千六百八十五(和語の歌) 歌(和歌、歌謡)は、美しさが二つ必要だ
壬寅(西洋野蛮歴2022)年
ニ月五日(土)
歌(和歌、歌謡)は定型だから、それだけでも美しい。しかし一つだけでは不足で、別の美しさがあるとよい。良寛は、書で表現した。會津八一は、歌調で表現した。子規も、途中から歌調で表現した。左千夫も、歌調で表現した。
但し和歌の必要事項は字数で、古今集系の旧派が少なくなった後は、二つ目の美しさを皆が気にしなかった。二つ目の欠けたものは、さすがに後世まで残らなかったが、二つ目が一つ分に不足するものはある。その場合に、三つ目で補って一つに合はせたものもある。
良寛だと、万葉調の美しさのものもある。本歌取りの美しさもある。内容の美しさもある。會津八一だと、奈良美術の美しさがある。自然を詠った美しさもある。
歌謡だと、曲の美しさがある。曲と歌詞が調和した美しさがある。
良い歌と 良い謡には 美しき 宝を二つ 内に備へる
ニ月六日(日)
私の歌は、文章に組み入れることで美しさを出した(と本人だけが思ってゐる)。伊勢物語や奥の細道と同じやり方である。これが和歌や俳句の生き残る方法ではないだらうか。
あと、連作で文にする方法もある。伊藤左千夫資料館訪問記の反歌六つは、左千夫の生家の間取りを述べてみた。窪田空穂が日記風に歌を詠んだのも、この方法である。
文(ふみ)の中 歌を組み込む やり方がある 幾つかの 歌を連ねる やり方がある
和語のみの歌も作るやうにしてきた。明治維新以降の複雑化した世の中で、和語だけの歌を作るのは難しい。漢語を一字づつ分けて訓読みにする方法を提案した。和語だけにするための努力に美しさがあれば幸ひである。
ニ月七日(月)
子規は、写生で二つ目の美しさを出したが、晩年は万葉調で美しさを出すやうになった。旧派や明星派に対しては、写生を前面に出したが、それらがゐないときは一つに満たないと感じたのだらう。
これを左千夫は進歩と捉へたが、時代の変化とともにさう思はない人が多くなった。左千夫が晩年に弟子たちと不仲になったのは、これが原因だらう。
近年、字余りが多くなった。「あ、い、う、お」は半文字として扱ふことを知らない人が、字余りだけ真似をしたことが原因だ。今の感覚では「あ、い、う、お」を区別する必要はないが、古来そのやり方だったから「あ、い、う、お」なら許される。あと、五文字の代はりに四文字なのも、万葉集などにあるから字足らずではない。
今の世は よろづ葉の世と 異なりて あいうおにても 余らぬがよい(終)
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