102-6、作家X6(まとめ)

平成ニ十一年
六月十三日(土)「田中智学と日露戦争後の日本」
田中智学の著書を読むと、明治天皇、神道、日本を過大に賞賛するものもある。その一方で北原白秋を始め多くの著名人が田中智学を支持した。そして田中智学は僧X宗、本門宗、顕本法華宗など僧X系各派と頻繁に会合を持った。このことから田中智学の主張は当時の日本ではごく普通のものであったことがよくわかる。もし智学の主張が特異なものであれば、これらが交流するはずがない。
日露戦争に勝利しその後昭和二十年に至るまでは、日本全体が有頂天になっていた。その時代に田中智学がたまたま現れたというべきであろう。

六月十四日(日)「姉崎正治」
姉崎正治は明治後期から昭和にかけて日本の宗教学の権威とも言える。その著作集を読むと西洋の観点から日本の宗教を論じているだけで、日本にとっては無益である。白人にしか効かない薬を日本で一所懸命に販売するようなものである。しかしその後僧Xに傾斜しその著書「X経の行者僧X」は力作である。序言には次のように書かれている。 山川智応は國柱會の幹部であり、作家Xの心象スケッチにも登場する。保田妙本寺は旧本門宗の八本山の一つであり昭和三十一年にXX宗に移り、XX会が破門となった直後に同じく離脱した。XX宗時代にXX会の故北条弘会長が参拝し、万年救護の本尊が本物だとするとX寺ではなく妙本寺が正しいということになりますか、と真顔で尋ねて、北条というのは正直な男だなあ、という住職の話が週刊誌に載るという事もあった。
日本の宗教学の権威とも言える姉崎正治が「山川智応君には種々意見を求めて益を得た」と述べているのだから、國柱會は決して突出した団体ではなかった。一会員に過ぎない石原莞爾に惑わされてはいけない。そして作家Xをことさら國柱會とは無関係なように工作をしてはいけない。

姉崎はこの著書で「御義口伝」をしばしば引用している。「御義口伝」は僧Xの講義を僧△が書き写したといわれているが、僧X宗では偽書扱いする人が多い。田中智学は真書として扱い、姉崎もそれに従っている。

六月十六日(火)「世襲住職問題」
田中智学の初期の主張に、世襲住職の申請者は、寺格相当の世襲料を完納せしむべし、というものがある(宗門の維新)。これはよくない。経済的には寺院の払い下げでありそれで済むかも知れない。しかし宗教的にはなまぐさ坊主が出てきたらどうするのか。うちの先祖が世襲料を払ったから俺は住職をする権利がある、と言われれば、信徒はそれに従うしかなくなる。だから智学は後には寺院とは独立して組織を作った。
対するXX会はどうか。X寺の信徒団体として出発した。田中智学のほうが進んでいたとも言える。一方で当時のX寺は疲弊していた。XX会がX寺を応援したのも理解できる。しかし経済が豊かになれば世襲僧侶と喧嘩別れする運命にあった。
すべての原因は、明治政府の西洋猿真似政策にある。不安定なのは宗教だけではない。文学界も不安定となった。

六月十七日(水)「国語嫌いを作る国語教科書」
古典の文学と、明治以降の作品はどちらが優れているだろうか。それは前者に決まっている。前者は一千数百年のなかから精選されたのに対し後者は短期間である。国語の教科書はよくない。明治以降の俳句や戦後の評論を読むと国語嫌いになる。子供の教科書に載っていた俵万智の短歌と種田山頭火の俳句、メディア評論家の文章を見てそう思った。
日本では古来読み書きは文語を用いてきた。たとえ現代は口語で文章を書くにしても、文語の素養があればこそ、いい文章を書ける。田中智学然り、作家X然り。文語が得意なので口語は苦手だ、という人はいない。中学、高校の国語の教科書は九割が文語でもよい。
作家Xの文語詩は教科書には載らず評価が未だ定まっていないという。一に雨ニモマケズ、ニに童話、三に短歌と文語詩、四に心象スケッチ。この順序で教科書に載せればいい。草野心平氏には怒られそうだが。

六月十八日(木)「明治以降の文芸」
このまま二酸化炭素の放出を続ければ多くの生物は滅びる。そんなことは許されない。滅びるとすれば人類もいっしょである。
人類が滅びるか二酸化炭素の放出をやめるか。一方しか選択はない。二酸化炭素の放出をやめれば、文化は明治以前に一旦収束しよう。明治以降のほとんどの文芸は、人類が地球のガン細胞であった時代の遺物として忘れ去られる。
そうなっても作家Xの作品のうち、「雨ニモマケズ」と半数の童話と 幾つかの短歌、文語詩、心象スケッチは後世に伝えられるに相違ない。

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