千七百二十(歌) 良寛記念館、良寛堂、出雲崎の妻入り街並み
壬寅(西洋野蛮歴2022)年
四月十四日(木)
本日は、越後の出雲崎にいった。旅の概要は
1.良寛記念館と良寛堂に行く
2.出雲崎駅から良寛堂まで往復すると越後線の本数が少なく帰宅が夜遅くになるので、往路のみ長岡駅からバスに乗る

旅行中に副産物として
3.出雲崎の妻入り街並みを観る
4.中永トンネルと出雲崎町合併問題

が加はった。
出雲崎山で隔てた長岡市寺泊とは地理が異なる
新しい隧道ができ向う側間近になりて二十年経つ

新幹線とバスで、良寛記念館に到着した。長岡は、山本五十六記念館などこれまで好意的に見てきたが、アルファベットを多用した街並みに嫌みを感じた。しかしこれは越後交通本社営業所周辺だけの現象で、信濃川沿ひ再開発の劣悪な企画が原因だらう。
良寛記念館は前庭が素晴らしい。丘から海を見る景観は新潟百景の一位だ。良寛像も素晴らしい。しかし館内も素晴らしい。良寛の自筆を観るのは初めてだ。写真集では何回も出会ったが。
目の下に広がる海は果てしなく小雨に勝ちて果てまで続く 佐渡は隠れる

出雲崎町は、記念館も北国街道妻入り会館も受付が親切だ。長岡市に合併したら、かうは行かないだらう。記念館であいにくの雨が降り出した。折り畳みの傘を持ってきたが、昼食の弁当を食べるのに困った。
昨日の失敗(下諏訪駅から赤彦記念館まで店が無かった)を避けるため、本日は長岡駅で弁当を買った。公園で食べようと思ったが、雨では無理だ。展示棟外側の屋根付きベンチ部分で食べた。
帰りのバスまでかなり時間がある。記念館の受付に教へてもらひ、良寛堂のあと北国街道妻入り会館と道の駅に行った。副産物として、妻入り街並みを観ることができた。空き家や空き地が目立つ。長岡市に合併したら、きめ細かい保存はできないだらう。
かつて信濃の東筑摩郡本郷村に、村立の浅間温泉国際スケートセンターがあった。日本のスケート新記録はほとんどここで作られる高速リンクだった。本郷村は浅間温泉があるので財政が豊かで、周辺の村が松本市に合併しても、存続を続けた。しかし最後は合併し、その三十数年後に国際スケートセンターは廃止された。
出雲町が長岡市に合併すると、良寛記念館と妻入り街並みが同じ目に合ふ。良寛記念館は暫く大丈夫ののち出雲崎博物館などと名称が変はるだらう。
越後線で柏崎、ここから特急しらゆきで長岡、新幹線で帰宅した。
越後では処によりて僅かだが雪が残りて白く輝く
千曲川越後に下り信濃川海に下りて佐渡の沖合
(終)

前の良寛へ                           次の良寛へ

メニューへ戻る 歌(二百六十の一)「良寛と會津八一、和歌論」へ 歌(二百六十の三)「良寛と會津八一、和歌論」へ