九百二十八(その五) 秦郁彦さんの著書

平成二十九丁酉年
三月五日(日)
秦郁彦さんの三冊の著書を図書館で借りた。まづ昭和61年(1986)に出版された「南京事件」。南京事件はあったとの立場でティンパーリーと云ふイギリスの中国特派員が
中国を離れる直前に、松本重治同盟通信上海支局長を訪ねて刊行計画を打ち明け、「よき日本人に対しては、まことに済まぬことながら」と前置きして、「戦争が人間というものを変えてしまうという、悲しむべく、また憎むべきことを世界に周知せしめたいのです(以下略)
松本は陥落直後の南京を見聞し、大体のようすを知っていたから、「南京の暴行、虐殺は、全く恥ずかしいことだと思っている。貴著が一時は、反日的宣伝効果をもつだろうが、致し方ない。・・・・・君の本をわれわれの反省の糧としたいものだ」(括弧内略)と挨拶した。
著書とは『戦争とはなにか---中国における日本軍の暴虐』で、英語版、中国語訳とも半年後に出版された。中国語訳は郭沫若が序文を書いた。郭沫若は戦後、中日友好協会名誉会長を務める。松本重治の言葉にもあるが南京事件が日中交流に悪影響を与へない好例だ。ティンパーリーも戦争が人間を変へてしまふことを主張する。「働かずにたらふく食べたい」の反日パンフレットや、日本死ねの民進党のやうに、欧米のすることは正しく日本のすることは間違ってゐると云ふ立場とは雲泥の差がある。この本に書かれた戦争犯罪は
板倉由明氏の分類によると暴行の内訳は、殺人四九人、障害四四人、連行三九〇人、強姦三五九人、略奪その他一七九件となり、(中略)
(4)上級将校や憲兵は兵の犯行を見つけると制止したが、概して効果は乏しかった。
ここで注目すべきは上級将校や憲兵は制止したことだ。中には第六師団の師団長のやうに推進したと思はれる人間や、第十六師団長のやうに自ら略奪した人間もゐたが、多くの上級将校や憲兵は制止した。彼らの立場からすれば事件はあっても大虐殺はなかったと主張するのはあり得る。ここで大虐殺がなかったとするのは市民に対してで、捕虜については
「江岸で一万五千捕虜」という両角(もろずみ)部隊の戦果を報じる横田特派員発の記事もあるが、この捕虜をどう始末したかの続報は出てこない。
となった。

三月十一日(土)
秦さんは、東京裁判の主席検事キーナンが、本人を免責する代りに協力者にしたてるFBI法式で、元陸軍省兵務局長の田中隆吉に証言させたことを取り上げる。
問 南京残虐事件(レープ・オブ・ナンキン)に松井大将は関係があるか
答 松井大将が命じたものではないが、彼の部下が史上最悪の残虐行為をやったのである。
(中略)
問 松井は責任者を処罰したか。
答 イエス。しかし処罰は軽いもので、マネゴト程度にすぎなかった。(以下略)
問 松井は責任者の名前を言ったか。
答 中島(今朝吾)第十六師団長の名をあげ、この部隊は上海の日本商店すら掠奪した、と怒っていた。
問 他にもいるか。
答 谷寿夫中将、佐々木到一中将である。とくに佐々木が悪かった。

松井は東京裁判では事件を一貫して否定した。これでは死刑になるのも当然だ。

犠牲者数について
スマイス調査は(中略)日本兵の暴行による死者と拉致者(ほとんど行方不明)の計は、市街地で六六〇〇人、農村部(県名略)で二六八七〇人である。(以下略)
埋葬死体数は(中略)記録の正確性に疑問があり、板倉氏は、それを加減して三九八五九体と算出した。これは国際委員会のペーツやスマイスが引用した約四万人とほぼ合致している。

秦さんは結論として、一般人への不法殺害が八千から一万二千人、捕われてから殺害された兵士三万人の、合計38000人から42000人なら中国側も理解するのではないかとしてゐる。

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三月十一日(土)その二
「現代史の光と影 南京事件から嫌煙権論争まで」は秦さんが昭和57年(1982)から平成11年(1999)までに書いたものを一冊に纏めたもので、平成十一年に出版された。南京事件について
日本ではA大虐殺派、Bマボロシ派、C中間派(少数派)という三派に分かれて、久しく論争がつづいている。(中略)中間派がいちばん辛い。なぜなら左のA、右のBの両方から批判を受ける立場のうえ、歴史専門家のなかでは少数派に属するからだ。

