九百二十八(その四) 二つの立場の本はどちらが社会に有害か

平成二十九丁酉年
二月十七日(金)
図書館から借りた四冊の書籍がある。二冊は南京事件肯定、二冊は否定の立場で書かれた。まづ肯定の立場の松岡環「南京 引き裂かれた記憶」は出版されたのが昨年十二月。これは有害な書籍だ。少し読んだだけで不愉快になりあとは読まなかった。
空襲や戦闘の描写でも同じだが、残酷な事実を羅列するだけではいけない。書いたあと背景を分析し社会に有益になるやうにしなくてはいけない。社会に有益になるとは将来に有益になることだ。ところが米ソの冷戦終結で平和運動が変質してからは、将来志向と云ふ過去を否定して西洋崇拝を進める意味にすり替へる連中が出てきた。だから社会に有益と云ふ表現を用ゐた。この本には社会に役立たうと云ふ意志がまったくない。あるのは社会破壊だけだ。
別の例を挙げると死刑現場を詳細に書いた書籍があるとしよう。死んで行く状況を詳細に書いただけでは社会に有害だ。その人の犯した犯罪、裁判が公正に行はれたかどうか、教誨師との面会、職員の死者への礼儀などきちんと書かなくてはいけない。つまり日本死ねの民進党(当時はシロアリ化したあとの民主党)の法務大臣が死刑現場に立ちあったり、社会破壊反日パンフレットが死刑何人執行と大げさに書くことは社会を破壊するだけだ。
それと同じことを松岡環「南京 引き裂かれた記憶」はした。そればかりではない。この種の本が、日本国内に反中感情を生み両国交流の障害になってゐる。

二月二十一日(火)
この本が悪質な理由は「はしがきにかえて」の冒頭に書いてある。
今から四年前、被害と加害の証言を本にして英語で出版しましょうと私に提案したのは、カナダのトロントにある「第二次世界大戦の歴史事実を維護する会」(ALPHA教育)の代表者のフローラさんとウォンさんでした。ALPHA教育は歴史事実を明らかにしようと活動している団体です。
歴史事実を明らかにするには、あのとき世界のほとんどが欧米の植民地だったことをまづ書かなくてはいけない。この本は平和運動や日中親善とは無縁の、拝西洋反日に過ぎない。読む価値がまったく無い。

二月二十五日(土)
阿羅健一「謎解き南京事件」は南京事件否定論だから、私とは立場が違ふ。しかし読んで悪い印象は受けなかった。南京事件は論じ方によっては社会を破壊し、反日拝西洋に洗脳する。それへの対策と解釈できるからだ。
南京事件調査研究会「南京大虐殺否定論13のウソ」は、南京事件否定論者への反論として書かれたもので、私と立場は同じだからほとんど賛成だが、賛成ではない部分もある。例へば
まったく恐れ入った議論である。(中略)小学生にもわかる道理である。
しかしこうした説得力のない形式論理-いや論理というより歿論理-は、東中野氏に限ったことではない。かつて田中正明氏も(以下略)
顔と言葉と文章には、その人の人格が表れる。南京事件調査研究会は七人の著者で構成され、この文章は駿河台大学法学部教授とある。こんな教授のゐた大学に補助金を支給する必要があるのか。
原爆を正当化する悪質な言論もある。都留文科大学名誉教授なる男はアメリカの「プレイボーイ」誌の記者が当時国会議員だった石原慎太郎さんにインタビューしたことを取り上げて
記者-[石原氏がアメリカの原爆投下を批判したのに対して]日本の歴史は、それほど血にまみれてはいないと言うのですか?日中戦争の最中のあのすさまじい大量虐殺は絶対に正当化できませんよ。」
悪質な人間は自分のやったことの言ひ訳に、別の人間だってやったと主張する。まづ原爆の言ひ訳に南京事件を持ち出すことは絶対に許されない。
戦争は物理、間接化学、直接化学と悪化を続け、つひに原子核が現れた。物理とは弓や槍の戦闘だ。間接化学とは火薬による銃、砲弾の戦争だ。直接化学とは毒ガスだ。原子核とは原爆だ。だから原爆と間接化学では二段階異なる。これを同一に扱ふ「プレイボーイ」誌は悪質だが、アメリカの雑誌と云ふことでまだ許せる。許せないのは国内にどう云ふ悪影響があるかを考慮せず原爆と南京事件を同列に扱ふ連中だ。

