千六百三十七(和語の歌) 1.論語講座、2.南消防署六辻公民館複合施設
辛丑(2021)
十一月五日(金)
六辻公民館 文学講座『心に響く「論語」』に出席した。六辻公民館の建物は、南消防署との複合施設だ。かつてはもう一つ「浦和市役所六辻連絡室、土地区画整理組合」があり、公民館階段向かって左側の今は非常階段が、入口だった。あの階段の内側は、どうなってゐたのだらうか。それを調べるのが、今回の第一目的である。
儒教は権力側の思想と思はれてゐる。私は、儒教が権力側ではなく、儒教の堕落したものが権力側だと思ふ。それを確かめるのが、第二の目的である。
第一の目的はすぐ判った。廊下の突き当りが非常階段だ。非常階段の手前左側が防災準備室で、ここがかつての「浦和市役所六辻連絡室、土地区画整理組合」なのだらうとまづ思った。今回の講座は、ここで行はれた。
終了したあとよく考へると、トイレは男子用、女子用が廊下を曲がった先にあるほか、身障者用が非常口入り左側にある。新築の昭和四十四年に身障者用トイレは無かった。六辻公民館にエレベータを昨年付けるために調査の結果、増築部分があり不可能と判った、と或る市議のホームページにあった。。つまり大規模工事を行ったから、その前は非常階段の両側が「浦和市役所六辻連絡室、土地区画整理組合」と想像できる。
第二の目的もすぐ判った。論語は孔子の言葉。儒教はそれ以外をたくさん含む。
公の 民が集へる 館(やかた)にて 文(ふみ)を学ぶの 時来(きた)る 語(つ)げるを論(と)くは 唐土(もろこし)の 古い書(ふみ)にて 今に伝はる


十一月六日(土)
講師は、放送大学埼玉学習センター非常勤講師、大東文化大学地域連携センター講師。四十五歳だが、論語の講師では一番若いさうだ。まづ
子曰、「温故而知新、可以為師矣。」(子曰く、故(ふる)きを温(たず)ねて新しきを知れば、以て師為るべし。)

子は先生のこと。曰は「のたまはく」と読んでもよい。而は、下に繋げる(そして、の意)、矣は強調。
子曰、「人之生也直。罔之生也幸而免。」(子曰く、人の生くるや直なり。之れ罔(な)くして生くるや、幸にして免るるなり。)

生は(1)生きる、(2)生まれる。也は「は」。
子曰、「孰謂微生高直。或乞醯焉。乞諸其鄰而與之。」(子曰く、孰(たれ)か微生高(びせいこう)を直なりと謂ふ。或るひと醯を乞ふ。諸(こ)れを其の鄰(となり)に乞ひて之に与ふ。)

発音が同じ別の字に書き替へてもよい規則がある。微生は尾生。尾生の信。約束どほり橋の下で待ち続けて溺死。
直の意味は「正直」だが「ばか正直」の意味もある。日本で流通するすべての書籍は「正直」で取るが、微生高は正直ではないと、孔子が云ふだらうか。
子曰、「学而不思則罔。思而不学則殆。」(子曰く、学びて思はざれば則ち罔(くら)し。思いて学ばざれば則ち殆(あやう)し。)

これは貴重な教訓である。

十一月七日(日)
複合施設の新築年を調べるうちに、新しいことが判った。南消防署は、最初は浦和市消防署南浦和出張所だった。政令指定都市になるとき、南消防署になった。昔はのんびりして消防車と救急車の車庫兼職員の休憩室程度だったたのに、今は所属車輛が多く公民館階段横にも駐車する。訓練もしょっちゅう行ふ。
人口増加が原因かと思ったが、出張所から消防署に昇格したことが原因だった。

十一月十二日(金)
六辻公民館について先週、仮説を立てた。入って右側が一般利用区域、左側は連絡室があったときに管理区域だったのではないか。本日調べると、右側にトイレがないことと、左側に調理教室があることから、この仮説は正しくはなかった。
本日の講座は『心に響く「論語」』二回目だ。最初は有名な
子曰、「吾十有五而志于学。三十而立。四十而不惑。五十而知天命。六十而耳順。七十而従心所欲不踰矩。」

于は「~に、~を」、立は自立する、矩は基準。次は
孟武伯問孝。子曰、「父母唯其疾之憂。」

この解釈は、日中台の学者で二十三通りの解釈がある。
曾子曰、「吾日三省吾身。為人謀而不忠乎。与朋友而交不信乎。伝不習乎。」

三は何度も、忠は真心、習は羽が白い雛に親鳥が教へることから教はったことを繰り返し自分のものにする。

十一月十九日(金)
本日は最終回。
子曰、「学而時習之、不亦説乎。有朋自遠方来、不亦楽乎。人不知而不慍、不亦君子乎。」

学はまねから入る。習は先週も出たが、教はったことを繰り返す。時は、時々だとやらないから、その都度(学んですぐ)。説はよろこバシ、同じ発音の悦。悦<->喜。悦は内面から喜び、喜は喜怒哀楽の喜で表面上喜ぶ。朋は意見の同じ人。知は解る、理解する。慍はいきどうル。君子は徳のある立派な人<->小人は徳のない人、つまらない人
子曰「人無遠慮、必有近憂」。

遠は先のこと、慮はよく考へる。文全体では、先のことをよく考へないと、身近な心配事ばかりになる。
ここで休憩10分。同じ発音の字と書き換へが出来る件で、北京や上海で発音が異なることを質問したところ、始皇帝が七つの漢字を統一。孔子の時代は、始皇帝より前。そんなお話を伺った。
伯牛有疾。子問之。自牖執其手。曰「亡之。命矣夫。斯人也而有斯疾也。斯人也而有斯疾也。」

疾は重い、病は軽い。しかし孔子の時代は既に混同。問は訪問。命は天命。斯人は(ここでは)こんなすばらしい人が。斯疾はこんな病になるなんて。伯牛は家の奥(北側)に寝てゐた。天子南面、臣下北面で、孔子は感染防止のため家に入れない。裏の窓からなら南面なので、手を取った。
子曰、「知之者不如好之者。好之者不如楽之者。」

知は解る、理解する。文全体では、それで人生を楽しむ人が一番上。
今回で、『心に響く「論語」』が終了した。貴重なお話をありがとうございました。孔子は2550年前の人。釈尊と同年代である。
我が国は 唐土(もろこし)よりの 古き書(ふみ) 学び習ひて 国柄に 合はせ整へ 今の世となる
(終)

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