千百八十三 記事「陸軍・宇垣派:満州事変の拡大を一度は抑え込んだ男たち」を称賛
平成三十戊戌
八月十八日(土)
日経ビジネスオンラインに載った
陸軍・宇垣派:満州事変の拡大を一度は抑え込んだ男たち
は良質な記事だ。日経ビジネスの副編集長が、川田稔さん(日本福祉大学教授)と井上寿一さん(学習院大学学長)に質問した。
井上:宇垣という人は、戦後までずっと首相候補として名前が挙がるなど、いろいろな政治勢力から期待されました。けれども、いつも、いろいろな横やりが入ります。(中略)こうした彼の軌跡を振り返ると、過大評価されているのではないかという気がします。(中略)ワシントン体制に順応しようとしていますし、政党とも協力的です。宇垣は民政党と非常に親しい陸軍軍人でした。しかし実際は、満州事変を起こした関東軍に抵抗して不拡大で頑張ったような人なのか、疑問を感じます。
優柔不断だったのだらう。
川田:対中国政策については、浜口内閣とほぼ一致していました。浜口内閣は中国の内政には不干渉で、日中親善を図った。中国の関税自主権も承認しています。
相違点もあった。
川田:ただし、満州政策については差異がありました。
象徴的なのは、「満蒙五鉄道」という新しい鉄道建設に対する姿勢です。これは田中義一内閣が張作霖と合意した借款鉄道(利権鉄道)。(中略)この満蒙五鉄道の敷設を張作霖も、息子の張学良も実行しなかった。
もう1つ、満鉄の平行線についても、宇垣派は民政党政権と意見を異にしていました。
浜口・若槻の民政党政権で外務大臣を務めた幣原喜重郎は、満鉄の平行線についてそれまでの抗議を取り下げました。満蒙五鉄道についても張学良政権の自弁鉄道にすると方針を転換しました。自弁鉄道になると、(中略)日本の利権鉄道ではなくなってしまいます。
宇垣派は、こうした民政党政権の方針とは異なる考えを持っていました。これらの鉄道は実は、すべて対ソ戦に備えるための鉄道だったからです。
満州はロシア軍の占領状態だったが、日露戦争で日本がロシア軍を追ひ出した。張作霖は銃殺になるところを田中義一に助けられ、しかも満州の軍閥にのし上がった。本来は日本に従ふのが普通なのに、約束を破り、平行線まで作った。
しかし日本にも裏切りがあった。対華二十一か条の要求により、租借期間を99年間に延長させた。日本が満鉄にこだはったのは、対ソ戦の備へではなく、利権が目的だったのではないか。
川田:満州事変がワシントン体制から外れるところまで進んでいけば、これは抑えないといけない。そして宇垣派は実際に、満州事変を起こした一夕会という陸軍内のグループや関東軍を抑えにかかりました。ある時期は、ある程度まで抑え込めていたのです。
ただ、抑えきれなかったのは、陸軍大臣が代わってしまったからです。若槻内閣が総辞職して、犬養毅を首相とする政友会内閣が成立。一夕会が担ぐ荒木貞夫を陸軍大臣に任命しました。(中略)これを機に、宇垣派がパージされることになりました。
この記事が良質な理由は、今までの書籍は満州事変は板垣と石原が仕組んだとするものがほとんどだ。実際には、満州事変は一夕会が仕組んだものだし、あれ以降、一夕会は陸軍を乗っ取り、陸軍の伝統はこのとき途切れてしまった。
川田:宇垣が考えた境界線は、おそらく九カ国条約に違反するかどうかにあったのだと思います。
現実は、宇垣派の下で、南満州を範囲とする自治的な新政権の樹立に進みました。若槻や幣原はもう少し手前、できれば満州事変が起こる前にまで戻したかったでしょう。新政権を樹立すれば、アメリカやイギリスと摩擦が起こります。若槻内閣としては摩擦は起こしたくなかった。しかし、宇垣派としては満州の鉄道利権だけは押さえておきたいという意識が非常に強くあった。
張作霖は、日本の反対を押し切って北京を占領し、しかし北伐軍に敗れて満州に逃げ帰る途中で爆殺された。日本が敗走軍を受け入れず武装解除を主張したのは、満州の治安を考へてのことだと私は想像するが、本当はどうだったのだらうか。
爆殺後、権力闘争を経て張学良は蒋介石に寝返った。若槻や幣原も満州事変が起こる前まで戻せるとは考へなかったのではないか。昭和恐慌の余韻を残すこの時期に、国民が若槻や幣原を支持したのか。この点も考慮する必要がある。
板垣、石原で批判されるべきは、北満州まで占領を広げたことだ。司令官の本庄と、板垣・石原が対立したのは北満州へ進撃するかどうかだった。その後の経過を知る現代人から見れば、北満州の占領は日ソが直接対決することになり失敗だった。しかしそのことに現代人が気付くとすれば、米ソ冷戦が終結した平成三年(1991)以降だ。
その前に、日華事変、仏印進駐、第二次世界大戦、第二次大戦後の世界各地での独立戦争や独立闘争、朝鮮戦争、パレスチナ問題、ベトナム戦争と多くの戦争、事件があった。そして今、地球温暖化と廃プラスチック問題が、我々の前方に立ちはだかる。(終)
メニューへ戻る
前へ
次へ