千六百八十八(和語の歌) 子規の佳き歌を選ぶ(閲覧注意、歌論濃厚)
壬寅(西洋野蛮歴2022)年
ニ月九日(水)
子規の歌は、明治三十三年の途中から改善されたと前に書いた。左千夫も、子規の歌は年々進歩したと見るから、私は左千夫と同意見だと思ふ。
今回は、子規のどの歌が優れるかを示し、その理由も明らかにしたい。明治三十一年では
霜防ぐ菜畑の葉竹はや立てぬ筑波根颪雁を吹く頃
「筑波根颪(おろし)雁を吹く頃」が美しい。
人も来ず春行く庭の水の上にこぼれてたまる山吹の花
「人も来ず」はわびを出したところが、「春行く庭の」は表現が、「こぼれてたまる」は写生が、それぞれ美しい。
都辺は埃(ちり)立ちさわぐ橘の花散る里にいざ行きて寐む
「都辺」は語の選択が、「花散る里」は表現が美しいものの、「寐む」でぶち壊した。つまりこの歌は、最後が醜い。
夜一夜荒れし野分の朝凪(な)ぎて妹が引き起す朝顔の垣
「朝凪ぎて」は表現が美しい。「妹が引き起す」は字余りだが「い」「お」を含むので問題無い。問題ないが、字余りを推敲で解消できないだらうか。字余りするほどの表現ではないが。「朝顔の垣」は写生が美しい。
朝早き淡路の瀬戸の海狭ばみ重なりあひて白帆行くなり
「海狭ばみ」の表現が美しい。「重なりあひて白帆」は月並みだが写生はそれを超える。
立ち並ぶ榛や槻(けやき)も若葉して日の照る朝を四十雀(しじふから)鳴く
「若葉して」の表現が美しい。写生も美しい。
ニ月十日(木)
明治三十二年は
夜清き片山陰の梅林月照り満ちて鶴(たづ)啼きわたる
「夜清き」「片山陰の」「照り満ちて」「鶴(たづ)啼きわたる」は表現が美しいが、万葉集など過去に出てきた表現だと私も気付いた。創作の美しい表現が望まれる。
大森の里過ぎ行けば蜑(あま)が住む海苔麁朶(そだ)垣の梅さかりなり
「里過ぎ行けば」が表現と写生ともに美しい。「海苔麁朶垣」は海苔麁朶から作った子規の創作なら素晴らしいが、漢字にすると角張り過ぎる。
浪速津は家居をしげみ庭をなみ涼みする人屋根の上の月
全体に表現が美しい。光景も美しい。
足引の山のしげみの迷ひ路に人より高く白百合の花
「迷ひ路」の表現が美しく、「人より高く」は光景が美しい。
次に明治三十三年に入り、先日指摘したやうに後半が良くなる。前半で唯一優れるのが
くれなゐのとばりをもるゝともし火の光かすかに更くる春の夜
「くれなゐのとばり」「光かすかに」の表現が美しい。「更くる春の夜」の写生が美しい。
誰にても佳き悪き歌あるものの子規は二つの年の間(ま)で別の調べを試して詠ふ
今回から、句を区切らないことにした。近年作られる歌は破調、特に字余りが多く、どこで区切るか不明だ。そのため私の歌は、区切りをはっきりさせてきた。
しかし私は破調をしないから、古来の書き方に戻すことにした。
ニ月十一日(金)その一
明治三十三年の後半は
いたつきに病みふせるわが枕辺に牡丹の花のい照りかゞやく
「枕辺」の表現が美しい。「いたつきに」があるから、万葉集の語を倣ったのだらう。
くれなゐの二尺伸びたる薔薇の芽の針やはらかに春雨のふる
これは多くの人が代表作に選ぶ。「針やはらかに」と「春雨のふる」が俳句風で優れる。俳句風が駄目なのではなく、歌になり切らない俳句風は悪い。
汽車の音の走り過ぎたる垣の外の萌ゆる梢に煙うづまく
汽車と云ふ近代語を使ふが、音は走り過ぎ、煙はうづまく。その対比が美しい。「垣の外の萌ゆる梢」がその光景を後方で支へる。
川下る我舟早みつゝじ咲く岸辺岩垣走るが如し
「岸辺岩垣」の表現が美しい。「走るが如し」を加へることで、光景も美しい。
真北さし八百日八汐路行く船の帆桁の上に北斗を仰ぐ
「真北さし」「八百日八汐路」「北斗を仰ぐ」の表現が美しい。
