千二百七 『「満州事変」石原莞爾は悲劇の将軍か』を読んで(北岡伸一さんを批判)
平成三十戊戌
九月三十日(日)
日経BizGateに『「満州事変」石原莞爾は悲劇の将軍か』と云ふ記事が載った。四割賛成六割反対なので、反対の部分を指摘したい。まづ
北岡伸一・東大名誉教授(現・国際協力機構〈JICA〉理事長)は「(前略)戦前日本の国際協調と政党政治を一挙に破壊してしまった」と指摘する。国連次席大使なども歴任した北岡氏は「国際協調は相互の自制と信頼のシステム」と説く。

もし東日本は国内のどこでも製品を製造できるし販売できる、西日本は西日本でしか事業活動ができないとしたらどうだらうか。景気のよいときは、何とかやって行ける。景気が悪くなったら、西日本では大変なことになるだらう。
北岡氏の云ふ戦前の「国際協調は相互の自制と信頼のシステム」とは、かう云ふシステムだった。
否、それより更に悪かった。景気のよいときは、国内どこでも商売ができる。景気が悪くなったとたん、東日本では商売ができなくなった。これが戦前の植民地を持つ国々のやり方だった。
そのシステムを破壊したことで、むき出しの弱肉強食の論理がまかり通る国際政治時代を招いてしまった。

今述べたやうに、既にむき出しの弱肉強食の論理がまかり通る世の中だった。しかし北岡さんの主張もここまでだったなら、意見の相違として許容範囲だ。しかし
「日本にとって有利なものだったかどうかは、答えはすでに自明だ」(北岡氏)。

戦争が始まる前に言ったのなら偉い。結果を知る北岡さんが今ごろしたり顔で云ってはいけない。

十月四日(木)
二か月前の「陸軍・宇垣派:満州事変の拡大を一度は抑え込んだ男たち」は良質な記事だ。その一方で批判対象が一夕会に留まることから、石原莞爾を正当に批判することに遠慮してはいけないとの思ひから、北満州への進撃はよかったのかどうかを問題提起した。批判することは必要だし、間違って批判することもやむを得ない。間違った場合は、誰かが訂正すればよい。
そのやうな発想で今回の記事を読むと
「2.26事件」で、石原は戒厳司令部参謀として鎮圧に動いた。しかし反乱軍側の青年将校らに慕われていたのも石原だった。

2.26事件は、(1)皇道派と統制派の争ひに、(2)世界大恐慌による農村疲弊に政府が本腰を入れなかったことへの不満が加はったものだ。
石原は皇道派ではなかったから、暗殺リストに名を入れられたが、一方で多くの青年将校は(2)の理由で加はったから石原に一目置いてもゐた。石原も反乱将校に有利になるやう進めたが、天皇の命令が出たため、それに従った。しかし自身を含む陸軍上層部は予備役に退くことも主張した。だから「反乱軍側の青年将校らに慕われていた」は言ひ過ぎだが、これは誰かが訂正すれば済む話だ。それに対して北岡さんの
今日でも一部に根強い人気を持つ石原莞爾だが、北岡氏は厳しい点数を付ける。(1)結果さえよければ、勝手に軍隊を動かしてよいという下克上の先例を作った石原の責任は大きい

下克上の先例は張作霖爆殺事件だ。この事件の前に欧米、日本、ソ連がどこを応援したかはWikipediaによると
第一次国共合作(1924年)当時の諸外国の支援方針は、主に次の通りであった。
奉天軍(張作霖) ← 日本
直隷派 ← 欧米
中国国民党 ← ソ連(実質は党内の共産党員への支持)

これが昭和元年(1926)には、次のやうに変化する。
国民党の北伐で直隷派が壊滅(1926年)した後、張作霖は中国に権益を持つ欧米(イギリス、フランス、ドイツ、アメリカなど)の支援を得るため、日本から欧米寄りの姿勢に転換。(中略)同時期、国民党内でも欧米による支援を狙っていたが、(中略)中国共産党員とそれに同調する一部の労働者を粛清し、(中略)蒋介石は欧米勢力との連合に成功した。
1926年12月、ライバル達が続々と倒れていったため、これを好機と見た張作霖は(中略)北京に入城し大元帥への就任を宣言、「自らが中華民国の主権者となる」と発表した。大元帥就任後の張作霖は、更に反共・抗日独立的な欧米勢力寄りの政策を展開する。張作霖は欧米資本を引き込んで南満洲鉄道に対抗する鉄道路線網を構築しようとし、南満洲鉄道と関東軍の権益を損なう事になった。この当時の支援方針は次の通りである。
奉天軍(張作霖) ← 欧米・日本
国民党
中国共産党 ← ソ連

北岡さんは、まづ張作霖爆殺こそ満州問題の原因であることを無視した。次に一夕会こそ陸軍組織を乗っ取った根本であることを無視した。三番目に欧米こそ帝国主義の本家だといふことも無視した。三番目については、米ソ冷戦が終結するまで、或いはベトナム戦争が終結して暫く経過するまでは考へられない妄想だ。
(2)37年の日中戦争の勃発時に、できれば中国本土の資源も手に入れたいと石原は考えていたため、戦争の不拡大方針を徹底できなかった

石原は日本と中国が同盟して、オーストラリアを占領することを考へたから、戦争の不拡大だけではなく即時停戦を考へてゐた。蒋介石と即時停戦をすると、日本国内で再び226事件騒ぎが起きるかも知れないことまで覚悟した。

十月四日(木)その二
「日中戦争の拡大が石原の悲劇だとは思わない。石原のような人物を持ったことが日本にとっての悲劇だった」
北岡のこの発言は悪質だ。こんな発言をする人間が国際協力機構理事長であることのほうが、日本の納税者にとって悲劇だ。国際協力機構はカネを消費するだけだから、不手際や非効率があっても無視されがちだ。しかもこれまでの北岡の発言から、国際協力に使ふカネは援助先の国々の西洋称賛にしかならない。つまりは地球温暖化の促進にしかならない。(終)

(東京大学批判その二十四)

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