102-5、作家X5(作家Xを正しく理解するには)
平成ニ十一年
五月三十日(土)「没後まもなくの出版が重要」
作家Xを正しく理解するには、作家Xをよく知る人たちが生きていた時代の書籍が重要である。幸いに草野心平氏を始め多くの方々の努力で作家Xの遺稿は詳しく出版されている。この時代には作家Xの悪口を言うものはいなかった。
ところが最近になって、押野氏のように悪口を羅列する者や山根氏のように変な解釈をする人間が現れた。特に押野氏は不真面目で下品でひどすぎる。
世の中には偶然ということがよくある。私の今回の作家X特集は都立南大沢学園の演劇を見て始めた。それとは別にO電気工業のTさんに会いに行ったことがある(作家X3へ)。理由は本門仏立宗だからである。そのTさんの集会に南大沢学園のN教師がときどき参加するそうだ。N教師は入学式や卒業式の「君が代」で起立せず教育委員会から何回か処分を受けている。私はN教師とは会ったこともない。しかし無理に繋ぎ合わせれば、「作家XのホームページはN教師が鍵となる。南大沢学園の演劇で始まりTさんに会っているからだ」と後に言われないとも限らない。
作家Xを変に解釈する連中も作家Xが亡くなった直後には現れない。後世に現れる。
五月三十一日(日)「目白台の偶然、岩手県特集1」
とし子の通っていた女子大と寄宿舎のある目白台にも偶然が多い。私の勤務先が団体交渉に応じないので昨年東京都労働委員会に訴えた。労組の副委員長が自分の申立書を参考にするよう言ってくれたので、これを参考に申立書を作った。
副委員長の勤務する会社は図書を輸送する会社である。後日XX会系の企業だと聞き急に三十五年前を思い出した。目白台の図書輸送という会社に一回行ったことがある。
あのとき偶然聖教新聞の小説で布教隊長X氏が文京支部長代理になるところを連載していた。文京支部長は田中正一氏である。図書輸送は田中氏が社長で自宅の近くにあった。
(私)図書輸送の階段を上がった二階がたしか仏壇のある広間でしたよね。
(副委員長)田中正一さんは目が不自由になって、誰が話しているのか分からなかった。こっちは分かっているのだが。
(私)Tさんという高等部文京本部長がいましたが、専務のTさんとは違うみたいですね
それにしても少し前まで全労協という社会党左派と新左翼の多い組織に所属していたとは思えない副委員長と執行委員(私)の会話である。副委員長が加入したときは全労協だったし、私は全労協だと思って加入したところ、いつの間にか連合になっていたというのが真相である。
六月一日(月)「目白台の偶然、岩手県特集2」
私と民主党幹部とは共通点のある人が多い。私の母は長野県出身だが羽田元首相も長野県である。私の義父は岩手県だが小沢代表代行も岩手県である。私は文京区だが鳩山代表の弟の選挙区であった。私は西品川M寺に短期間所属していたことがあるが、管代表代行のお母さんのお茶の先生はM寺の元住職の娘である。
前原副代表は4年前に国会で、小泉首相(当時)が靖国神社で仏教式に合掌したことにまず噛み付き、その次に「日米関係を壊そうとする人がいるがどう思うか」と質問した。小泉氏は、「そんな人がいるのですか」ととぼけていた。神社で合掌を主張をする人は私以外にはそれほど多くはない。
その直後に偽メール事件で前原氏は代表を辞任することになり次の代表は誰になるか世間の注目が集まった。たまたま小沢一郎氏のホームページを見つけてメールを出したところ返事がきた。内容から次の代表は小沢氏だとそのとき確信し、事実そうなった。前原氏のいう「日米関係を壊そうとする人」とは私のことなのだろう。ということで前原氏とも共通点がある。
なお、私は日米関係を壊そうとはしていない。英語第二公用語だの国際共通語としての英語だの日米安保条約が文化面にまで深化しただのと、日本とアジアの文化を破壊しようとする腹黒い連中がいるので、対抗しているだけである。日本が欧米の猿真似をすることはアジアのためにならない。日本は非欧米文明でアジアに模範を示すべきである。
羽田氏や小沢氏はかつて田中派に所属していて田中角栄邸は目白台にあった。
六月ニ日(火)「心象スケッチと文語詩」
日本では古来、長歌、短歌、漢詩、俳諧が好まれた。しかし江戸末期には停滞していた。明治維新後の混乱の中で作家Xはまず短歌を作り、次に心象スケッチを作った。
明治維新後の混乱は安定期に達することなく敗戦を迎え、戦後はますます混乱がひどい。人類が化石燃料の消費をやめない限り永久に安定期には達しないが、せめて国内の戦後の混乱だけはまず解消すべきである。
心象スケッチは草野心平氏など一部の人たちを除き、一般には受け入れられなかった。そこで作家Xは最後に文語定型詩を作った。心象スケッチを好む人には不評だが、一般にはもっと文語定型詩を評価してよい。その代表作が「雨ニモマケズ」である。その文法は口語でも思想は文語定型詩である。
六月七日(日)「大乗非仏説」
大乗経典は後世に作られたものであり釈尊の説いたものではない、という大乗非仏説は江戸時代に富永仲基や平田篤胤により唱えられていた。その後、姉崎は大乗非仏説を主張したのである。大乗非仏説を唱え世間の注目をあびた村上専精の「仏教統一論」(1901年)が発刊される二年ほど前の出版であった。(芹沢博通著作集6)。姉崎正治は成瀬仁蔵らと帰一協会を作り、成瀬仁蔵はとし子の卒業した日本女子大の創設者である。姉崎はその後國柱會と関係を深めた。作家Xと無縁ではない。作家Xは大乗非仏説論を知っていたはずである。
