千四十三 1.二つの政治集会に急用で参加できなかった、2.西新宿で受け取った政治ビラ
平成二十九丁酉年
十月三十日(月)
昨日は二つの政治集会があった。一つは「明治150年記念シンポジウム」で、四人が登壇した。産経ニュースによると
渡辺利夫氏は「150年前に何が起きたか。封建社会という権力分散型の社会だった日本が、西欧列強に対抗するため一元化した時代だ」と振り返った。文芸批評家の新保祐司氏は「日本民族に与えられた試練の時代。その意味を考える上にも、11月3日を『明治の日』に」と訴えた。

私のところに案内状が来たのでぜひ参加したかったが、急用が入ってしまった。もう一つは団結祭りで、かつて国鉄争議団を支援する催しだった。国鉄争議が解決の後も団結祭りを継続したと聞いてはゐたが、一回も行かずに今年に至った。今回は或る労組幹部からお誘ひがあったので、まづ朝一番で団結祭りに参加し、午後から「明治150年記念シンポジウム」に行く予定だったが、こちらも用事が重なり行けなかった。

私は明治維新に100%賛成ではない。あれによって日本の西洋化が始まり、その行く末が大東亜戦争の敗戦だった。国柱会が分裂したときの各団体の人たちが中心になり毎年行ふ「明治の日」制定を求める式典には何回か参加してきた。小異を捨てて大同につくべきだ。

十一月一日(水)
団結祭りは、国鉄民営分割のときに不採用になった人たちを中心に、それを支援する団体なとが出店し、真剣ななかにも遊び心があって楽しい催しだった。国鉄争議が解決の後は、私は一回も参加したことは無いが、継続してゐることは聞いたことがあった。
ホームページ(アメリカでは先頭のページをホームページと呼ぶが、日本ではインターネットの画面全体をホームページと呼ぶ。私がホームページと云ふときは後者を指す)で調べると、目標が無くなったあとの空転の雰囲気が無い訳ではない。目標が無くなったことは戦後に三回ある。
まづ中国内戦や朝鮮戦争、ベトナム戦争のときは、共産主義を目指す、或いは共産主義と友好関係の政治を目指したが、これはスターリン批判、毛沢東の文化大革命の失敗、ポルポトの虐殺で、一つ目の目標は消失した。
その後は総資本対総労働の対決を保ちながら、しかし西欧式の社民主義には西洋文明が生活を破壊することへの深層心理での反抗があったから、社民主義から共産主義までを含んだ曖昧な社会主義を目指した。しかしソ連と東欧の崩壊により、二つ目の目標も消失した。
その後も国鉄争議団の闘争は続いたが、加藤弁護士の尽力、争議団の持続する運動で、裁判の勝利、政治の和解を勝ち取った。しかしその結果、三つ目の目標も消失した。
余談だが、私がかつて所属した労組で、誰かが明日は団結まつりに行くと話すのを脇で聞いた書記長のSが「あんなところに行くなら除名にするぞ」と言った。私は団結まつりに行ったが、行ったことを言はないから除名になったりはしなかった。西新宿の労組事務所には、全労協全国一般東京労組西部支部と書かれた木製の看板と、この労組の看板の二つが掛けてあったので、私は昔からの全労協だと思って加入した。まさか脱退して連合に移ったとは想像さへできなかった。
目標を失ったとは云へ、毎年続く団結まつりに今年は行かうと予定をしたが、急用が入り午後の「明治150年記念シンポジウム」同様参加できなかった。

十一月六日(月)
朝の出勤の時に、旧淀橋浄水場の境界跡に寄らう。さう思って新宿三丁目駅の渋谷寄りの改札からバスタ新宿の南を歩き、高層ビル街に到着した。
ここでビラを配布する人がゐた。区立中学校の教員だった人が卒業式などで国歌に反対して懲戒解雇になり、闘争を続けてゐる。まづそのビラを受け取った。この事件への感情は複雑だ。まづ国旗掲揚、国歌斉唱はよいことだ。国民の心を一つにできるから尊い。これが無ければ社会は弱肉強食になってしまふ。
一方で世代間の相違がある。戦前に成人した世代は、戦前の日本の軍国主義に反対し戦後のアメリカの世界支配にも反対しながら、国の独立心は失はなかった。(だから左派社会党の綱領を決めるときに、中執案が国の独立と社会主義を同時に進めるのに対して、総評選出中執の清水慎三が国の独立の後に社会主義を進める案を提出したことがあった。その後、左右の社会党は再合同したから綱領論争は忘れ去られたが、今思へば後に信州大学教授になった清水慎三の案が正しかった。なぜなら社会党はその後、政権を取れなかった。)
戦後まもなく成人を迎へた世代の心には、反日拝米が共存する。米ソ対立と特にベトナム戦争がその心に中和作用をもたらしたが、ソ連崩壊とともに反日拝米だけが残った。だから今、国旗反対国歌反対を唱へても、ほとんどの国民は支持しない。しかしベトナム戦争の時代に反米の一環として反日を唱へるなら、一定の支持はあった。だからこの世代が国旗国歌に反対しても、式場外整理に回すなどして穏便に済ませるのがよい。

十一月九日(木)
新宿中央公園に向かはうとすると、道路の反対側に赤い旗が見えた。或る新左翼で旗には社会主義と書いてある。これはよいことだ。資本主義が地球破壊に向かひ、伝統勢力がそれへの対案を出さない以上、社会主義を目指すのは一案だ。
かつて新左翼は暴動を起こしたが、これはよくない。政府が独裁なら暴動も仕方がない。選挙、言論の自由がある以上、これで対抗すべきだ。この団体は地方議員選挙にも立候補したらしい。これはよいことだ。
新左翼は社会が進歩すると考へてはいけない。社会が進歩するのは、進歩とは無縁の人たちがたまたま行なったことが後の世から見ると進歩になる。その反対に進歩させようと考へる人のやることは99%失敗する。永続できる体制を壊すのが進歩と云ふ名の改悪だが、それを永続できる体制に戻すとこれは後世から進歩と呼ばれる。
あとアメリカかぶれになってはいけない。ベトナム戦争の頃はアメリカかぶれになるなんてありえなかったが、今は拝米反日になりがちだ。これは社会を破壊するからやってはいけない。
この日の朝は、旧淀橋浄水場の境界には行かなかった。(完)

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