八百九十二 1.与党は給付型奨学金の撤回を、2.親の年収と子供の学歴が比例するといふ意味

平成二十八年丙申
十月二十日(木) 1.与党は給付型奨学金の撤回を
給付型奨学金と貸与型奨学金に違ひはない。どちらも奨学金が支給されるからだ。不可解なのは、卒業すれば社会に貢献できる人間になるはずなのに、なぜ卒業後のことを心配するのか。もし卒業後に返却できない人が出るとすれば、本人か、企業の採用制度か、学校のどれかが悪い。それを改善すべきだ。
与党は給付型奨学金を撤回すべきだ。あの提案は「シロアリ民進党に引きずられたが、国民の負担を増やさず、しかも貸与型の人数を減らさないためにも、熟慮の上、決断しました」。このやうに云へば逆に人気は高まる。あのときなぜシロアリ民進党が選挙公約に入れたのかを検証して、シロアリ民進党を返り討ちにすべきだ。

十月二十一日(金)
国民の負担が増えずに給付型奨学金を創設できるなら、まだ多くの国民から反対の声はでない。しかし今回は十九~二十二歳扶養控除を縮小して捻出するさうだ。反日パンフレットはさう明記した。これだと多くの国民から反対の声が上がり、安倍政権は退陣を余儀なくされるだらう。
日経BPのサイトに山崎元氏へのインタビュー『確定拠出年金は「絶対儲かる」、ただし“地雷”に注意せよ!』が載った。同じように今回の給付型奨学金は安倍政権への地雷となる可能性が高い。

十月二十二日(土) 2.親の年収と子供の学歴が比例するといふ意味
親の年収と子供の学歴は比例する。これは教育界の常識だ。正しい統計用語を使ふなら、強い相関関係にあることは教育界の常識だ。しかしそれだと判りにくいので普通は、比例すると云ふ。なぜ比例するかと云へば、高額の塾に入れる、私立小学校や私立中学に入れる、家庭教師を付ける、の三つだ。
このうち特に悪質なのが私立小学校と私立中学で、公立の場合は問題児がどの学年にも数人はゐる。教員はエネルギーの多くをそれに取られる。余談だが私がコンピュータ専門学校の教員のとき、授業開始直後に円グラフを黒板に書き、2/3は静かにする対策、1/3は授業と説明を書いて、皆が騒がしいと2/3のエネルギーを費やさなくてはならないからもっと静かに授業を聴かうと云ひ、皆がどっと笑ったあとで授業を始めようとしたら、笑ったときのうるささがそのまま続いて余計にエネルギーを費やしたことがあった。
私立の場合は問題児を入学させないから、それだけで有利だ。つまり私立の小中校は生徒さへ集めれば絶対に公立より高度な授業ができる。尤も理事長がワンマンでそのご機嫌取りにエネルギーを使ふから公立と変はらないと云ふ学校はあるかも知れない。
今から十五年前に私の子供が入学した市立小学校は、学級崩壊で保護者が交代で授業中に教室の後方で見守った。中学では授業参観日なのに授業を途中で抜け出して廊下に座り込む生徒がゐた。

地獄の沙汰も金次第と云ふ諺があるが、塾の優劣も金次第だ。上の子の予備校を決めるとき、三校のなかからここは駄目だと云ふところがあった。説明の女性事務員に、クラスの難易度が二つしかないから国立は無理ではないかと私が質問した。するとその女性は驚いたことに、それなら別の予備校を選んでください、と言った。家に帰って私は別の予備校を推したが、成績が良いと割引券がありうちの子の場合は七割引きだったので、そこに決めてしまった。七割引きは確かに魅力的だった。結果は国立に落ちて私立に合格した。国立で下宿するのと私立で自宅から通学するのは同じ程度の金額だから、まあ良かった。
翌年大学一年のときに、うちの子はその予備校でチューターの学生アルバイトをした。ところが年末に全国の予備校のほとんどを閉鎖すると云ふニュースが新聞やテレビで報道された。教育評論家の意見は、割引券で優秀な生徒を集めるビジネスの破綻を指摘した。
予備校のチュータなら良いが、それ以外のアルバイトは確実に成績を下げる。このことは、私が十年前人事部にゐたとき応募する学生の面接で判った。今年の下の子の入学式でも、アルバイトは成績を下げると云ふ注意があり、私は頷きながらその話を聴いた。
私立の小中学校、塾や予備校の費用、入学後のアルバイト。すべてが金次第だ。そんなとき給付型奨学金で三万円くらい支給して何になる。如何にも偽善政党のシロアリ民主党の考へさうなことだ。やるのならすべての大学に貧困者枠を作り入学させるべきだ。因みに我が家は貧困者枠には入らない。自分が有利にならないことでも社会全体を考へて主張する。ここがニセ労組シロアリ連合の圧力を受け、圧力団体に有利なことしかやらないシロアリ民進党との違ひだ。(完)

追記十一月三日(木)
Yahooニュースに『日本で「学歴」は意味を持つか』といふ特集が載ったので紹介したい。リクルートワークス研究所主幹研究員豊田義博さんは『「学歴は指標として役立たない」と企業が気づきつつある』と題して
人事部の立場に立って考えてみると、採用過程では、スクイージング・コスト(採用対象の母集団を絞る時間、手間、費用)をとにかく抑えたい。(中略)何万という数の応募者が集まるなかで全員を面接するのは難しいですよね。いい方は悪いですけれども、(中略)人気企業が学歴フィルターをかけることは、その是非は別として、一定の合理性はあるというわけです。
次に私が三十二歳のときにパソコン文化誌でこの人の書いたものを読み、世の中には面白い文章を書ける人がゐるものだと感心したが、数年前にこの人の文章を何十年かぶりで読み、ずいぶん冗長な文章になってしまったと驚いた小田嶋隆さんは
いい大学に入るための予備校のようなものの存在感が大きくなったおかげで、いい家の子でないとなかなかいい学校に行けないようになっちゃった。その結果、学歴が、偏差値の高い・低いじゃなくて、親から与えられた環境や資産の影響をものすごく反映するものになったんです。学歴が、今、家柄差別とあまり変わらないものに着地しつつあるように思います。
たとえば今、(大学名略)に進学する高校生のほとんどは、中高一貫の有名私立校出身者で占められている。(中略)12歳でもう線が引かれる。公立中学に行くか、そこそこ意識の高い学校に行くかで、大きく分かれてしまいます。しかも、それを分けさせているのは本人の勉強の出来不出来ではなく、親の経済力だったりしますから、いかんともしがたい。
今回は冗長ではなく、よいことを言った。


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