまともに(以下略)

の歌がある。後半を省いたのは僧の名が出てくる。この僧を信じる四団体の宣伝になり人生を棒に振る人が出るといけないためだ。水穂の場合は戦前なので、まったく問題ない。
昭和十年頃の
あやめ見に夏パラソルの水をゆく五月ある日の葛飾のみち

「夏パラソル」「水をゆく」が美しい。
同じく昭和十年頃の
境内は椋(むく)のもみぢの日を照らす明るさみちて水を走らす

「日を照らす」「水を走らす」が美しい。古今調かな。古今調すべてが悪いのではなく、かう云ふ表現は美しい。

三月十五日(火)
筑摩書房の「明治文学全集63」を参照した。佐佐木信綱、太田水穂など六名が載る。水穂は三つの歌集しか載らないが、それ以外は大正以降だった。三つの歌集を読むと、私が佳いと感じる歌は5%よりかなり低い。子規や左千夫の歌集は、選歌されたものを更に私が選んだから5%だった。水穂がそれより低い訳ではない。
小説の文章を、すべて名表現だと思ふことはない。同じく歌集も、すべての歌を佳いと思ふ必要はなかったことに気が付いた。
私は、内容より表現を重視するから、子規と左千夫と水穂に違ひはない。或いは子規と左千夫は古い表現を用ゐることがある分、水穂より美しいかもしれない。水穂で気になったのは、破調だ。この時代は、破調が普通になってしまったのだらう。(終)

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