千六百八(新和語の歌) 渡辺秀英「良寛歌集」「良寛出家考」
辛丑(2021)
八月二十一日(土)
渡辺秀英「良寛歌集」は、先頭に「解説」と云ふ部に「良寛の歌論」「良寛の歌の特色」「本書の成立」「参考文献」の章がある。「良寛の歌論」では歌の辞を挙げ
よき歌よまむとするはわろし。おもしろき歌よまんとするもわろし。

で始まる。私は、良寛の作ではないと思ふ。良寛がこんな批判をするとは考へられない。とは云へ、口頭で歌論を述べ、それを上杉篤興が筆記したのならあり得る。渡辺さんは
歌風としては(1)堂上歌風を排撃したこと、(2)万葉風を主としたことであり、内容としては(3)情緒の素直な表現であることと (4)内面の芸術を唱導したことであろう。

とする。これなら判る。良寛が容易に他人を批判するはずがない。しかし堂上派に絞められたことを批判するのであれば、良い事だ。丁度、徳川幕府の寺請け制度で特権階級となった各宗派を良寛が詩で批判したやうに、それなら正しい。

八月二十二日(日)
「あとがき」に
良寛の「歌論」と「出家の歌」を紹介し、あわせてその全歌を載せようというのが本書の目の
(目的の誤りか)だった。
「出家の歌」は、(中略)『良寛出家考』(新潟、考古堂)により一応の成果を世に問うことができた。

とある。次に『良寛出家考』を紹介したい。
上杉家を最初に訪れたのが昭和三十六年三月二十四日だ。(中略)その中に「木端集」と題した良寛歌集の写本もあった。

そして昭和三十九年四月三日に
驚喜させたのは「題しらず」とある一首の長歌だった。良寛が出家して玉島へ赴く折のことを詠んだ歌である。

その歌とは
うつせみは 常なきものと
むら肝の  心にもひて
家をいで  うからをはなれ
(中略)
母が心の むつまじき
(中略)
父がことばの いつくしき
(中略)
これのふたつを 父母が
かたみとなさむ わがいのち
この世のなかに あらむかぎりは

良寛の 二つの書(ふみ)を 世に出すは 尊いことで 皆が喜ぶ 真でも偽でも

私の考へは、出家したときに作ったのなら真だと思ふ。後から回想して作ったとするのなら偽だと思ふ。どちらでも、歴史的文書として貴重だ。

八月二十四日(火)
「良寛歌集」に戻ると、歌集に入る前の「解説」に「良寛の歌の特色」があり
(6)万葉調で序詞・枕詞が多い
良寛の歌は万葉を基調としている。だが、その後期の歌風に近く、のびのびとして悠揚せまらず、いわゆる良寛調とでもいうべきであろう。

とする。枕詞について
短歌では一一四五首中の一八四首で一六%である。語彙をあげれば「あしひきの」48、「ひさかたの」42で、全体の半数を占め、十回以上使用のものは「さすたけの」12、「たまぼこの」10で、その他の33語は皆八回以上の使用である。
長歌においては、一首百句以上の長篇のものもあり、(中略)一首平均14回あるが、頻用のものは短歌と同じく、「あしひきの」26、「ひさかたの」21、十回以上は「あらたまの」16、「たまぼこの」10、「ぬばたまの」10、以下は40語もある。

次に
(7)五七調と七五調が混在している
万葉調の長歌に七五調の入るのを嫌うが、『万葉集』末期の作にも既に七五調のきざしているのは各書に論ぜられている通りである。良寛の作にそれがあったとて別に怪しむ必要もなかろう。
(終)

和歌論十六へ 和歌論十八へ

メニューへ戻る 歌(百四十八の一)へ 歌(百四十八の三)へ