このままでは日本が心配だ。常識で考へれば南京事件があったのは事実だし、一方で人数が三十万人の訳はない。それなのにCが少数と云ふのは、歴史学者なるものに西洋猿真似ニセ学者が多いことを表はす。例へば南京事件の被害者を100万人と書いた書籍があり
東京大学の西洋史教授が監修した事典の「南京大虐殺」の項目に印刷されたものだが、新聞記者から根拠を聞かれて、この教授は「中国を訪問した際<百万人>と記述している文章を見た記憶がある。(以下略)

ずいぶんいい加減なものだ。私は南京事件はあったとする立場だから米ソ冷戦時代とその余韻をまだ残した時期までは、マボロシ派に反対だった。しかしその後の日本では、欧米が世界のほとんどを植民地にしたことには賛成で日本社会を破壊することにも賛成と云ふ奇妙な連中が出現した。今となっては、マボロシ派は社会崩壊を防ぐための主張なのだと、その非常時に於ける行動(例へば火事のときは民家のガラス窓を突き破って放水するが、平時にやったら犯罪だ)に理解を示すやうになった。

三月十二日(日)
この本には、秦さんが東大東洋文化研究所の官僚主義の被害にあった件も書かれてゐる。秦さんがアジア諸国の職官表を同研究所の依頼で作成することになった。Gビルを解約し東大内に移転することにもなった。ところが引っ越しの前々日
急に東文研所長室に呼び出された。(中略)松丸主任が硬い表情で「プロジェクトは教授会の決定で中止となりました。しかしアルバイト代を半年間支出している以上、何か成果を出さないと困るので、中国と北朝鮮だけは刊行しますから、九月十五日までに完全原稿にして提出してください。(以下略)」と切り口上でいう。
その頃には、十人近い研究者に依頼したアジア諸国の職官表が届き始めていた。製品を発注して届いてきたら受け取らぬ、ということでは困る。なぜだと聞いたが、有無を言わさぬ語調で、とにかく中止だとがんばる。
これはひどい話だ。しかも
センターに移ってくれといったのはアルバイト代を負担するT助手だけの意味で、秦はここで作業しては困るというのだ。(中略)所長が困惑した表情で、
「実は中里係長が女の子は来てもよいが、ついてくる男が気に入らない、と言うので・・・」(以下略)
山崎所長に行きあうと「もう、いやがらせはなくなりましたか」と聞くので「結構、やってますよ」と答えたら「私から係長に随分お願いしてみたんですがねえ。駄目ですか」とため息をついて(以下略)
その後、台車の上に置いた資料の紛失事件が起きた。結局はGビルに戻り、自宅待機のアルバイトも戻り、北朝鮮の最終原稿は東文研に提出し、キャンセルになったアジア諸国の職官表は刊行してくれる出版社が見つかった。その後、秦さんは東文研には一歩も足を踏み入れなかったが
出がけに、行方不明になったままの資料を探してもらいたい、と文書で要請しておいた件をめぐって、教授会は上を下への大騒動になったという。
良心派は、女性助手までいじめてとうとう追い出した責任を追及する。松丸一派は、せっかく立派な作業室を用意したのに入らないのは、約束違反だから助手の給料を打ち切ろうとか、十月末までに北朝鮮の原稿が届かなければ、刊行は取りやめるべきだとか、はてはGビルの管理人をとっちめようと言い出したらしい。
一方では「いやがらせ」をやったのは係長の独断だ、いや松丸の指示による、と泥仕合になって、徹夜の会議がつづいた(以下略)
なぜこんなことになったかについて秦さんは
研究組織と呼ぶより、「お役所」と呼んだ方がふさわしい東文研の硬直した自閉症的体質が目につく。同じ大学のなかでも学部の方は学生をかかえているから世間の風に刺激されるし、学生交渉などで苦労させられる。(中略)教官も一度入れば自治の特権に保護され(中略)全員が年金ぐらしで国も県も介入しない桃源郷になってしまう。(中略)研究者の粒が落ちると、事務部門が力を伸ばしてくるのは避けられぬ。(中略)中里係長が実質的な所長であった。(中略)学内では終着駅か吹きだまりで、どこかへ栄転したい、という欲を捨てて居直れば、これほど強いものはない。