「煙」の題に五首あり、まづ長歌の
都べの愛宕の山に のぼり立ち国原見れば 大家に煙ふとしり 小家には細くなびかひ (中略) いや日けにさか行く御代に あひし我かも
天の香具山の本歌取りだが、表現も写生も美しい。このあと短歌が三首、旋頭歌が一首続く。この万葉集に倣った歌の組み合はせも美しい。
白雲の深くこもれる二荒の山より落つる七十二滝
「深くこもれる」が表現写生共に美しく、「山より落つる」は写生が美しく、「七十二滝」は観光地の気分が美しい。
真砂なす数なき星の其中に吾に向ひて光る星あり
あらすじの美しさが光り過ぎて、「真砂なす」「数なき星」の表現が輝かないくらいだ。
ニ月十一日(金)その二
明治三十四年は、子規の容態がいよいよ悪くなる。歌の数が激減し、悲愴な歌が多くなる。そんな中で
瓶にさす藤の花ぶさみじかければたたみの上にとどかざりけり
多くの人が、この歌も選ぶ。私は、この歌だけだと美しくはない。しかし他の九首といっしょに読むと、実に美しい。私が今まで明治三十一年からの歌を紹介してきたが、単独でこの歌を選ぶ人たちは私の選び方に不満があるかも知れない。表現の美しさを主とし内容を従とするか、内容を主とし表現を従とするか。
自宅の病室から木戸が見えて
裏口の木戸のかたへの竹垣にたばねられたる山吹の花
「裏口の木戸のかたへの竹垣」はごく普通の表現だが、座りのよい美しさがある。「たばねられたる山吹の花」にも座りのよい美しさがある。
岩手の孝子が母を車に乗せ、二百里曳いて東京見物させる話を聞き十首詠む。其の中に
世の中は悔いてかへらずたらちねのいのちの内に花も見るべく
「悔いてかへらず」と「いのちの内に」は工夫の跡が美しい。同じく
われひとり見てもたぬしき都べの桜の花を親と二人見つ
「われひとり見てもたぬしき」都べの桜の花が美しい。前半だけだったり後半だけならそれほどではないが、両方合はさると美しい。あと「たぬしき」に子規の万葉への影響が大きいことが伺へる。「親と二人見つ」は「お」音を含むから破調ではないのだが、字余りを容易に解消できると思ふのだが。今の世は歌会式に朗詠しないから、私は字余りに厳しくなった。歌会式に朗詠しないから字余りに甘くなった人がほとんどだが。
ニ月十一日(金)その三
明治三十五年は、子規が亡くなる年だ。そんな状況を考慮すると
春されば梅の花咲く日にうとき我枕べの梅も花咲く
「梅の花咲く日にうとき我枕べの梅」は長いのに判りやすい。判りやすい美しさがある。
さて私の最初の結論は、子規の歌は明治三十三年の途中から万葉調に進化する、と云ふものだった。今回の特集を組み、私が選んだ優れる歌は
明治三十一年 5/95=5% (だいだい色の歌は含めず)
明治三十ニ年 4/70=5%
明治三十三年前 1/123=0.8%
明治三十三年後 8/189=4%
明治三十四年 4/64=4%
明治三十五年 1/25=4%
子規は、明治三十三年の途中から進化したのではなく、明治三十三年は歌の数が急増したので、前半の質が落ちただけだった。
左千夫は、子規の歌が年々進化したと見るから、私と左千夫では意見が異なることになった。今後検証を重ねたい。
五(い)つ年(とせ)に亙りて子規は佳き歌を詠みその後に力が尽きる(終)
ニ月十三日(日)追記
私が佳いと思ふ歌は約5%だ。残りの95%を含めると、伊藤左千夫と同じ結果になるのだらう。私と子規は、美しさの求め方が異なり、たまたま5%くらいは合ふのかも知れない。私が佳いと思ふ歌が多いのは、會津八一だ。この点を、今後精査したい。
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