千三十四 西部邁さんの「安倍首相は真の保守ではない!」から、安倍批判以外の部分を称賛
平成二十九丁酉年
十月八日(日)
西部邁さんの「安倍首相は真の保守ではない」のうち、安倍批判の部分は既に紹介した。西部さんの発言にはこれ以外も貴重な内容が含まれるので、それを紹介したい。
保守の対極に位置する左翼(革新派)について、西部さんはどのように捉えてきたのでしょうか。
の質問に対して
左翼が掲げる「革新主義」(Progressivism)とは、変化を起こせば何かよきものが生まれる、との考えに基づいています。これに対して英国の政治哲学者であるマイケル・オークショットは、「変化によって得るものは不確実だが、変化によって失うものは確実」と指摘しました。
たとえば、離婚すれば妻を失いますが、新たな妻をめとることができるか、めとったとしても離婚した妻よりましなのかは定かではない。失うのは確実ですが、新しく得るものは不確実であるだけに、「変化に対しては常に注意深くあれ」とオークショットは説きました。変化を拒めという意味合いではなく、変化したからといって確実によくなるとは限らないのだから、いたずらに舞い上がるな、と諫めたわけです。ロシア革命や毛沢東の所業も然りで、多くの歴史がそのことを裏付けている。
これは100%同感だ。続いて
結局、「人間は素晴らしい」というヒューマニズムが革新主義の原点にありそうです。大多数が求めている方向に変化を起こせば、人間は本来の素晴らしき姿に近づいていくという発想で、要はフランス革命期に唱えられたペルフェクティビリティ(完成可能性)。「人間は欲することに沿って変化を続けていけばやがて完成に至る」というのです。
地球温暖化の問題が提起される前に、この思想が出たのは素晴らしいことだ。今では地球温暖化で「人間は素晴らしい」は間違ひなことが明らかになったが。尚、ヒューマニズムは日本では人道主義の意味で用ゐられるが、世界では人間中心主義の意味が優勢らしい。ここを取り違へると悪魔の思想を取り入れることになる。
しかしながら、僕は人間が素晴らしいとはこれっぽっちも思っていない。人間なんてロクなものではないと自覚する力を備えていることがせめてもの救いであって、性善であるのはせいぜいその分だけです。
ましてや、ペルフェクティビリティ(完成可能性)なんておこがましい話です。完成してしまうと、人間は神と化すわけだから。(中略)己の顔を鏡に映せば、とても完成可能性があるとは思えないはず。保守派の見解のほうが正しいのです。
ここは100%賛成だ。
十月八日(日)その二
ところが、戦後の日本には革新派しか存在してこなかったのが現実だった。左翼のみならず、自民党さえも革新という言葉を口にしてきたのです。おそらく日本では、変化によって一新させることがよきものだと思い込まれてきたのでしょう。
これも100%賛成だ。戦後の保守は、社会主義を阻止する資本主義の保守だった。しかし資本主義だって明治維新以降に入った制度だ。だから私は、社会主義とは自然経済のことで、これは自由経済とは異なる、個人経営を基本に資金の集積が必要な場合は共同意識で集積すべきだ、と主張してきた。
「リボルーション」(Revolution)の真意をご存じですか? 「革命」と訳されているが、「再び(Re)」と「巡り来る(volute)」が組み合わさった言葉で、「古くよき知恵を再び巡らせて現代に有効活用する」というのが本来の意味です。愚かなことに現代人は、いまだかつてない新しいことをやるのがリボルーションだと解釈してしまった。
維新という言葉にしても、孔子がまとめた「詩経」の一節「周雖旧邦 其命維新(周は古い国だが、その命〈治世〉は再び新たに生かせる)」を引用したもの。改革(Reform)も然りで、本来の形式を取り戻すというのが真意なのです。
これは西部さんが書いたものを、以前読むまで知らなかった。
十月八日(日)その三
西部さんにとって「ファシスタ」とはどんな概念ですか。
と云ふ質問に対し
「ファッショ」という言葉には、束ねる、団結するという意味がある。この世に生まれ、他者と気心を通じたいと考える僕は、自然とファシスタになろうとしていたわけです。(中略)単に「保守派に属する者」という位置づけではなく、もっと広い意味でのファッショが、これまでの自分の活動の根底にあった、ということです。
(前略)1920~1930年代にあれだけ資本主義が暴走してアングロサクソンたちがやりたい放題をやった挙げ句、どうなったのかということについて振り返ってみたかった。
暴走の最たる例は、第一次世界大戦の戦勝国が、ドイツに対して当時の同国のGNP(国民総生産)の20倍に及ぶ賠償金を要求したこと。その結果としてドイツがハイパーインフレに陥れば、アドルフ・ヒトラーのような人間が出てくるのは当たり前です。
米国にしても、フランクリン・ルーズベルト大統領のニューディール政策が「公共投資でしか消費は生み出せない」と唱えているように、社会主義への傾倒ぶりが顕著だった。当時の知的水準では、自由主義、資本主義が限界に到達すれば、社会主義に進んでいくのはごく自然のことだったわけです。
これは昭和五十年辺りまでの日本も同じだ。与党の自民党はその政策が世界で一番成功した社会主義と云はれた。野党もすべて社会主義を主張し、日本社会党は「社会主義、または社会民主主義」、公明党は「戸田城聖の時代は新社会主義、公明党結成時は人間性社会主義」、共産党は「マルクスレーニン式社会主義」、民社党は「民主社会主義」だった。
その一方で、イタリアにおいては「束ねる(団結する)」を語源とするファシズムが活発化しました。ヒトラーが先導したナチズムは合理的に国家を設計するという社会主義的な色彩が濃かったのに対し、ファッショはもっとロマンチックに「ローマの栄光を取り戻そう」という思想に基づいたものです。
もちろん、実際のファシスタにはゴロツキと呼ばれる手合いも少なからず加わっていたし、よく考えもせずに酷いことをしでかしたのも事実。しかしながら、当時の資本主義の滅茶苦茶ぶりからすれば起こるべくして起こったことで、デモクラシーの中から生まれたものでもあります。
この辺りは、私にはよく判らない。私自身は、科学の発展と社会の現状の不平衡による現象と捉へてゐる。(完)
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(歴史の流れの復活を、その三百十二の二)へ(一つ抜けたので平成30.12.26に修正)
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