千四十八 右翼傾向と左翼傾向を分けるものは何か
平成二十九丁酉年
十一月八日(水)
右翼、左翼と呼ぶと、日本では過激な印象を受けるため、米ソ冷戦時代には、保守、革新と呼ばれた。そして西側(アメリカと西欧)を支持する勢力が保守、東側(ソ連、東欧、中国、ベトナム、キューバ)を支持する勢力が革新だった。
ソ連崩壊の後はこの分類が消滅し、古くは自民党の旧竹下派から分裂した小沢一郎グループが民主党(当時)と合流したり、最近では立憲民主党を小林よしのりさんと新右翼一水会の鈴木邦男さんが応援して、左右の分類は消滅した。
明治維新のときや明治時代中期までは右翼と左翼は存在しなかった。つまり日本の歴史の95%以上の期間には右翼と左翼が無い。だから今回はこれらを右翼傾向、左翼傾向と呼び、二つの傾向を分けるものは何なのかを探ることにした。

十一月九日(木)
頭山満は中江兆民と仲が良かった。しかし頭山満は後に大勢で運動をしてはいけないと左翼傾向を批判したことがある。私が思ふに、これが右翼傾向と左翼傾向を分ける最も適切な定義だ。三島由紀夫のやうに少人数で行ふのが右翼傾向、その反対の形態が左翼傾向となる。
とは云へ相手が強大な場合は、右翼傾向も集団となる。西郷隆盛の西南の役がその典型だ。総評が解体してから、従業員がユニオンショップ労組に相談しても個別紛争は扱はないと断られ、個人加盟労組に相談に来ることが多い。つまり左翼傾向も個人になる。

十一月十九日(日)
左翼は進歩主義、右翼は守旧主義と云ふ分類がある。しかしこの分け方は正しくない。左翼でも守旧主義の人は多い。と云ひたいが多いどころか99%が守旧主義だ。私の結論では、頭山満の一人で主張するか集団で主張するかが正しい。勿論戦術として集団で行動することはある。

十一月二十一日(火)
前々回、右翼傾向も集団になるし、左翼傾向も個人になることがあると述べた。それでは集団か個人かで分類できないではないか。そのとおりだ。本来、右翼と左翼は無い。ただし時間が経過すると誰でも安易な方法に堕落する。一人でやるあまりテロや暴力団に走るのが右翼と世間からは思はれてゐるし、集団でゴネ得、既得権を維持するのが左翼と世間からは思はれてゐる。
頭山満は中江兆民と仲が良かった。しかし頭山満は後に大勢で運動をしてはいけないと左翼傾向を批判した。これは時代が変化したのではなく、周囲の人たちが安易な方法に堕落したためだ。世の為、人の為に行なふ行動に左右の分類がある筈は無い。

十一月二十三日(木)
左翼が進歩主義だと錯覚するのは二つの理由が考へられる。パリコンミューンにしろ労働争議にしろ左翼は弾圧される側にある。だから冤罪や不正確な捜査が多い当時にあっては、死刑廃止を掲げることもあった。
資本主義の本質は唯物論だ。そして当時の科学の発展から、唯物論を覆すのは不可能と思はれた。だからマルクスは資本主義的唯物論への対抗として、弁証法的唯物論を考へた。だから進歩主義を補正するのがマルクスと云へる。ところがロシアは資本主義よりはるか遅れた社会だったため、資本主義と共産主義のどちらもロシアから見れば進歩であり、左翼は進歩主義になってしまった。そして恐ろしいことに、単純唯物論に陥ってしまひ、その行く先がスターリンの粛清、毛沢東の文化大革命、ポルポトの大虐殺だった。
以上の理由により、左翼と右翼は分ける必要がなくなる。(完)

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