二月二十五日(土)その二
小池さんが都知事に就任してから、築地市場豊洲移転問題で石原さんはすっかり悪役になってしまった。しかし石原さんが都知事に就任したころの人気はすごかった。私は都知事に就任して前半は良かったが後半悪くなったと評価してゐる。都知事を長く続けて悪くなったのは美濃部さんも同じだった。その都知事に石原さんが就任する前の発言だからそれほど悪くはない。このときプレイボーイ誌には虐殺は無かったと話したが、二ヵ月後に
南京事件の事実そのものは否定できないことを悟った石原氏は、(中略)次のやうに自説を修正するようになった。

南京での軍による不法な殺人については日本の関係者もほとんど認めてはいても、問題はその数です。
断っておきますがその数がいわれているものの十分の一だろうと百分の一だろうと、不法な殺人はもとより人道にもとるし、虐殺は虐殺でしかありません。

ここまで石原さんの主張は正しい。都知事になって後半は中国の悪口を言ったりシナと呼んだりして堕落したが、この当時はまともだった。南京事件が在った、無かったと主張が二分する理由は都留文科大学名誉教授なる男も分かってゐる。それは
自分は南京戦に参加した、占領後の南京にいたことがあるという旧軍人たちの多くは「自分たちは大虐殺などやらなかった」「そのような大虐殺は見なかったし聞いてもいない」「二〇万人、三〇万人虐殺などという無差別な大殺戮は起こりえなかった」と真面目に思いこんで事件を否定している。(中略)阪神大震災の全体状況を目撃できた個人は一人もいないように、南京特別市という広大な区域でしかも長期にわたって行なわれた南京大虐殺の全体を目撃できた人など誰もいない。

この文章はかなり正しい。一部の師団でやったと云へばよいものを米ソ冷戦終結後に日本を西洋崇拝国に改造する目的で日本そのものが悪いと主張するから反発が起きる。なほこの文章の間違ってゐるのは「長期にわたって」「南京大虐殺」の部分だ。松井石根は市民への乱暴狼藉を固く禁止した。だから「長期にわたって」は根拠の無い主張だし、原爆でさへ広島大虐殺、長崎大虐殺とは呼ばないのだから南京大虐殺は不適切な表現だ。

三月四日(土)
「新しい歴史教科書をつくる会」パネル展実行委員会が制作した『南京戦はあったが「南京虐殺」はなかった』は私と立場が逆だが、米ソ冷戦終結後に社会を破壊する反日言辞への対策と云ふことでその熱意には敬意を評したい。はしがきは藤岡信勝さんが
平成二十四年(二〇一二年)二月、河村たかし名古屋市長は、姉妹都市である南京市との交流のなかで(中略)「南京事件」なるものはなかったのではないかと思うとの私見を述べ、この問題について討論したいと呼びかけました。
ところが、南京市は名古屋との姉妹都市交流を中断するとし、(以下略)

このやうな場合、中国側は積極的に討論に参加したほうがよい。私は南京事件はあったとする立場だが、人数など双方が参加したほうが解明できる問題が多い。藤岡信勝さんは共産党員だったがウィキペディアによると
湾岸戦争で「一国平和主義」を脱し、司馬遼太郎の著作や渡米体験を通じて冷戦終結後の新しい日本近代史観確立の必要性を感じたとして、旧来の左右双方のどちらにも与しない「自由主義史観」の構築を提唱し、一部の民間教育団体で同様の飽き足りなさを感じていた教員とともに自由主義史観研究会を設立した。提唱は大きな反響を呼び、賛否両論の議論が活発化した。1997年1月に西尾幹二らとともに、新しい歴史教科書をつくる会を設立。産経新聞紙面で連載され反響を呼び「藤岡信勝/自由主義史観研究会著」で出版した『教科書が教えない歴史』は全4巻で120万部を超えるベストセラーとなった(以下略)

米ソ冷戦終結後に、社会破壊反日パンフレットみたいな奇妙な連中が現れた。左翼だった人たちもその多くは左翼崩れになってしまった。だから藤岡さんの思想が左翼から保守派に遷移したことには賛成だ。その藤岡さんが南京事件は無かったとするのだから、その主張には説得力がある。(完)


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