四百十八、加藤弁護士の講演会と新社会党


平成25年
五月十九日(日)「民事訴訟法」
昨日組合事務所に加藤弁護士をお迎へし民事訴訟法の講演会を開いた。加藤弁護士は鉄建公団国労差別訴訟の主任弁護士を務め、新社会党の副委員長でもある。初めてお会ひした第一印象は、自民党の西田昌司議員と目の回りが似てゐるかなと思つた。片や新社会党、片や自民党伝統派で正反対と思はれがちだが、経済至上主義に反対する国民第一主義、米従属に反対など共通点が多い。
話の面白い人は能力がある。そのように明言するとわざと面白くしようとする人が出るから普段は云はない。わざと面白くするのではなく話自体が面白くなくてはいけない。加藤弁護士は話自体が面白い。聴いてゐて退屈しない。新社会党の副委員長にしておくのはもつたいないくらいである、なんていふと新社会党に失礼かな。民事訴訟法自体の解説のほかに労働関係の貴重な話が豊富にあつた。
・裁判所は重くてやつかい、だから労働委員会
・中世の職権主義的訴訟観(奉行と「お白州」)と現代の自由主義的訴訟観、しかし労働事件は会社側が有利で対等にならない
・労委で会社が和解に応じるなら労委、行訴に回すつもりなら地労委であきらめて司法のほうがよい
・地労委の労働者側委員には希望を伝へないと損。等々

五月二十一日(火)「職権主義と自由主義」
質問の時間に私は、江戸時代は職権主義的訴訟観、現代は自由主義的訴訟観といふお話でしたがレーニンの時代の共産主義はどうだつたのでせうかと質問した。加藤弁護士の答は、裁判官は共産党の影響下にあつたが自由主義的訴訟観、中世はコミユニテイがあり誰が犯人か判つた、木の燃へ方が無罪有罪を決めても皆は犯人ではないときは燃へないように木を入れた、都市化で自由主義的訴訟観になつた。
加藤弁護士が新社会党の副委員長であるため、このような質問をするには最適と考へたのだが、後から考へると瞬時にこのように回答するのは加藤弁護士が極めて優秀だからである。もし私が加藤弁護士の立場だつたら、その時代にソ連にゐなかつたから判らないが職権と自由の中間ではないかくらいの答になつた。

五月二十三日(木)「新社会党は鈴木派に回帰を」
新社会党のポスターを見たのは今から十年以上前だらうか。ほとんど憶へてゐないがたしか都立図書館に行つた帰りに港区か渋谷区の路上で一回だけ見たことがある。そのとき、このポスターでは駄目でその理由は唯物論だからだと即座に思つた。今、新社会党のホームページを見るとやはり同じ感想を持つ。これでは票が集まらない。新社会党はかつての鈴木派に回帰するのがよい。

五月二十五日(土)「国民性と唯物論」
社会党は左右両派が共存すべきだつた。実際は左右が足を引つ張り合ひ(私の感想)、或いは左右が傷を舐め合ひ(全電通山岸氏の感想)、凋落を続けた。どんな組織も自然に集まると左右共存になる。組織に属したら組織第一で行くべきだ。それなのに別の組織に属すからさういふことになる。別の組織とは古くは党内の派閥だし、後には外部の組織になつた。

左右共存の利点は国民性を持てることだ。西洋では創造主の有無で唯物論かだうかを分けたが、アジアでは国民性の有無で唯物論かだうかを決めるべきだ。一つには西洋文明の流入が国民生活を破壊すること、二つにはキリスト教と唯物論の論争をアジアでは経験しないからである。三つには宗教があるから文化があるのではなく、文化がありその上に宗教がある。

五月二十六日(日)「マルクスと社会民主主義」
新社会党はマルクスは評価してレーニンとは距離を置く。これ自体は間違ひではないがマルクスの生きた時代は欧州の混乱した時代だからその影響下にある。そこを補正しないと国民の支持が得られない。
社会民主主義について新社会党は資本主義の範疇と批判するが、社会民主主義と資本主義はどちらも西洋の範疇にある。高度経済成長期の日本は資本主義ではなく日本型社会主義の不完全な姿であつた。今でも株主の権利を声高に叫ばなければ部分的な社会主義である。そこをはつきりさせないと部分的な社会主義の恩恵を受ける大企業労働者から支持が集まらない。恩恵を受けない個人商店主からも支持が集まらない。(完)


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