東京大学批判その二十の二東京大学批判その二十二
----------ここまで東京大学批判その二十一----------

三月十二日(日)その二
平成20年(2008)に出版された「現代史の虚実」は章、節、小節の題を見ただけでも、多くの国民が共感するものだ。抜粋すると
大江健三郎『沖縄ノート』裁判の行方
慰安婦とフェミニズムの災厄
偏った「慰安婦」像を偽造した河野談話
「慰安婦狩り」を証言する日本人の正体
岩男女性学の系譜
三〇%の「バカの壁」
このうち三〇%の「バカの壁」について説明すると、あらゆる分野の指導的地位に女性三〇%を割り当てる構想について秦さんは
ただし「あらゆる分野の」と言っても、実際に三〇%の対象にしているのは楽で見栄えのよい領域ばかりで、(中略)「急進的な女性優遇」(高市早苗)のホンネが見え見えである。
私も同感で、フェミニズムは一般の女性とは無関係に議員だ、審議会だと楽な職種に就く人の向上にしか役立たないとこれまで主張してきた(女性の活躍する社会には賛成、フェミニズムには反対 マルクス主義フェミニズムは欺瞞)。
革新勢力は多くの人たちに支持されて、全国に革新知事、革新市長を誕生させた。ところが米ソ冷戦終結後に、奇妙な連中が入り込んで国民の支持を失った。南京事件も同じで、米英は正しくて日本は間違ってゐると云ふ奇妙な連中が大虐殺派として出現したため、秦さんが少数派になったと見るべきだ。
ここで南京事件の肯定派否定派を表にまとめてみた。
主張有益度合現状
日中交流を妨害する目的で南京事件を否定悪質今はほとんどゐない
社会破壊を防ぐ目的で南京事件を否定間違ってはゐるが、心情は理解否定派の大部分
南京事件を肯定し犠牲者は四万人正しい少数派
欧米崇拝、日本社会破壊を目的に犠牲者数を30万人から100万人とする悪質偏向マスコミと西洋猿真似学者に多い
松井石根については、東京裁判で事実を述べなかったのだから死刑はやむを得ない。そればかりか上海を防衛するための上海派遣軍だったのに無理やり南京攻略軍にしてしまひ、陸軍上層部を拡大派に導き、南京陥落によって蒋介石との和平の道を閉ざした。その責任たるや重大だ。
これまで私は、靖国神社から東條英機に退出移動をお願いし、近隣諸国から反対されない神社とすべきことを主張してきた。しかし今回の調査後、処刑者はすべて退出移動をお願ひし、その理由は戦犯ではなく終戦後の死亡者だからとすべきだと考へが変はった。A級戦犯だから駄目だと規定すると、岸信介が首相になったことと整合性が取れなくなる。A級戦犯にも遺族年金を支給するやう共産党を含めて可決したこととの整合性も取れなくなる。
松井石根は本人は止めたものの部下の残虐行為に責任があるし、日本軍犠牲者にとっては上海防衛軍だったのに無理やり南京攻略軍にさせられて多数の犠牲者を出したのだし、日本にとっては南京陥落が先の敗戦につながった。
日本が今後すべきは、南京事件を認めた上でなぜあのやうな事件が発生したかを調べ、しかも戦時に於ける異常心理が原因だったことも示して、国民が反日反社会とならないやうにすべきだ。多くの国民は反日反社会にはならない。しかし日本死ねの民進党や社会破壊反日パンフレットのやうな連中が出て来るには、ある程度の国民が感化されたと見るべきだ。
南京事件が起きた理由は既に秦さんが「南京事件」の第八章に書いてくれた。上海戦は日本居留民の保護といふ目的があったので軍紀は崩れなかったが、南京攻略戦は戦闘目的がなく帰郷の期待を裏切られ自暴自棄になった。食糧の補給が追い付かず略奪で空腹をしのぎついでに強姦もやるやうになった。残虐行為を繰り返すうちに不感症になり無差別殺人を平気でするやうになった。以上のことが書かれてゐる。これらは戦争と云ふ異常心理で起きたこと、戦争は西洋の帝国主義が引き起こしたことを強調しないと社会が崩壊する。否、反日反社会を目的とした連中が、さかんに叫び続けてゐる。
中国はこんな連中と提携してはいけない。日本国民の感情が反中に向かってしまふからだ。南京事件肯定派と提携しながら、南京事件否定派をも、その心情は理解します、将来の両国親善に役立つ方向で話しませうと大きな心を持つことで、日中関係は好転する。(完)


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