五百五十一、西の細道(その二、旅先で思つた「女性の活躍する社会には賛成、フェミニズムには反対」)
平成二十六甲午
三月十六日(日)その五「尾道へ」
岩国を出発した後は倉敷で市内観光をする予定だつた。しかし倉敷は来るときの明け方に観た。だから尾道に寄ることにした。前日長門市の観光案内所でもらつたパンフレットを車内で読んだ。金子みすゞが載つてゐた。
金子みすゞ(本名テル)は、明治36年大津郡仙崎村(現在の長門市仙崎)に生まれました。(中略)西條八十に「若き童謡詩人の中の巨星」と賞賛されるなど、めざましい活躍をみせていきました。
ところが、その生涯は決して明るいものではありませんでした。23歳で結婚したものの文学に理解のない夫から詩作を禁じられてしまい、さらには病気、離婚と苦しみが続き、26歳という若さでこの世を去りました。
女性の活躍する社会を造らなくてはいけない。さう思ふうちに尾道に到着した。バスで浄土寺下まで行き、整備された細い散策路を浄土寺、姿三四郎記念碑、西郷寺、林芙美子文学碑、西国寺、菅原道真腰掛石、福善寺、慈観寺、天寧寺、光明寺と蟠龍の松、
持光寺、林芙美子の銅像と住んだ部屋を観た。大山寺、御袖天満宮、千光寺、吉備津彦神社、海福寺は寄らなかつたが旅行かばんを持ちながら長時間坂を上り下りして疲れたためだつた。
細い路地に面した散策路は一等観光地と呼ぶに相応しい。そして大都会の住民が贅沢に為り過ぎたことを反省させてくれる。このような散策路を整備した尾道の皆さんに心から敬意を表したい。
三月十六日(日)その六「女性の活躍する社会」
今回の旅行では女性が活躍する社会を創るにはどうすればよいかを考へる機会が多かつた。まづはパンフレットの金子みすゞである。詩作を禁止する夫は狭量過ぎる。二番目に林芙美子の銅像である。私は金子みすゞと同じ女性を予想した。しかし林芙美子について調べるとはよく判らないので今後調べることにした。
旅行の間ずつとテレビでは小保方女史の論文問題が続いてゐた。あの問題は論文発表時からマスコミが騒ぎすぎた。その後もリケジョだのかっぽう着だのとさんざん騒いだあげく、今度は論文取り下げで騒いでゐる。取り下げも別に騒ぐことではない。
そして帰宅した翌日には上野千鶴子女史の講演中止問題が持ち上がつた。私は上野女史といふ人は始めて名前を知つた。過去の発言は知らないが、インターネツトで調べるとずいぶんひどい発言である。中止するのは当然である。上野女史の主張はこれまで人類が築き上げてきた永続の知恵である文化を破壊し人間を類人猿化するものだ。といふことで今回は「女性の活躍する社会には賛成、フェミニズムには反対」を題材にした。
三月十七日(月)「金子みすゞ」
さつそく金子みすゞの著書を図書館で借りた。読んでみて金子みすゞと私は感性が合ふことに気付いた。一つ目は動物が人と同じ立場で登場する。私の根本は人と動物を区別しないことでこれは私だけではなく仏教の根本思想である。それなら上野女史が人間を動物扱ひすることになぜ反対かといへば、草食動物が肉食になつてはいけないし文化を持つ人間が文化を捨ててはいけない。
二つ目に定型詩である。私は文章を書くときに意識はしないが自然と定型に準じたものになる。書き易く読み易い文章を心がければさうなる。
三月十八日(火)「今もある金子みすゞの悲劇を無くすには」
パンフレットには書いてなかつたが、金子みすゞの夫は女遊びを繰り返しみすゞも性病に感染した。離婚したが娘を元夫が取り返しに来るといふ話を聞いて精神不安になり服毒自殺した。二十六歳であつた。
このやうな不幸は今でもある。私が富士通の関係会社にゐたときに或る女子社員が社外の人と結婚した。一年ほどして職場で「外で遊んでもいいけど病気を持ち込まないでよ」と言ひ出し暫くして離婚した。逆の場合もある。私が今の会社に入つてまもなく営業職の人も入つた。その人のところに以前、女が転がり込んで出て行つたらしく「ひどい女がゐるものだ」と述懐してゐた。
悪い男や悪い女に引つ掛からないやう十分な注意が必要である。と同時に昔は業界仲間、近所、親戚、講中などが悪い男や女を出さないための抑止力になつた。だから上野千鶴子女史のやうに社会を破壊する主張には絶対反対である。
三月十八日(火)その二「林芙美子」
図書館で林芙美子の著書も借りた。私と林芙美子は感性がまつたく異なる。しかし若いときに貧乏で苦労を重ねたことに当時は多くの国民の共感が集まつた。
花の命は短くて苦しきことのみ多かりき
は林芙美子が色紙に好んで書いた。私はつい次の文章を考へてしまふ。
シロアリのあくどい命は短くて醜きことのみ多かりき
三月十九日(水)「女性の活躍する社会とフェミニズムは異なる」
金子みすゞのような悲劇を作らないために女性の活躍する社会にすべきだ。一方でフェミニズムには反対である。
まづ資本主義に限らず経済活動は不公平の固まりである。社長の友人が取締役で入つてきて会社がめちやくちやになつた、社長の弟が人事部長で来て、試用期間中の人が突然解雇された。そんな労働相談がたくさん来る。それなのに女性の管理職比率を上げろだとかの主張を偏向新聞がときどき書く。公務員や政府の保護下にあり日本では特に競争のない新聞やテレビ業界だから言へることで純民間から見ると実に異様である。民間では女性が活躍したほうが利益に繋がるなら既に実施する。日本では男は終身雇用と出世競争に巻き込まれることが多く、だから女性は補助職に留まるだけだ。その状態を解消するための女性登用なら賛成だが、公務員や競争のない産業が女性管理職何%と騒ぐのは反対である。
だいたい特にシロアリ民主党で顕著だが、女性議員にはろくなのがゐない。共産党と自民党の一部には優秀な女性が活躍してゐる。それなのに菅だか野田が首相のときに委員の比率を何%にしろ、議員の比率を何%にしろと民間より高い数値を発表したから「シロアリが、シロアリ女を、作り出す」と揶揄した。
また日本のフェミニズム運動は本人の離婚の原因を男女全般に拡げる人が多く社会に有害である。
それとは別に、今は少子化だから子供の姓をどうするかといふ問題がある。子供が女子だけの場合は姓を引き継ぐ制度を設けるべきだ。本姓のほかに引き継ぐ姓が溜まる。将来子供が複数のときは引き継いだうちの一つを選択することで先祖代々の姓が子孫に伝はる。私は姓とは先祖を自慢する以外に取り柄のない連中にしか役立たない無意味なものだと思ふ。しかし昔からの習慣だから続ける方法もあるし、江戸時代に庶民は姓を名乗れなかつたからその伝統をすべての国民に広げて姓を名乗らない方法もある。
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