千四十五 1.西新宿のすぐそばに渋谷区が(二つの本町)、2.高層ビルは地元に迷惑だ、3.淀橋、角筈、新宿
平成二十九丁酉年
十月三十一日(火)
昨日の昼休みは、二軒家公園に行った。そして何とこの辺りは渋谷区本町と云ふ地名なことが判った。
きっかけは地図に二軒家公園と二軒家ふるさと公園がある。なぜ似た名称なのだらうと調べるうちに、どちらも渋谷区立だった。そして昨日は二軒家公園に行った。そして渋谷区が西新宿の脇までせり出すことが判った。

十一月一日(水)
その次の日は、二軒家ふるさと公園に行かうとして道を間違へた。旧淀橋浄水場と青梅街道は斜めの関係なので、西に行くほど大回りになる。今回は一番大回りの道に出なくてはいけないのに、大回りだからつひ内側に行ってしまった。だからそのまま旧淀橋浄水場との境界の道を前回とは別のルートで探索した。水の橋、淀橋給水場の北側施設、角筈橋、淀橋給水場の南側を見つけた。
本来、新宿駅の地名は新宿ではなく角筈だ。その東の新宿三丁目駅から先が新宿だ。だから都電で九段下方面に向ふと、新宿駅前の次が角筈、その次が四谷三光町、更にその先が新宿三丁目、新宿二丁目、新宿一丁目と続いた。
反対側を見ると角筈の西は淀橋だ。淀橋給水場の横に角筈橋があると、昔の都電を知ってゐる人は、新宿駅から東の角筈がなぜ橋の名なのかと不思議に思ふことだらう。

十一月三日(金)
その次の日は、昼休みに待ちかねた二軒家ふるさと公園に行った。保育園か幼稚園の跡地に、建物を老人用施設に転用し、手前の敷地を公園と称するだけの、わざわざ行く価値のない公園だった。二軒家公園は流水行けがあり昼食をベンチで食べる人もゐて賑はったが、二軒家ふるさと公園は人っ子一人おらず、如何にも暫定使用だった。 帰りにアサヒビールの発送センターの横と前を歩いたのが唯一の収穫だった。

十一月三日(金)その二
昨日は朝の出勤のときに、中野坂上で降りてハーモニータワーの中を抜けて裏から小道の坂を下り神田川を渡って、初めて新築の高層マンションの敷地を通った。敷地内に財団法人淀橋会館と云ふ同じく新築の二階建てがある。この名称は近くの信金の三階なので聞き覚へがある。そのまま出勤した。今回は高層階エレベータに乗るため、正面に回ったが赤い通行案内帯があり、かなり大回りさせられた。
インターネットで調べると財団法人淀橋会館は東京都教育委員会の所管だ。教育関係の会館だらうかと更に調べると町内会の建物だ。ここに高層マンションを建てるとき、会館を守るための反対運動が起きた。そののち和解し、信金の入るビルに一時移転ののち、ここに新築されたやうだ。
昼休みは淀橋会館を再度見たあと、高層マンションの外に長机を置き受付が二人ゐたので話を訊くと三十一日から入居が始まったさうだ。一階の商店街はまだ工事中だった。二階へのエスカレータも停止してゐた。この日は地下鉄の西新宿五丁目駅付近まで歩いただけで会社に戻った。
以前のの淀橋会館は昭和27年に作られ、神田上水路の洗砂作業を淀橋の青年団が請け負ひ、東京都水道局から得た資金で建てたとある。木造二階建てで、古くからの町内会にときどき見かけることのできるやうな建物だ。
かつて会社が鍋屋横丁にあった時代に、通勤に渋谷中野の京王バスや、駒沢陸橋新宿の都営バスを使ったことがあった。バスの部分は定期券ではなくパスネットを使ふのだが、西新宿の組合事務所に行くとき困った。そこで会社から組合事務所まで歩いたことが二十回ほどあった。二軒家の方面に散歩すると、神田川から羽衣湯を経由して淀橋庚申堂の一本先の小道までが当時と重なるのでなつかしい。十年も前の話だ。

十一月五日(日)
六年程前に永福町から新宿行きの京王バスに乗ったら社内放送で本町を「ほんまち」と読んだ。都バスの新宿発駒沢陸橋行き(今は短縮された)に乗ると「ほんちょう」と発音する。読み方が二つあるのかと思ってきたが、京王バスは渋谷区、都バスは中野区の本町だった。
渋谷区本町の先端からは完成したばかりの高層マンションが眼前にせまる。町の安寧を破壊する迷惑な存在だ。事務所用の高層ビルはそれなりに美しい。高層マンションは醜い。
親藩譜代の高層ビル(旧淀橋浄水場の敷地内)は住宅地と距離を保つからそれほど害はない。外様の高層ビルもある程度、町家からは離れる。しかし今回の高層マンションは町家から丸見えだ。あと高層ビルの傍は強風が吹くことがある。これは事務所用の高層ビルも同じだ。やはり高層ビルは迷惑な存在だ。(完)

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