千六百三十八(和語の歌) 私の作歌手法、良寛との違ひ
辛丑(2021)
十一月十日(水)
良寛の歌を調べて判ったことがある。万葉集その他を本歌取りしたものが多い。本歌取りとまでは行かなくても、参考にしたものもある。後者の例を挙げると、長歌では
鉢の子は 愛しきものかも (中略)その鉢の子を

短歌では、その反歌の
道のべの菫つみつつ鉢の子を忘れてぞ来しその鉢の子を

どちらも
八雲立つ出雲八重垣妻籠みに八重垣作るその八重垣を

と似る。良寛に限らず、江戸時代までの人たちは、万葉集や古今集などをよく読んだ。それにより先人文化の継承が行なはれた。
それに対し私の歌は口語だから、本歌取りはできないし、(表面的には)参考にできない。だから云って、明治以降の近代短歌は嫌ひだから、見ることさへない。(表面的には)と書いたのは、内側で万葉集に倣ひたい。さう云ふ思ひがある。
歌作り 話し言葉を 用ゐると 昔のものと 異なりて どこを学ぶか 心を遣ふ


十一月十一日(木)
今の時代は文語との距離が、昭和と比べて、ますます遠くなった。昭和はまだ「止まれ見よ」など文語があった。だから今は口語の書き言葉言葉を目標に詠む。これは江戸時代までの人たちが、万葉集や古今集を目標に作ったのと同じだ。
口語でも美しい口語、上品な口語、他人を不快にさせない口語を使ふべきだ。口語を定型に推敲するときに、これらは改善される。
歌作り 話し言葉の 書き言葉 美し優し 心言葉に


十一月十三日(土)
良寛の歌に詞書のあるものもある。詞書を読むと、その内容はすぐ理解できる。江戸時代の文語は簡単である。ところが歌は、理解するのに註釈が必要なものも少なくない。その理由は、良寛は万葉集や古今集で歌を学んだからだ。
このことは良寛に限らず、すべての歌人に共通だったのだらう。歌を詠む人は、万葉集と古今集と云ふ共通語があった。
それに対し、私は現代口語によって歌を作る。これはすべての人に理解しやすい。しかし文法と語彙を取り除いた内側に、良寛と共通の心があると私は思ふ。

十一月十四日(日)
歌に限らず、私が文章を書くとき注意することは、同じ助詞の連続を避ける。「の」に限り連続を認めてきたが、最近は「の」も避けるやうになった。
公の 民の集へる これを変へ 民が集へる 続くを避ける
 (元の歌の頁へ)
最近になって、もう一つ進化したことがある。歌では音便を避ける。
異なって より優れるは 異なりて 話し言葉が 書き言葉へと
 (元の歌は上記、十一月五日)

十一月十五日(月)
良寛は歌人ではない。そればかりか、歌人の歌は嫌ひだと語った。歌人の歌には、嘘が含まれる。本当は家の近所で鶯が鳴いたのに山奥にしたり、曇りなのに晴れにしたりする。文学性を優先させるからだ。
良寛は先ほどの発言から、そんなことはしないはずだ。私も嘘は詠まない。良寛と私に、大きな共通点があった。
美しい 文(ふみ)にするため 嘘を詠む してはいけない 心に背く


十一月十六日(火)
和語の歌では、判りにくい語を使はない工夫が必要だ。「とつ国」と呼ばず「外(そと)の国」、「三十(みそぢ)余り六つ」「四十(よそぢ)余り三つ」と数へず「干支の支が三回り」「十が四つ一が三つ」(使用した頁)。美しさを失はず解り易く作るのは大変だが、科学の発達した時代に和語だけで歌を詠むのは、作り甲斐がある。(終)

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