千六百七十八(歌) 特急「草津」と軽井沢旅行記
辛丑(2021)西暦元日後
閏月十九日(水)(2022.1.19)
本日から四日間、大人の休日倶楽部東日本パスで、日帰り旅行に出かける。本日は、渋川へ行く予定だった。目的は
1.在来線の特急「草津」に、初めて乗る
2.渋川の街を歩く

街を歩いても、寒いだけだ。それより高崎で乗り換へて、ガーラ湯沢を見よう。さう計画を変へた。高崎で発車時刻を見ると、越後湯沢に止まる新幹線はかなり時間がある。それより北陸新幹線がすぐ来る。そこで軽井沢に行くことにした。
軽井沢駅でホームに降りて、驚いた。ずぼんの外から冷気が足に伝はる。渋川を歩くと寒いから予定を変更したのに、更に標高の高い所に来た。この時点で、今回の軽井沢下車は失敗だったか、と危ぶまれた。
二十分後に上り新幹線がある。駅前だけ見て戻る方法もあるが、旧軽井沢まで行くことにした。寒いので高速で歩いた。だから旧軽井沢の入り口から南端まで歩いた時点で暑くなった。外気温が寒いので、息でマスクの内側が濡れた。
旧軽井沢は、中山道の宿場だった。それが判っただけでも、軽井沢行きは成功だった。
軽井沢 維新の後に 避暑のため 栄えた土地に 非ずして 中山道の 宿場町 馬(うま)人(ひと)籠で かつて賑はふ

高崎まで戻り上越線の時刻表を見ると、朝乗った「草津1号」の次の「草津3号」が来る。渋川まで行くと、上りに間に合はないので、新前橋で降りて18分後の「草津2号」で浦和まで乗った。期せずして、三回乗車することができた。
---------------閲覧注意(鉄道の話が濃密)---------------------------------------
国鉄時代の新前橋駅は、興味深い駅だった。上りホームの更に左側に貨物発着線らしい線がある。新前橋電車区は、電車を貨物列車で輸送し、ここで授受するのかと思った。それから四十年を経過し、初めて新前橋駅で降りると、下り側線の左にある電車区の一番右側に、駅構内らしい線が二つあり、一つは枕木で休止にしてある。これらは駅の側線に繋がる。電車区内の他の線は集結の後に側線と亙り線で繋がるから、ここが駅区境界点だらう。一時停止の標識もあった。しかし電車区内の研修庫に分散する根元にも一時停止の標識があるから、元は客貨車区みたいな形態だったとも考へられる。
(追記1.21)検索すると、1988年まで上り左側の少し上野寄りに、貨物扱い所があった。電車の授受ではなかった。

メニューへ戻る 歌(二百十七の三)へ 歌(二百十八のニ)へ