九百四十二 浅草寺文化仏教講座(下田正弘さん「仏教思想のエッセンス」ほか)
平成二十九丁酉年
二月二十三日(水)
昨日は午後半休を取り、浅草寺文化仏教講座を聴きに行った。第1講座は和紙文化研究会副会長増田勝彦さん「和紙はこうして発展してきた」、第2講座は東京大学教授下田正弘さん「仏教思想のエッセンス」だった。
それより司会の僧侶が閉会の挨拶で驚くことを発表した。明治安田生命ホールでの開催は来月が最後になり、その後は丸の内に移転する。私は会社の近くなので数年間参加してきた。丸の内だと一日全休になる。二十日の有給休暇のうち半分を浅草寺文化仏教講座に使ふと、ほかのことが出来なくなる。来月は私にとって最後の参加になりさうだ。
第1講座は、研究者は自分の研究分野だけを話す悪い癖があると前置きして話された。実際その通りで聴者側としては不満の残るところだが、紙は中国から伝来し、それを日本が長年に亙り独自に発展させたといふところは貴重な情報だ。日本文化は中国と無関係ではないし、日本に入ったあとの独自性と中国じしんが失ったものを日本が保持し続けるものもあることは日本が誇るべきことだ。こんなところから日中の交流を深めるきっかけを作るべきだ。ハンチントンに騙されてはいけない。
----------ここから東京大学批判その二十二----------
三月二日(木)
第2講座は、下田正弘さんが出て来るときの顔を見て、あ、この人はまともなことを話すなと直感した。事実まともな話だった。東京大学法経文の教授は、人相判定で話の質が判る対象になってしまった。
下田さんと私の意見の相違は、下田さんは
古いものがいい、新しいものは不純と考へてしまひ、研究者にも考へてしまふ人がゐるが、温故知新。どちらも同じ。
と話された。古いものがよく、新しいものが不純な場合は、不純が入った理由がある。その不純が長く続く場合はその長所を認めるべきだと云ふのが私の意見で、古いものに突然戻すことは原理主義だ。日本は明治維新のときに原理主義をやって先の戦争に至った。だから多くの場合は、下田さんと私に意見の相違がある訳ではない。
三月四日(土)
下田さんはまづ
無常と無我--「だれ」からの解放(無へ)
紀元前5世紀頃の初期仏教経典。諸行無常の諸行は諸部分から全体を構成する力、無常は同じでありえないこと、自分の持続は不可能。以上のお話があった。次に
空--「なに」からの解放(無へ)
大乗仏教、竜樹(2世紀)。空、本質は無い、と話された。次に
唯識--「ある」ことの転換(有から)
大乗仏教、世親(4-5世紀)。三層の意識(1)知覚と記憶(五識と意識)日常。(2)自我意識(マナ識)危機のとき。自分が否定されさうになると、怒りとして出てくる。(3)過去からの全事実の意識(アーラヤ意識)今の記憶だけではなくその前全部。しかし仏教はそこから転換できる。インドでは生まれ変はってきた。
如来蔵と仏性--なぜ救われるのか(有から)
大乗経典(2世紀『涅槃経』)、大乗論書(6世紀『宝生論』)。一切衆生に仏性・如来蔵有り。生死(輪廻)即涅槃、煩悩即菩提。何も変へなくてよくなる(第一層で解釈するとよくない、僧、研究者にもゐる)。五感を超えないといけない。
四つに共通するのは、解放、自由になること。以上のお話があった。
三月五日(日)
私は下田さんとは別の意見で、仏教のエッセンスとは釈尊を崇めることだと考へる。無欲になれといっても、無欲になって貧困の苦しみに悩まされた一生でした、では困る。否、これならよいほうだ。無欲になって餓死しました、では困る。
釈尊を崇めるには二つある。一つはやり方を同じにすることで、これは上座部仏教だ。二つには思想で崇めることで、これには大乗仏教も含まれる。新説のうち永続できたものが大乗仏教でこれを受け継ぐことで生活と修行は続けられる。永続できるやり方を引き継ぐことで後世も永続する。全生物のエッセンスと云へる。
三月六日(月)
下田さんはアラヤ識の説明のとき、インドでは生まれ変はる、と話された。下田さん自身は輪廻を信じないのかと感じたが、同じくアラヤ識の説明で「科学は、生まれて、死んで、のところで切ってしまふ」と話されたので、やはり輪廻を信じるのかなとも感じた。
当時のインドでは多くの人が輪廻を当然のことと考へ、その一方で病気や貧困があるから輪廻を超越するところに幸福があるとする仏教は魅力的だった。翻って今の世は唯物論で死後は無いと考へる人が多いから、輪廻で死後も幸福に生まれませうと説くのは時宜にかなったことだ。輪廻が過ぎる世の中では解脱を説くし、唯物論が過ぎた世の中では輪廻を説く。これが仏教のエッセンスと云ふこともできるが、永遠に生まれ変はることを繰り返してどうするのか、それより解脱で永遠の幸福を得ようと考へるなら、その人たちこそ真の比丘、比丘尼とも云へる。
ここで唯物論と云ったのは輪廻の反対と云ふ意味であって、文化破壊社会破壊の単純唯物論思想とは異なる。(完)
追記三月七日(火)
講演が始まる前に三帰依文を唱へる。暗記してゐない人もゐるから唱へないのは構はない。しかし合掌は絶対にすべきだ。周りが合掌をするのに観客席で自分だけやらない人が一人ゐた。よほど腹の黒い人なのだらう。この人は第一講座も第二講座もメモを取った。片方だけメモを取るなら、和紙の関係者、仏教研究の関係者とも考へられる。しかし両方とも取るところを見ると別の宗教団体の関係者だらう。浅草寺は三帰依文のとき合掌しない人は入場させてはいけない。周囲の観客が不愉快になる。他の団体を排除する意図はなく、周囲に合はせて合掌するのは最低の礼儀だ。
終了後に会場を出た老人の男性が、新宿駅の地下広場で突然進路を変へたため、隣の通行人と軽く接触した。老人が悪いのだがそのとき隣の人に嫌味なことを言った。せっかく仏教の話を聴き、その前には三帰依文を唱へたのに、なぜこの老人はこんな行動を取るのか、とそのとき驚いた。私は上座部仏教の学習会にも出席するので、ミャンマーでは怒ることは悪いことだ、布施するものがなければ笑顔でゐることも布施になる、と習った。これが大乗仏教には欠けてゐると感じた一日だった。
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