大乗経典は、長い歴史による価値として認めるのがよい。例えば明治政府は鎌倉幕府以来江戸幕府まで続いた形態を廃し、当時のイギリスやプロシヤの猿真似をして天皇中心の政府を作った。その結果大東亜戦争に至った。例え幕府が悪くても大昔に戻すのは不確定要素が大きい。
神仏は習合し長く日本で信仰されてきた。明治政府はこれを破壊し、その結果、西洋の猿真似しかできない不安定な世の中となった。
以上二つの例と同じように、東アジアでは大乗仏教が長く信仰されてきたのだから、これを続けることが一番いい。
大乗仏教はそのような方法で存続すべきである。
六月八日(月)「上座部仏教」
上座部仏教は大乗仏教の悪口は言っていない。そもそも大乗仏教に無関心である。それなのに世界でも日本だけが上座部仏教を悪く言う。まずパーリ語経典だって後世作られたものだという。昔は文字にせず口述で伝えたから時代とともに変化することはあり得る。しかし中村元氏は釈迦の言葉が変化せずに残っている部分もある、と述べている。
次に上座部仏教は利己主義だという。小乗仏経と言う言い方はここから出た。原始仏教の時代を過ぎて部派仏教の時代にはそういうこともあっただろう。しかし長い歴史の中で回復と堕落を繰り返し、今ではタイやスリランカ、ミャンマー、カンボジアで国民の心の支えとなっている。
上座部仏教とは戒律と瞑想が中心であり、これは宗教行為である。経典だけを見ると、西洋人のように釈迦を無神論の精神修養者ととらえ、日本の僧侶のように利己主義、厭世主義ととらえてしまう。
戒律と瞑想が宗教行為ではないというのは、大乗仏教の読経を発声練習、漢文音読練習というに等しい。なお日本だけが上座部仏教の悪口を言うのは、日本の僧侶妻帯を正当化する目的もある。日本以外の仏教国は上座部仏教も大乗仏教も僧侶は生涯独身である。だからといって日本が大乗仏教を批判する訳にはいかない。伝教が天台の悪口を言うようなものである。そこで上座部仏教の悪口をいう。
作家Xは上座部仏教をどう見ていただろうか。
六月十日(水)「肉食と大乗仏教」
作家Xの童話「ビジテリアン大祭」では、西洋人たちの次に本願寺派の信徒が登場する。
- 吾等の大教師にして仏の化身たる親鸞僧正がまのあたり肉食を行い爾来わが本願寺は代々これを行っている。
- 釈迦は最後に鍛工チェンダというものの捧げたる食物を受けた。その食物は豚肉を主としている、釈迦はこの豚肉の為に予め害したる胃腸を全く救うべからざるものにしたらしい。
次に主人公が登場する。
- 前論士は仏教徒として菜食主義を否定し肉食論を唱えたのでありますが遺憾乍ら私は又敬虔なる釈尊の弟子として前論士の所説の誤謬を指摘せざるを得ないのであります。先ず予め茲(ここ)で述べなければならないことは前論士は要するに仏教特に腐敗せる日本教権に対して一種骨董的好奇心を有するだけで決して仏弟子でもなく仏教徒でもないということであります。
- 前論士は釈尊の終りに受けられた供養が豚肉であるという、何という間違いであるか豚肉ではない蕈(きのこ)の一種である。サンスクリットの両音相類似する所から軽卒にもあのような誤りを見たのである。
上座部仏教と大乗仏教の双方に涅槃経という経典がある。本願寺派の信徒も主人公も、引用しているのは大乗経典のほうである。上座部仏教ではたまたま出された肉を僧侶が食することは禁止していない。大乗仏教では肉食そのものを禁止している。大乗仏教のほうが進んでいるが、上座部仏教のほうが釈迦時代の風習を守ったとも言える。
上座部仏教は実際に戒律を守り瞑想をする上座部仏教僧に接しないとそのよさは分からない。当時は上座部仏教の僧侶は日本にはいなかった。そして当時の日本はアジアで唯一列強の仲間入りをしたと有頂天になっていた。東南アジアやセイロン島にまで目が向かなかった。
作家Xも上座部仏教には出会わなかったようである。釈尊が豚肉を食べて亡くなったという部分に、上座部経典の痕跡がかすかに見られる。
六月十ニ日(水)「日本は大乗仏教国として再出発を」
会ったことはないが或る日本人のミャンマー上座部仏教僧の説法を録音で聞いたことがある。やたらと英単語を混ぜて、ずいぶん汚い日本語を話すなあとまず感じた。ミャンマー人が純粋に仏教を信仰していることを紹介しその純粋さについて「笑っちゃいますよ」と言った。師匠であるミャンマー人たちに対して何ということを言うのだろうかと嫌悪感を覚えた。しかもこの人はカナダだかアメリカに布教のため移住するのだという。布教ならこんな怪しげな日本人ではなく本物のミャンマー僧のほうがよいのではないか。
この話の教訓として、仏教は現地語または日本語で学ぶのがよい。英語で学んではならない。二番目に日本には上座部仏教の歴史がないのだから大乗仏教国として再出発すべきである。
どうしても上座部仏教を信仰したい人は日本に在留するタイやミャンマーやスリランカの僧侶から日本語で学ぶのがよい。
日本が大乗仏教国として再出発のためには僧侶妻帯と住職世襲を各宗派は自主的に禁止すべきである。作家Xは日本の仏教を腐敗せる日本教権と論じた。
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